2008/07/25

カットアップ・ダンスの憂鬱

あくまで噂のレベルでしかないのだが、アクフェンも砂原良徳も現在、鬱状態だという。どの程度の鬱なのか、創作もできないほどひどいものなのかは憶測するしかないのだが、両者とも新作がリリースされていないところを見ると、噂は本当かもしれないと思う。カットアップ/コラージュをダンス・ビートに乗せるという手法を洗練された高みにまでブラッシュアップさせた二人だが、カットアップという濃密に圧縮されたタイム感覚を操るというのは、想像以上にタフな作業ではないかと思う。さまざまな音を同じ土俵に上げて並べる、音の序列を無効化するという行為は、圧倒的な解放感を(ある嗜好性/指向性を持った)聞き手に与えてくれるドラッグのような快楽であるのは確かであり、知覚への刺激が多すぎる分、破壊力も大きい。同じく偏執狂的なカットアップを得意とするマトモス(ときどきダンス・ミュージック、基本はエクスペリメンタル)がそういったスランプに陥らないように見えるのは、彼らがひとりではなくふたりのユニットだからか?

カットアップ・ダンスの異様なテンションは、ぷつっとある瞬間、ヒモが切れるように途切れる。音が即時的に現れては消える、そうしたモーメントをカオスもろとも引き受け一定のビートでひたすらキープするのだから、そのハイなテンションを持続させる方がムズかしいのは火を見るより明らかだろう。聞き手は曲やアーティストを気分に合わせて切り替えられるが、作り手はそうも行かないという、身も蓋もない事実だってあるわけで。いま、MADムーヴィとかその手のマッシュアップには事欠かないし、ホラー/サスペンス映画を筆頭にめまぐるしいスピードでカットアップ/コラージュを挿入する手法は巷にあふれかえっている。もはや食傷気味と言っていいし、脊髄反射的な刺激をあおりすぎていて感覚が麻痺している状況が一方にある。そして、それらが優れているかどうかという価値判断は別にして、情報空間をスクイーズ=絞って、スクランブル=かき混ぜるカットアップ/コラージュには、「虚無」というか「虚構」そのものが孕む怖さがある気がする。誰もが常にそれに耐えられるわけではない。

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