2008/09/05

Dark Knight



「ダークナイト」は、「ポニョ」や「ゾディアック」みたいな善悪二元論が成立しない複雑で曖昧なイマドキのゼロ年代をリアルに切り取った映画と違って、昔ながらの単純明快な勧善懲悪をひたすら突き詰めて突き抜けてみせた映画で、そして、こうしたアプローチでもちゃんと今の時代の空気を吸ったリアルなものは作れるんだという証明にもなっている。

まず、この映画にはタイトル・シークエンスがない。プリンスの軽快なポップソングももちろんなく、ハンス・ジマーとジェームズ・ニュートン・ハワードによる重苦しく大仰なオーケストラのリフがずっと鳴っている。アクションがもうひとつで大味だった前作の課題もクリアしていて、シカゴで撮影されたゴッサム・シティを舞台に繰り広げられるカーチェイスは見応えがある。

冒頭で、バットマンのコピーキャットたち、ジョーカーの覆面をした銀行強盗グループ、ドン・コルレオーネのような威光をまったく感じさせない小物感あふれるマフィア幹部や彼らと共謀する香港の企業CIOが矢継ぎ早に紹介される(彼らの収入源はマネーロンダリング)。神秘的なアウラ(オーラ)は昔日のまぼろしで、シミュラークルやデッドコピーが世界を覆っていて、そこから誰も逃れられない。この辺がいかにも今っぽい。

狂言回し=トリックスターを地で行くヒース・レジャー扮するジョーカーもまたオーラをまとった悪のカリスマというにはほど遠く、傍目からはオサレな気狂いピエロでゴスなチンピラにしか見えない。あのメーキャップのまま看護婦の格好をした、マンガ的と言うしかないありえないヴィジュアルのジョーカーがリモコンで病院を爆破するという絵ヅラのおかしみは、そこに肉体が宿り、CGではない本物のビルを爆破させることで、有無を言わせない起爆力を持つ。

ジョーカーは誰かを守りたいという利他主義と自分を守りたいという利己主義を天秤にかける。生死を賭けた場面では誰もが後者を絶望的に選択するしかないというのが、彼のゲームの法則である。ジョーカーは快楽殺人者でも猟奇的殺人者でもない。殺人は目的ではなく手段であり、アルカイダのように確固たる意志で、人々の心を蹂躙しその善意やヒューマニズムを前提に機能している社会を粉々に打ち砕きたいのだ。彼はあらゆる価値は無価値であると信じるニヒリストであり哲学者のようにも見える。

バットマンは、誰も頼んでいないのに正義を執行する自警市民で、ジョーカーの無差別テロの元凶であり、ゴッサム・シティの市民から疎まれている。アメコミのヒーローは客観的に見ればコスプレ趣味のイカれたフリークスでアウトサイダーでしかないという設定が効いている。ブルース・ウェイン=バットマン、ジョーカー、検事ハービー・デント=トゥーフェイス。善を体現する者、悪を体現する者、善から悪へと堕ちる者、この3つどもえの力学が物語を貫通する太いパイプラインだ。

ハービー・デントが裁判でスタンドプレイ的な活躍を見せるシーンでは、善を頑なに信じる者が時に見せる鼻につく傲慢さを表現していて(アーロン・エッカートという俳優はこういう役がよく似合う)、彼が後にトゥーフェイスという怪物になることを予感させる。そのきっかけがアナキン・スカイウォーカーがダークサイドに堕ちるのと同じく最愛の人を喪うことにあるというのが、いかにもアメリカっぽい。

前作「バットマン・ビギンズ」のレビューでも引き合いに出したサム・ライミの「スパイダーマン2」は珍しく映画館で二回観て、不覚にも泣いてしまった映画だ。ヒーローである主人公のアイデンティティ・クライシスとアクションがくんずほぐれつしながら相互補完する「スパイダーマン2」には市民はヒーローを応援するという大前提は守られていたが、「ダークナイト」にはその前提はない。

ジョーカーが仕掛けた最後のゲームを人々は善意でクリアするが、バットマンはトゥーフェイスの罪を自らかぶり忌み嫌われるヒーローを全うするから、より救いはない。この作品の密度と強度は「スパイダーマン2」と肩を並べるかそれ以上で、ダークヒーロー物でクライマックスの舞台が建設中の高層ビルであるという共通項から、同じライミの「ダークマン」とも重ね合わせたくなる。

東浩紀的に言うなら、この映画は現実ではなく虚構を模倣する「まんが・アニメ的リアリズム」と、現実を写生する「自然主義的リアリズム」(というより「映画的リアリズム」?)をミックスし、そこに必然的に生じる齟齬や矛盾を内包しながらいかに魅力的な物語を作るかという命題に果敢に挑み、かなりの精度でそれに成功していると思う。

映画の内容と矛盾するようだが、ゲイリー・オールドマンやマイケル・ケインが見せる紳士的な身振りのように、娯楽映画としては過剰ではあるのだが節度と抑制が保たれていて、グロな表現がないのも好ましい。下品ではなく高潔なのだ。ハリウッドというマーケットの市場原理が今の時代に「ダークナイト」を要請したことがとても興味深く、僕は都市そのものが主人公の映画としてもオススメしたい。

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