2008/09/23

A Scanner Darkly



最近のエントリーでフィリップ・K・ディックの名前がよく出てきたので、今更のレビューを。

信頼するリチャード・リンクレイター監督とフィリップ・K・ディックの「暗闇のスキャナー」が原作という組み合わせで公開のかなり前から楽しみにしていた「スキャナー・ダークリー(A Scanner Darkly)」。観たのは2006年、渋谷の映画館で公開最終日に駆けつけた。夕方だったせいか観客は少なかった。その次の最終上映には人が並んでいたが。

暗いディストピアSFばかりを描くディックにキャッチーな大衆性はないし、そのディックの長編の中で特異な位置を占める「暗闇のスキャナー」はSF色が薄く、彼自身のドラッグ生活を元にした実体験に根差している。SF的なガジェットは主人公が着る光学迷彩を思わせなくもないスクランブルスーツくらいで、ヴィジュアルとしては弱い。ドラッグディーラーが誰かを突き止めるために自らドラッグ常用者になってオトリとなる麻薬捜査官という設定もまぁ地味と言えば地味である。どうもこれは最初から分の悪い戦いだったのかもしれない。

何はともあれ、リンクレイターの原作や原作者への愛が深過ぎたのだろう。公式サイトのプロダクション・ノートで彼は原作にあえて忠実に作ることがチャレンジであることを表明している。また、この作品が未来SF的なプロットではなくキャラクターに依拠した映画だということも。

小説の終わりに用意された世界観や視点の転覆=ツイスト、そして、麻薬を栽培する農場における静かで抑制の効いた描写の中に絶望と一片の希望が混じり合うというウルトラ・ビターな読後感。僕は以前にも書いたように、このラストを読んで泣いたことがある。後書きで、ディックはドラッグで死んだ友人達へ献辞を捧げていて(映画でも忠実に再現されている)、センチメンタルなムードは一貫している。

映画と小説はやはり別物。自分の読むスピードで自分の歩幅で読者が物語に浸ってじっくり味わうという小説ならではのタイム感があっての感動であり、映画的なスペクタクルが起きるわけではなく、ドラッグ中毒者の弛緩しきったダラダラした日常が多くを占める原作をかなり忠実に描いたこの映画は、最後の転回部分も淡々としていて緩急に乏しい。

「ブレードランナー」を監督したリドリー・スコットがディックの原作を読んでいなかったように、ブライアン・イーノとデヴィッド・バーンが「ブッシュ・オブ・ザ・ゴースト」を読まずに本のタイトルからイマジネーションを膨らませて音楽を作ったように、小説から映画へ、あるメディアからあるメディアへの置換は、オリジナルを大胆に脚色し、換骨奪胎し、または、そこから限りなく離脱するというアプローチの方がうまくいく場合があると思う。

過去のディック原作の映画の中では、おそらく一番原作に近づいた「スキャナー・ダークリー」はそういう意味でのハッタリが足りない。だから、ダメだということではなく、こちらの期待が大き過ぎただけで全然悪くはない佳品である。

この映画の最大のハッタリというかヴィジュアルにおける貢献は、リンクレイターが「ウェイキング・ライフ」で採用した、俳優の演技をトレースしてアニメーションに起こすロトスコープにある。エンライトメントの絵があの密度のまま動くと考えると話が早い。

キアヌ・リーブス新作「A Scanner Darkly」--アニメと実写を融合した技法「ロトスコープ」とは - CNET Japan

リンクレイターがアニメーションの出来を気に入らず最初のスタッフを解雇したことなど、製作が難航した様子が伺える。

Imitating A Scanner Darkly in Adobe Illustrator | Illustrator, Tutorials | Layers Magazine: For Everything Adobe

イラストレーターを使って「スキャナー・ダークリー」風のデジタル・ペインティングを作るTips。

ロトスコープと言うのは古い手法で、スターログ世代なら(と言っても若い人にどこまで通じるかわからないが)、ラルフ・バクシの長編アニメーション「指輪物語」(1978年)ですでに使われていたと言えばピンと来るハズ。

「指輪物語」を僕は劇場で観ている。最初はリアルな動きに目を奪われ、馬に乗った黒騎士の襲撃など子供には本気で怖かった。が、「え?ここで終わるの?」という尻切れの幕切れで、当時、ガッカリしたことを覚えている。また、実写に基づく手法がアニメーションならではの自由な飛翔を奪っていると生意気にも思ったのだった。

「ウェイキング・ライフ」はシーンやカットごとにアニメーターとタッチを変え、観客を飽きさせない。グニャグニャした不定形で浮遊感を持ったヴィジュアルと主題がうまく合致していた。それに比べると、「スキャナー・ダークリー」は絵ヅラにあまり変化がなく(ドラッグによる幻覚シーンやスクランブルスーツなど、アニメであることが活かされた場面もあるが)、「指輪物語」同様に最初は新鮮でも観てる内に飽きてくる。

とにかく、ディックをディックたらしめているアイデンティティの喪失とそれに伴う不安や孤独という古臭くも現代的で文学的な主題がなぜかそれほどこっちに響いて来なかった。なぜだろう。最後にディックへの言及もある「ウェイキング・ライフ」の方がそういったメランコリーが濃厚だった。たぶん、「まんま」過ぎたのと、主役はキアヌ・リーブスではなくて、もっと泥臭い人、例えば共演のロバート・ダウニー・ Jrが合ってたんじゃないかなという気もする。キアヌのどこかリアリティを欠いた存在感がさらにアニメーションによって二重に希薄になってしまったような。  

映画は基本、小説のように内面を描けないので、それをどう映像に変換するかというのがポイントであり監督の手腕なんだけれど、ロトスコープというアイディアで押し切った以外はあまり演出面のヒラメキを感じられず、わりと平板に見えてしまったのが残念(実写であれば、また違った感想を持ったと思う)。結果的に、ディックの小説はプロットを借用することは出来ても、本質的に映画向きではないことを証明してしまっている?

リンクレイターは「スクール・オブ・ロック」のようなコメディや「恋人までの距離(ディスタンス)」とその続編「ビフォア・サンセット」のような会話の妙を活かした恋愛モノも撮れる人だし(恋愛モノがあまり得意でない僕もこの2作は好きだ)、ある主題にどんな話法や技法や創意工夫が必要か、素材をどう肉付けして削ぎ落としていくべきかを的確に分析できる人だと思う。「スキャナー・ダークリー」にはそうした彼の映画作家としての本分が良くも悪くもストイックに表出している。ちなみに、アメリカの映画批評ポータル、Rotten Tomatoesでは67点。微妙だなぁ。いや、決して悪い(以下略)。



「暗闇のスキャナー」のペイパーバックのジャケット。このイラストは味があっていい。いかにも70年代。ロバート・シルヴァーバーグの「悪夢的な強度に満ちた傑作」という言葉が添えられている。



もう一個は「暗闇のスキャナー」じゃなくて、「シミュラクラ(Simulacra)」の表紙。子供の頃に見たらトラウマになりそう。どちらもB級パルプフィクションの匂いがする。

「『暗闇のスキャナー』はシステムという怪物に個人が食い尽くされる「人間やめますか?」なコールドチリンなドラッグ小説。ディックは人類という墓標に捧げる悲しきレクイエム、極北で極生のエクストリーム体験だ。」

これはリニューアルする前のカルチャー雑誌「TOKION」の何号だったか、編集のNさんに依頼されて「極北」という特集に寄せた短いテキスト。この小説はシステムと個人の残酷で無慈悲な関係(リンクレイターは赤狩りを例に出していたが、小説が生まれた当時の冷戦体制も背景にある)としても読めると思う。

「スキャナー・ダークリー」についてはついつい厳しい見方になってしまったが、DVDで近々もう一度観直したいと思っている。

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