2008/09/10

地唄舞はおもしろい


前回のエントリーで紹介した俵野枝さんの公演「火の番をする女」を観に行った。(9.16追記)

谷中の大雄寺(だいおうじと読む)は大きなお寺ではないが、お堂の天井からぶら下がってる灯りが唐草文様でどことなくハイカラだったりと、居心地がいい。庭から鈴虫の声が聞こえ、二日間共、舞の最中に雷まで鳴って、幽玄な空間を生み出す舞台装置としてはほぼ完璧だった。

目と鼻の先で観る舞はゾクゾクするほど素晴らしかった。野枝さんの舞は地唄舞というそうだ。自分は日本の古典芸能についてまったくと言っていいほど無知なので、ググった生半可な情報で復習してみる。

以下、メモ。


地唄舞は上方舞と呼ばれることが多く、その名の通り、関西で生まれた舞の総称で、関東で生まれた日本舞踊とは成り立ちが違う。

地唄舞は能の影響が強く(さらに人形浄瑠璃や歌舞伎からも影響を受けている)、日本舞踊は歌舞伎の影響が強い。前者は静的で後者は動的。

舞と踊り(日本舞踊)の違いは、「舞は旋回する静かな動きから“舞”」、「踊りは歌舞伎芝居の大きな舞台で発達したもので、動きが大きく飛び跳ねることから“踊り”」と呼ばれる。

近世・江戸時代に始まった舞は、関西という土地柄、船場の商人がお座敷の酒宴に持ち込んだものであり、屏風を立てた一畳ほどの狭い空間でも踊れるように、ホコリが立たないように静かに舞ったのだという。

このように上方舞は座敷舞とも呼ばれ、土地ごとの流行り唄「地唄」に振りをつけたので地唄舞とも呼ばれている。そのルーツは室町時代まで遡り、その当時の組歌(長唄)や民謡や流行歌が洗練されたものだという。

上方舞で最も古い流儀とされる山村流の舞は商家の子女の習い事にもなり、大阪の花柳界や一般家庭にも浸透し、その様子は谷崎潤一郎の「細雪」にも描かれている。

上方舞の代表的な演目(曲?)は、「雪」(「細雪」に登場)「黒髪」(今回の野枝さんも舞った曲)「こすのと」などが有名。しっとりした風情とワビ・サビを感じさせる趣がある。


ここからは実際に公演を見た僕の勝手な感想である。

地唄舞は限られたミニマルな空間を縦横無尽に使いこなす。お寺の(僕ら一般客も出入りした)入り口を含め、本堂には3方向の出入り口があり、野枝さんはそれらを行ったり来たりする。歌舞伎の舞台のようなハッキリした区別はなく、同じ空間を舞う人と客人が共有する。お寺の入り口やその反対側にある仏像が納められた正面には移動式の屏風が置かれ、空間を開く/閉じるという役割を果たす。

道具も最小限で、衣装以外では、ロウソク(燭台)、傘、衣装の一部としての扇子のみ。傘や頬かむり(一枚布でケープというかマントというかなんと言えばいいのか?)は半透明=トランスパレントで見られることを意識している。傘は舞台の袖からスタッフによって投げ出される(帯のような道具を使って床をローリングさせる)という演出にビックリする。また、舞台の袖(出入り口)から帯を少しづつ引っ張りだして腰に巻いていくという演出もあった。

本堂の中心を二方から客席がはさむようになっていて、舞う人は360度から見られることになる。おそらくお座敷で発展した芸事なので、そもそも大舞台のように一方向から眺めるという作りではないと思われる。自分は左右の席でそれぞれ鑑賞したが、実際、まったく違うものを観ている気がした。左右のどちらかに比重が傾く体のクセがあると野枝さんは言っていたが、なんとなくわかる気がする。

能や人形浄瑠璃の影響はシロート目で見ても顕著だと思う。それぞれの動きと止めが生む緊張感がものすごく、舞う人は人形に成り切っていると思わせる瞬間がある。押井守が「イノセンス」で探求したメタファー(暗喩)としての人形ではなく(あれはどっちかというと西欧における人形観ではないだろうか?)、肉体そのものを魂が空っぽの人形と化すことではじめて、物語の魂を封じ込めるというか。

つまり、個性やアイデンティティやエゴを離脱することではじめてアートとして成立するという普遍的なルールを、あくまで観念的にではなく肉体の鍛錬として、それぞれの舞のパーツを無心にからだで即物的に会得するという行為によって我がものにするという感じがする。舞がはじまる前には、胡蝶さんという人形作家の人形(とてもゴスな雰囲気)が飾られていた。

地唄舞の成り立ちでわかるように、元々は酒宴の場で洗練されてきた艶やかさがある。初日は、赤坂で芸者さんをやっているという野枝さんの妹さんが舞台上で着物の着替えを手伝う場面があり(「後見」というそうだ)、明かりが消えた中で着物が少しづつ抜き取られ、また身にまとわれる姿がとてもエロティックだった。狭い空間、舞う人がひとり、衣装や道具も最小限、それらのミニマルな要素が、そこでしか生まれない生々しいテンションになっているのだろう。もちろん、基本となる舞が優れていることが前提ではある。

・・・ということで、谷崎の「陰翳礼賛」や九鬼周造の「いきの構造」を読み直してみたくなった。この二冊は学生時代に読んで感銘を受けたものだが、いま読むとまた違った見方ができるかもしれない。ありがちな日本回帰ではないが、自分が生まれた国にこのようなアートが綿々と続いていまも更新されているサマを目の当たりにできた貴重な機会だった。野枝さんの舞はかなりオリジナルで古典から離れていくヤンチャな要素もあると思うので、今回の演目がどこまで古典でどこまで野枝さんのオリジナルなのか判然としないまま、このエントリーを書いている。

9.16追記。

後日、野枝さんに会って、今回披露された3つの舞の内、「黒髪」はほぼ古典に忠実、「葵の上」は能と歌舞伎をミックス、「ゆき」はオリジナルに近いことを確認。僕は「ゆき」が衣装も含めて一番モダンに感じたのだけど、その直感は間違ってはいなかったみたい。もちろん、古典だから古臭く見えるとかそういう次元の話ではなく、伝統と現在が一人の人間の中に渾然一体となって表現されていることが重要なのだと思う。彼女の場合、舞はその時その時で即興性がかなり高いそうだ。

僕を含め古典芸能に明るくないお客さんも多いと思うので、次回やる時は、誰かが解説してくれたり、ペラの紙切れでもいいので意図を伝えるテキストを渡したりすると、もっと理解が深まるのではないかと伝えた。おせっかいかもしれないが、あの場所でしか成立しない一回性のイベントなので、そういうフォローがあってもいいなと思ったからだ。

イベントの写真がnoe_tawara Photo Gallery by xavi comas at pbase.comにアップされたので興味ある方はご覧ください。

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