「トム・ダウド/いとしのレイラをミックスした男」を観た。
アトランティック・レーベルのエンジニア、トム・ダウドのドキュメンタリー。映画が始まって早々に、矢継ぎ早にコード進行をミュージシャンに指示するトム・ダウドの姿が映され、卓を黙々といじる人というエンジニアに対する固定観念は破られる。アグレッシブで外向的なニューヨーカー。そんな印象だ。彼はエンジニアであると同時に、ミュージシャンと積極的にコミュニケートするプロデューサーであり、知識豊富な音楽家だった。以下、メモ。
1942年から1946年までは、コロンビア大学で原子爆弾の研究を受注され、携わる。
1947年に原子物理学者になることをあきらめ、音楽業界〜アトランティックに入る。
アーメット・アーティガンと共にアトランティックの屋台骨だったトム・ウェクスラーは元々ビルボード誌のライターで、「人種(レース)・ミュージック」という呼称をR&Bに変えた。
プロデューサーのフィル・ラモーンはトムの先輩であり良きアドバイザーだった。
トムはベースを弾ける音楽家でもあり、それまで録音レベルが小さかったベースを大きくすることに貢献した。
ダイレクト・カット、カッティング・マシンでアセテート盤に直接録音する時代で、トムは「教授」と呼ばれる老技師のアシスタントだった。
「録音とミキシングが同時だった」=編集が不可能だったと、アトランティック元社長アーメット・アーティガン。
1948〜49年にスタジオに磁気テープ(オープンリール)が導入される。
当時のレコーディング用の卓はラジオからの払い下げが多く、それらをトムが改良したカスタムだった。
トムはそれまでの扱いにくいノブ(ダイヤル式)をスライド式に変えた。ということはフェーダーを発明したのもトム!?
1950年代、誰よりも早く自宅で8トラックによる多重録音を行っていたレス・ポールという先駆者がいて、トムはスタジオで初めてアンペックスの8トラックを導入。いわゆるダビングが本格的に可能になる。(レス・ポール - Wikipediaによると、アンペックスの8トラックはレス・ポールの全面的協力で1952年に発売された)
8トラックの導入で、すぐにその場で判断する必要がなくなり、「選択」という行為が可能になった。
1967年、イギリスのジョージ・マーティンのスタジオを訪ねるが、彼らはまだ4トラックだったそう。
個人的にはマルチトラック・レコーディングの歴史をなぞるような前半が面白く、サザン・ロック、ブルース・ロックの影の立役者としてのトムを映す後半は少し退屈だった(ハイライトは「いとしのレイラ」の制作エピソードなのだろう)。原爆=マンハッタン計画との関わりは思ったよりアッサリと描かれていて残念。シンセサイザーは元より、テクノロジーをひも解いていくと軍事技術に突き当たる。トムがひとりの人間として音楽と戦争テクノロジーの両方に深く関わっていたというのは、やはり凄いことなのだ。
アトランティックの音を体現したもうひとりの男、アリフ・マーディンの姿が見れたのもうれしい(登場シーンはちょっとだが)。調べたら、2006年に亡くなっていた。憧れの人だった。ブッカー・T&MG'sの演奏、素のアレサ・フランクリンが見れる録音風景も印象に残る。映画のラストで、トムがアーヴィング・バーリンの曲をピアノで弾くのだけれど、なんと良い曲なのだろう。ラグタイムとジャズがシンプルに料理されていて洒脱。黒人音楽を大衆音楽に橋渡し=翻訳したのはモータウンとアトランティック。後者の秘密の一部を確認できた。
2007/12/10
2007/12/08
DJ Based On Base: DJカルチャーのタイムスケール
Radio Sound Painting 12月度放送のこぼれ話です。
放送後のリラックスした雰囲気の中、DJ KIYAMAさんがなぜか披露してくれた日本で最長のDJの話。KIYAMAさんはDJ歴約30年で、六本木か新宿かというディスコ時代の二大潮流の中では六本木派に属し(渋谷や西麻布や品川埠頭はその後)、彼の先輩がおそらく最長老で37,8年、DJしているということらしいです。海外はともかく、日本ではだいたいそのくらいのタイムスケールになるのでしょう。さらに、沖縄には伝説の御年60代のDJがいるそうです。沖縄基地=ベースをベースにして、自分のレギュラーDJのハコを持っていれば、たとえ一年一回しかDJしなくても持続しているとカウントされるのでは?という話には頷いてしまいました。ベースをベースにしたベーシックな小説というのは、初期の村上龍のキャッチフレーズです。アメリカで生まれたDJの創世記はだいたい70年代、もっと遡ると50年代のラジオのディスクジョッキーに行き着くというのが通説です。しかし、実際はもっと曖昧で不確かな状態がそこここにあったのではないかと。
以前、インドープサイキックスのCDリリース当時、DJ KENSEIに取材した際(環八沿いのカフェ、D&DEPARTMENTが取材場所でした、KENSEIが多摩川の近くに住んでいた頃です)、ディスコの奥深さについて非常に面白い内容を聞けたのですが、残念ながらその原稿は諸事情によりボツになってしまいました。ディスコを通ってるかどうかでその人の出す音の説得力が違うというのは、ひとつあるのかなという気がします。ディスコというのは、酸いも甘いもひっくるめて引き受けるというか、その人の趣味やセンスうんぬんの前にまず「現場」があり、否応なく、見ず知らずのお客を踊らさせる、楽しませるという命題があるワケで、そこで鍛えられる現場感覚と、今のタコツボ的な環境で同じカルチャーに身を浸す仲間と楽しむパーティというのはやはり違ってくるのは当然です。どっちが良いか悪いかはまた別問題ですが。
OPENERS - DJ KIYAMA×SHIBUYA-FM 78.4MHz | SHIBUYA-FM
放送後のリラックスした雰囲気の中、DJ KIYAMAさんがなぜか披露してくれた日本で最長のDJの話。KIYAMAさんはDJ歴約30年で、六本木か新宿かというディスコ時代の二大潮流の中では六本木派に属し(渋谷や西麻布や品川埠頭はその後)、彼の先輩がおそらく最長老で37,8年、DJしているということらしいです。海外はともかく、日本ではだいたいそのくらいのタイムスケールになるのでしょう。さらに、沖縄には伝説の御年60代のDJがいるそうです。沖縄基地=ベースをベースにして、自分のレギュラーDJのハコを持っていれば、たとえ一年一回しかDJしなくても持続しているとカウントされるのでは?という話には頷いてしまいました。ベースをベースにしたベーシックな小説というのは、初期の村上龍のキャッチフレーズです。アメリカで生まれたDJの創世記はだいたい70年代、もっと遡ると50年代のラジオのディスクジョッキーに行き着くというのが通説です。しかし、実際はもっと曖昧で不確かな状態がそこここにあったのではないかと。
以前、インドープサイキックスのCDリリース当時、DJ KENSEIに取材した際(環八沿いのカフェ、D&DEPARTMENTが取材場所でした、KENSEIが多摩川の近くに住んでいた頃です)、ディスコの奥深さについて非常に面白い内容を聞けたのですが、残念ながらその原稿は諸事情によりボツになってしまいました。ディスコを通ってるかどうかでその人の出す音の説得力が違うというのは、ひとつあるのかなという気がします。ディスコというのは、酸いも甘いもひっくるめて引き受けるというか、その人の趣味やセンスうんぬんの前にまず「現場」があり、否応なく、見ず知らずのお客を踊らさせる、楽しませるという命題があるワケで、そこで鍛えられる現場感覚と、今のタコツボ的な環境で同じカルチャーに身を浸す仲間と楽しむパーティというのはやはり違ってくるのは当然です。どっちが良いか悪いかはまた別問題ですが。
OPENERS - DJ KIYAMA×SHIBUYA-FM 78.4MHz | SHIBUYA-FM
Radio Sound Painting 2007.12
12月度のプレイリストはコチラです。
Jjplvdnb - Jean Jacques Perry & Luke Vibert
ここ数年ディスコやアシッドに傾倒していたルーク・ヴァイバートと70代のジャン・ジャック・ペリーのコラボレーション。コラボやフィーチャリングにはいい加減飽き飽きしている自分でも、この組み合わせには必然を感じました。以前、ルークとギタリストのB.J.コールがコラボした作品(双方の相性がよいエキゾな佳作)は、デヴィッド・トゥープが仕掛人というか二人を引き合わせていたんだけど、今回も影の立役者がいるのだろうか。そんな余計な詮索はともかく、「Moog Acid」というタイトル通りの明快なキャラクターが刻まれた作品です。いわゆるアシッド色はやや薄かったかも。シンセサイザーの活き活きとした「うたってる」響き、繊細でいて豪快なアーティキュレーションはやはりサンプリングでは出せないと当たり前のことを再認識させます。アルバム中、最も「エレクトリカル・パレード」を彷彿とさせるこの曲を選びました。
Remix Of Nothing (Cut Off Intro) - Daedelus
デイデラスの新作から、某大御所クルーナーのボーカルをサンプリングしたキャッチーな「Admit Defeat」と迷って、こちらにしました。「Make some noise!」という掛け声、歓声、ヘッポコなエレクトロのリズム、8ビット・ゲームのエフェクト音、エキゾティックなストリングス、8分のOddなベースライン、「This is it. This is what I say. The remix this is. This is its. The remix」というデイデラス本人の(?)ボーカル。どれもがレトロでアウェイですが、これらを一つにまとめあげ新鮮に聴こえさせる手腕は彼だけの個性でしょう。この言葉遊びは「このリミックスには原曲はない」というタイトルと呼応して、ウィットに富んでいます。ルーク・ヴァイバートもデイデラスも、ずっと陽性のユーモアとウィットのあるインティメイトなインストゥルメンタルを作り続けている。そこに惹かれます。
Dancevader Biber-Hill Pop - Kiiiiiii
僕はまったくノーマークだったのですが、ジオデジック下城さんと某Jで雑談してる時に「いままたスカムがキテますよ」と教えてもらったのがKiiiiiiiの「Al&BUM」でした。カラフルな音色、巧みな展開、歌心を満載。試聴してすぐ気に入り紹介することになった次第。スカムかどうかはわからないけれど、なんとなく僕も大好きな映画「ゴースト・ワールド」を思わせるジャンクでトラッシーなガール・パワーを感じます。ハルカリやバッファロー・ドーターやピーチズやチック・オン・スピードや懐かしいリオのような活きのいいガールズ・ポップとして、素直に聴くのが一番かと。ガーリーと書くと、一気に90年代にリワインド。ライオット・ガールズも遠くなりにけり。そういえば、スリッツとエイドリアン・シャーウッドのジョイント・ライブは行けなかったけれどどうだったんだろう? やはりレゲエ色が強かったんだろうか。さておき。「Al&BUM」の中でも特にオールドスクール・エレクトロ色の強いこの曲を選びました。モロにグランドマスター・フラッシュなフロウ、ダースベイダーのメロディも中盤で登場します。他に「Hot But Milky Like Hot Milk」「Kiiiiiii For Any Occasion...Or Just For Fun !」「Hello Darkness」(この曲はストロベリー・スイッチブレイドそのもの・・)も素晴らしい楽曲です。音楽を楽しんでるのが直に伝わってきます。DJの時はマイケル・ジャクソンをかけるそう。いいなぁ。昔から女の子の等身大で真っ直ぐでウソのない表現には脊髄反射的に反応してしまいます。
サマー・クリアランス・セール - Best Music
HIM&ウルトラ・リヴィングのライブに行った際、ライターの福田教雄さんにサンプル盤をいただきました。なんとも脱力なジャケと中身にノックアウトされました。あえて何度も取り出して聴くかと言われればノーなんだけれど、存在自体がポップアートな貴重な一枚。モンドやミューザック(MUZAK)として分類されそうですが、こういうのは作り手がフザけて冗談っぽくやるのではなくマジに振り切れないと(今の時代感としても)面白くありません。小田島等さんはすこぶるマジなんだと思います。細野しんいちさんの音作りも堂に入ってます。インナーに寄せた福田さんの解説がよかったです(是非、読んでみてください)。そういえば、アトムハートもスーパーマーケットの音楽をテーマにアルバムを作りたいと数年前に言っていた。普段、センスが良いと思い込んでる僕らの音楽生活を反証するために。ユーモアというのは批評精神そのもの。僕の中では、KiiiiiiiもBEST MUSICもつながっています。
15 Step - Radiohead
「In Rainbows」の中から冒頭のエレクトロニカ色が唯一強いこのナンバーを選びました。今回の選曲はmessyでケオティックな曲ばかりです。最近、「Radiodread」や「Exit Music」といったカバー・アルバムで、レディオヘッドの楽曲の良さを再認識していたところです。 レゲエになってもR&Bになっても、どう料理されても芯にメロディが残っている。こういう音楽はやはり強い。Hostessにいただいた資料によると、「In Rainbows」は120万ダウンロードを記録し、平均4ポンド(950円)をユーザーが支払ったそうです。関連エントリーはコチラ。
Ether - Jay Tram
マイアミのベータ・ボディガの近作は、この作品とかEpstein & El Conjuntoもそうだけれど、柔らかい、断片的な心象風景、サウンドスケープというか身の回りのサラウンドスケープを描き出すような方向性にシフトしてきてるのかなと思いました。一方で、ヒップホップという核は持続しています。Jay Tramは、選ぶ音にロックとジャズがちょうどよく混在していて、エーテル=Etherというこの楽曲は、空気や水のような浮遊感とエレクトリック・マイルスのようなフリーフォームを感じさせます。あと、ここ最近の潮流としてのサイケデリック色が濃い。ラストの「Work Song」はメディテーション・ミュージックのような酩酊感があります(短いのが残念)。内側に向かいつつも自閉しないで開かれているというか、全体としてはどこにも行き着かない3分くらいのスケッチを集めたような感触は、スペンサー・ドーランにも通じるものがあります。と、思わず分析してしまいたくなりますが、こういう傾向はしばらく続きそうです。
Umoja (Unity) - The Jahari Massamba Unit Feat. Karriem Riggins Trio
今年聴いたアルバムの中でもガツンと来た一枚(僕は、今年のベスト的なものがあまり好きではないし、そこまで多くのアルバムを聴き比べてもいないので、あくまで、現時点での、というくらいの軽い感じでとらえて下さい)。もはや埃っぽいスモーキーなブレイクビーツというカテゴリーも必要ないようなマッドリブ/YNQの新作です。DJやトラックメイカーがジャズ・ミュージシャンと組むと、結果はあまりよろしくないというか、予想以上の化学反応は生まれにくいというのが僕の正直な感想ですが(こちらの期待値が高すぎるのかもしれません)、このアルバムにあふれた才気はそういう邪心を軽く超えた音楽としての極めて真っ当なプレゼンテーションが為されています。フェイクがフェイクを超える瞬間というか(ブレイクビーツがフェイクで生ジャズが本物だとかそういうことではなく)、オーセンティックとエキセントリックの狭間を自由に行き来することが、時代と並走する現在進行形の音楽の特権でもあり、また、自明の命題だと思いますが、ここにはその一つの解答があるのではないかと言ってしまいたくなります。まさに、イエステデイでニューなクインテットというコンセプトを具現化した内容。「Upa Neguinho」や「Barumba」や「Bitches Brew」といった耳慣れたナンバーのカバーも耳を引きますが、ジャズ・ドラマー/プロデューサーのカリム・リギンスがスリリングなドラミングを聴かせるこの曲を選びました。
その他、Jonathan Krisp、Sub Version、Alf Emil Eik、The Durutti Column、Michael Fakeschなどがかけられなかったので、また次回。
Jjplvdnb - Jean Jacques Perry & Luke Vibert
ここ数年ディスコやアシッドに傾倒していたルーク・ヴァイバートと70代のジャン・ジャック・ペリーのコラボレーション。コラボやフィーチャリングにはいい加減飽き飽きしている自分でも、この組み合わせには必然を感じました。以前、ルークとギタリストのB.J.コールがコラボした作品(双方の相性がよいエキゾな佳作)は、デヴィッド・トゥープが仕掛人というか二人を引き合わせていたんだけど、今回も影の立役者がいるのだろうか。そんな余計な詮索はともかく、「Moog Acid」というタイトル通りの明快なキャラクターが刻まれた作品です。いわゆるアシッド色はやや薄かったかも。シンセサイザーの活き活きとした「うたってる」響き、繊細でいて豪快なアーティキュレーションはやはりサンプリングでは出せないと当たり前のことを再認識させます。アルバム中、最も「エレクトリカル・パレード」を彷彿とさせるこの曲を選びました。
Remix Of Nothing (Cut Off Intro) - Daedelus
デイデラスの新作から、某大御所クルーナーのボーカルをサンプリングしたキャッチーな「Admit Defeat」と迷って、こちらにしました。「Make some noise!」という掛け声、歓声、ヘッポコなエレクトロのリズム、8ビット・ゲームのエフェクト音、エキゾティックなストリングス、8分のOddなベースライン、「This is it. This is what I say. The remix this is. This is its. The remix」というデイデラス本人の(?)ボーカル。どれもがレトロでアウェイですが、これらを一つにまとめあげ新鮮に聴こえさせる手腕は彼だけの個性でしょう。この言葉遊びは「このリミックスには原曲はない」というタイトルと呼応して、ウィットに富んでいます。ルーク・ヴァイバートもデイデラスも、ずっと陽性のユーモアとウィットのあるインティメイトなインストゥルメンタルを作り続けている。そこに惹かれます。
Dancevader Biber-Hill Pop - Kiiiiiii
僕はまったくノーマークだったのですが、ジオデジック下城さんと某Jで雑談してる時に「いままたスカムがキテますよ」と教えてもらったのがKiiiiiiiの「Al&BUM」でした。カラフルな音色、巧みな展開、歌心を満載。試聴してすぐ気に入り紹介することになった次第。スカムかどうかはわからないけれど、なんとなく僕も大好きな映画「ゴースト・ワールド」を思わせるジャンクでトラッシーなガール・パワーを感じます。ハルカリやバッファロー・ドーターやピーチズやチック・オン・スピードや懐かしいリオのような活きのいいガールズ・ポップとして、素直に聴くのが一番かと。ガーリーと書くと、一気に90年代にリワインド。ライオット・ガールズも遠くなりにけり。そういえば、スリッツとエイドリアン・シャーウッドのジョイント・ライブは行けなかったけれどどうだったんだろう? やはりレゲエ色が強かったんだろうか。さておき。「Al&BUM」の中でも特にオールドスクール・エレクトロ色の強いこの曲を選びました。モロにグランドマスター・フラッシュなフロウ、ダースベイダーのメロディも中盤で登場します。他に「Hot But Milky Like Hot Milk」「Kiiiiiii For Any Occasion...Or Just For Fun !」「Hello Darkness」(この曲はストロベリー・スイッチブレイドそのもの・・)も素晴らしい楽曲です。音楽を楽しんでるのが直に伝わってきます。DJの時はマイケル・ジャクソンをかけるそう。いいなぁ。昔から女の子の等身大で真っ直ぐでウソのない表現には脊髄反射的に反応してしまいます。
サマー・クリアランス・セール - Best Music
HIM&ウルトラ・リヴィングのライブに行った際、ライターの福田教雄さんにサンプル盤をいただきました。なんとも脱力なジャケと中身にノックアウトされました。あえて何度も取り出して聴くかと言われればノーなんだけれど、存在自体がポップアートな貴重な一枚。モンドやミューザック(MUZAK)として分類されそうですが、こういうのは作り手がフザけて冗談っぽくやるのではなくマジに振り切れないと(今の時代感としても)面白くありません。小田島等さんはすこぶるマジなんだと思います。細野しんいちさんの音作りも堂に入ってます。インナーに寄せた福田さんの解説がよかったです(是非、読んでみてください)。そういえば、アトムハートもスーパーマーケットの音楽をテーマにアルバムを作りたいと数年前に言っていた。普段、センスが良いと思い込んでる僕らの音楽生活を反証するために。ユーモアというのは批評精神そのもの。僕の中では、KiiiiiiiもBEST MUSICもつながっています。
15 Step - Radiohead
「In Rainbows」の中から冒頭のエレクトロニカ色が唯一強いこのナンバーを選びました。今回の選曲はmessyでケオティックな曲ばかりです。最近、「Radiodread」や「Exit Music」といったカバー・アルバムで、レディオヘッドの楽曲の良さを再認識していたところです。 レゲエになってもR&Bになっても、どう料理されても芯にメロディが残っている。こういう音楽はやはり強い。Hostessにいただいた資料によると、「In Rainbows」は120万ダウンロードを記録し、平均4ポンド(950円)をユーザーが支払ったそうです。関連エントリーはコチラ。
Ether - Jay Tram
マイアミのベータ・ボディガの近作は、この作品とかEpstein & El Conjuntoもそうだけれど、柔らかい、断片的な心象風景、サウンドスケープというか身の回りのサラウンドスケープを描き出すような方向性にシフトしてきてるのかなと思いました。一方で、ヒップホップという核は持続しています。Jay Tramは、選ぶ音にロックとジャズがちょうどよく混在していて、エーテル=Etherというこの楽曲は、空気や水のような浮遊感とエレクトリック・マイルスのようなフリーフォームを感じさせます。あと、ここ最近の潮流としてのサイケデリック色が濃い。ラストの「Work Song」はメディテーション・ミュージックのような酩酊感があります(短いのが残念)。内側に向かいつつも自閉しないで開かれているというか、全体としてはどこにも行き着かない3分くらいのスケッチを集めたような感触は、スペンサー・ドーランにも通じるものがあります。と、思わず分析してしまいたくなりますが、こういう傾向はしばらく続きそうです。
Umoja (Unity) - The Jahari Massamba Unit Feat. Karriem Riggins Trio
今年聴いたアルバムの中でもガツンと来た一枚(僕は、今年のベスト的なものがあまり好きではないし、そこまで多くのアルバムを聴き比べてもいないので、あくまで、現時点での、というくらいの軽い感じでとらえて下さい)。もはや埃っぽいスモーキーなブレイクビーツというカテゴリーも必要ないようなマッドリブ/YNQの新作です。DJやトラックメイカーがジャズ・ミュージシャンと組むと、結果はあまりよろしくないというか、予想以上の化学反応は生まれにくいというのが僕の正直な感想ですが(こちらの期待値が高すぎるのかもしれません)、このアルバムにあふれた才気はそういう邪心を軽く超えた音楽としての極めて真っ当なプレゼンテーションが為されています。フェイクがフェイクを超える瞬間というか(ブレイクビーツがフェイクで生ジャズが本物だとかそういうことではなく)、オーセンティックとエキセントリックの狭間を自由に行き来することが、時代と並走する現在進行形の音楽の特権でもあり、また、自明の命題だと思いますが、ここにはその一つの解答があるのではないかと言ってしまいたくなります。まさに、イエステデイでニューなクインテットというコンセプトを具現化した内容。「Upa Neguinho」や「Barumba」や「Bitches Brew」といった耳慣れたナンバーのカバーも耳を引きますが、ジャズ・ドラマー/プロデューサーのカリム・リギンスがスリリングなドラミングを聴かせるこの曲を選びました。
その他、Jonathan Krisp、Sub Version、Alf Emil Eik、The Durutti Column、Michael Fakeschなどがかけられなかったので、また次回。
2007/11/15
The Big Issue
渋谷駅のバス停に降り立って、ふと目に入ったのが、プロペラをつけたベースボールキャップをかぶったおじさんの姿。彼がその場所で販売する「The Big Issue」の80号と82号を買ってみました。存在は知っていたものの、まさか、いつも通るその場所でソレが売られているとは知りませんでした。自分の視野狭窄を戒めるために、というのは全くの口実で、どんなことが書いてあるのかに興味があり、手に取ってみました。
本国の記事もあるけど、ほとんど日本オリジナル仕様のようです。ことさらエッジーではありませんが、特定の層に向けた偏向した作りではなく、読みやすくしっかりした内容です。連載では、斉藤環と料理研究家の枝本なほみの名前が。「The Big Issue」の表紙はハリウッドスターなどのセレブリティが多いのですが、ソールドアウトになった号は初期をのぞくと、アリシア・キーズ、アンパンパン&やなせたかし、ディック・ブルーナ、そして、なぜかジョニー・デップが三回もカウントされています。
80号までは200円で、81号から300円に値上がりしたとのこと。これは80号にインタビュー掲載されている「The Big Issue」創業者のジョン・バードが来日した際、日本における事情を知ってすぐに値上げさせたからとおじさんは説明してくれました。少年院暮らしをしていたこともある労働者階級のジョン・バードがボディ・ショップの社長と出会うことで生まれた「The Big Issue」。ちょっと横道にそれますが、世界の図書館で最も蔵書数が多いのは大英図書館がダントツで約10億冊。国会図書館は3000万冊(ソースはR25.jp)。規模が違う。イギリスの懐の深さ、あるいは大英帝国がいかに世界に君臨していたかを示すような数字です。
「その帽子はタケコプターですか?」とおじさんに聞くと、「これはプラスチックで出来てるからプラコプターなんだよ」と笑いながら答えが返ってきました。高田馬場のホームセンターで50円で売られていたというこの帽子のおかげで声をかけてもらうことが増えたそうです。失礼ですが、彼のファンキーな格好で想起したのが、大友克洋の「童夢」に出てくる超能力者の老人です。社会的弱者と見なされている者がガラクタやガジェットを収集して身を飾ったり自分の王国を作るというのは、本来の対抗文化のひとつの構成要素としてあるのでしょう。僕のホームレスに対するイメージがおじさんと話すことで変わりました。
いま、この文章を書きながらiTunesのパーティシャッフルで曲を聴いていたら、英国人のミニマリスト、ギャビン・ブライヤーズの「Jesus' Blood Never Failed Me Yet」が流れてきました。「イエスの血は決して私を見捨てないだろう」というホームレスの歌がループしてコーラスやストリングスが重なっていくとても物悲しく陰鬱な曲です。毎日聴きたいという曲ではありません。ただのムード・ミュージックとして消費されないプレゼンスのある曲です。この偶然にはビックリしました。
本国の記事もあるけど、ほとんど日本オリジナル仕様のようです。ことさらエッジーではありませんが、特定の層に向けた偏向した作りではなく、読みやすくしっかりした内容です。連載では、斉藤環と料理研究家の枝本なほみの名前が。「The Big Issue」の表紙はハリウッドスターなどのセレブリティが多いのですが、ソールドアウトになった号は初期をのぞくと、アリシア・キーズ、アンパンパン&やなせたかし、ディック・ブルーナ、そして、なぜかジョニー・デップが三回もカウントされています。
80号までは200円で、81号から300円に値上がりしたとのこと。これは80号にインタビュー掲載されている「The Big Issue」創業者のジョン・バードが来日した際、日本における事情を知ってすぐに値上げさせたからとおじさんは説明してくれました。少年院暮らしをしていたこともある労働者階級のジョン・バードがボディ・ショップの社長と出会うことで生まれた「The Big Issue」。ちょっと横道にそれますが、世界の図書館で最も蔵書数が多いのは大英図書館がダントツで約10億冊。国会図書館は3000万冊(ソースはR25.jp)。規模が違う。イギリスの懐の深さ、あるいは大英帝国がいかに世界に君臨していたかを示すような数字です。
「その帽子はタケコプターですか?」とおじさんに聞くと、「これはプラスチックで出来てるからプラコプターなんだよ」と笑いながら答えが返ってきました。高田馬場のホームセンターで50円で売られていたというこの帽子のおかげで声をかけてもらうことが増えたそうです。失礼ですが、彼のファンキーな格好で想起したのが、大友克洋の「童夢」に出てくる超能力者の老人です。社会的弱者と見なされている者がガラクタやガジェットを収集して身を飾ったり自分の王国を作るというのは、本来の対抗文化のひとつの構成要素としてあるのでしょう。僕のホームレスに対するイメージがおじさんと話すことで変わりました。
いま、この文章を書きながらiTunesのパーティシャッフルで曲を聴いていたら、英国人のミニマリスト、ギャビン・ブライヤーズの「Jesus' Blood Never Failed Me Yet」が流れてきました。「イエスの血は決して私を見捨てないだろう」というホームレスの歌がループしてコーラスやストリングスが重なっていくとても物悲しく陰鬱な曲です。毎日聴きたいという曲ではありません。ただのムード・ミュージックとして消費されないプレゼンスのある曲です。この偶然にはビックリしました。
2007/11/13
Bubble Architechture
最近読んだムックっぽい雑誌「バブル建築へGO!」が面白かったです。女性二人によるけんちくユニット(「建築」ではなく、「けんちく」もしくは「ケンチク」というニュアンス、わかってもらえるでしょうか?)=ぽむ企画の責任編集。僕が個人的に建築に興味を持って掘り下げていた時期に、ぽむ企画のサイトをよくナナメ読みしていました。この本ではバブル期の建築にチャチャを入れつつストレートに対象にメスを入れています。オモシロマジメという言葉を思い出しました。このノリ、どこか懐かしいというかまさにサブカル(インターネット初期のまだ整備されてない野放しの空間に近いというか、ウェブ2.0以前というか)、最近ではこういう軽快な批評をまとまった形であまり見かけないので新鮮でした。というか、ブログってこういうパーソナルな思考を一気に吸収してしまったんだなと思います(ぽむ企画の日記がブログじゃないところが象徴的)。
悪名高いM2(今は葬儀場になっている!)を作った隈研吾や磯崎新のもとでバブルを経験した青木淳など、建築家たちの証言が読みどころです。高松伸のキリンプラザ大阪が取り壊しになるという話も初めて聞きました。バブル華やかりし頃、一会社員として大阪で勤務していた時期に、リドリー・スコットの「ブラック・レイン」に登場したこの建築の中に入ったことがあります。意外とそんなに大きくなく、派手な外観に比べ中の印象はあまりなく、狭いけれどスタイリッシュなトイレがなぜか記憶に残っています。そういえば、先日亡くなられた黒川紀章のソニータワーも今は現存していません(写真はこちらが鮮明です)。もちろん、当時は黒川紀章の作品だとはツユとも知らず、心斎橋に行けば必ず立ち寄るスポットでした。フロア面積は狭かったけれど明るくソニーらしいアミューズメント空間でした。細野晴臣の「オムニサイトシーイング」を初めて視聴したのもここ・・・。ワールド・ミュージック全盛時代ですね。
実際の使われ方や企業のアプローチとしては、キリンプラザよりもソニータワーの方が一枚上手だったと推測されます。76年竣工のソニータワーの方が87年竣工のキリンプラザよりも近未来、アカルイミライだったというか。キリンプラザ大阪は良くも悪くもモニュメンタルな建物、むしろ当時から遺跡に近かったという言い方もできるでしょう。モノリシックな遺跡、ですね。「バブル建築へGO!」のインタビューで、高松伸が「ポスト・モダンの潮流と一括りにされたけれど、ポスト・モダンは歴史の引用で自分はそうじゃなかった」と発言しているのも興味深いです。それまでの建築になかった物語性や虚構性という点で、建築家が社会性ではなく極めてパーソナルな自己表現・自己表出に向かっていた点で、やはり高松伸はポスト・モダンのひとりだったのではないでしょうか。なお、ソニータワーの施工は竹中工務店だそうです。最近だと、MVRDVが手がけた表参道のGYREも竹中工務店(まだ実物を見てないけれどどうなんだろう?)。著名建築家によるケンチクが施工者側からどう見えているのか、自分がもし取材する機会があるなら聞いてみたいです。
バブル時代の建築の検証で面白いなと思ったのは、パンチング・メタルが手法として多用されたという事実。気分としてのパンチング・メタル。または、パンチング・メタルに魅せられて。バブル期の音楽で言えばなんだろう? スネアにかかったゲート・エコー? サンプリングの連打? メタリックな音色のパーカッションに代表されるインダストリアル? ちょっとわかりやすすぎでしょうか。スカスカで浮遊感のある音場構成はバブルっぽいのかもしれません。浮遊感もバブル建築の重要なキーワードです。巷の80年代リバイバリズムって肩入れしたくないような表層的なものが多い気がしますが、この本のように緻密で具体的な検証が音楽でも可能なら読んでみたいです。
恥ずかしながら、この本を読むことで、レム・コールハース以前と以降という頭でなんとなく受け止めていたことをやっと図式化できました。レム・コールハースは自律するケンチク、思弁し内向する自閉的なハイアートとしてのケンチクというバブル期のポスト・モダンの悪しき袋小路を突き破って、現実社会と向き合い闘うことでしかブレイクスルーはありえないということを身を以て実証しています。現実と知的に戯れるというようなバブル時代の生半可なレベルではなく、徹底的なリサーチとプログラミングで現実を問いただし、現実を自らの力で変えようとすること。実は、建築の一ファンに過ぎない自分がコルビュジェのような過去形の巨匠ではない人で一番インパクトを受けたのがコールハースです(僕にとって建築が他の表現より優位性があるとするなら、それは社会性の一点に尽きると思います)。
本来、アンビルトである建築が様々な社会的障壁をクリアして現実に立ち上がるというダイナミズム。コールハースは、例えば安藤忠雄に対して外国人が抱くような禅を感じさせる静かな佇まいとは対極的です。環境に馴染み、自然と同一化するのではなく、環境そのものを積極的にプログラミングする。それは傲慢さにもつながるし、植民地主義=コロニアリズムやグローバリゼーションに乗ることにもつながる。実際、コールハースの最近のプロジェクトは、中国やドバイのクライアントだったりする。でも、安易にそれを批判することは難しい。建築(に限らずですが)はリアライズしない限りは専門領域の閉ざされた言論空間、夢想の領域に留まってしまいます。グローバリズム批判は自分の足下を見ないキレイごとに陥る危険性がいつでもあるのは言うまでもなく。
理屈はともかく、北京のCCTVやドバイのリゾート都市案は、単純にこんなに奇抜で奇妙なモノが建つ=立つんだというセンセーショナルな驚きがあります。後者は古典的なSF都市の景観そのものです。極めつけは、デス・スターを思わせるドバイの物件。冷徹な思考によるケンチクが大衆的なポップ・アイコンに近づいてしまうという皮肉。どこかで見聞きしたような話です。バブル時代の東京がそうだったように、ドバイも2〜30年後には同じように懐古され、あるいは忘れ去られるのでしょうか。例えば、ザハ・ハディドの建築の優美で未来的なフォルムが、逆に形式主義者=フォルマリストに見えてしまうという嫌いがあるのに対し、コールハースの建築は受け手の「これはいい、あれはよくない」という審美眼に殴り込みをかけるようなパワーがあります。彼の建築はシンプルな直線で構成されているものが多く、直方体を切ったりズラしたり分節化したりすることで既成概念を崩すという手法が見られます。完成した建築の有無を言わせないアイコンとしての明快さ、力強さが驚きにつながるのでしょう。
しばらくケンチク方面の興味が薄れていた、ケンチク熱が冷めていたので(有志と「Re: 建築+エレクトロニカ」なるイベントをやったのも遠い昔のようです)、これをきっかけにコールハースの「錯乱のニューヨーク」を読み返したい気もします。ただ、あの甚大なエネルギーに立ち向かうにはもう少しこちらが充電しないと。青木淳のサイトに書いてあった「面白いことなら何でもしよう」。これもコールハースに通じるものがあります。僕自身も彼らとはまったくレベルは違いますが、ミーハーな野次馬根性を失わず、面白がることを忘れないでいようと改めて思いました。
悪名高いM2(今は葬儀場になっている!)を作った隈研吾や磯崎新のもとでバブルを経験した青木淳など、建築家たちの証言が読みどころです。高松伸のキリンプラザ大阪が取り壊しになるという話も初めて聞きました。バブル華やかりし頃、一会社員として大阪で勤務していた時期に、リドリー・スコットの「ブラック・レイン」に登場したこの建築の中に入ったことがあります。意外とそんなに大きくなく、派手な外観に比べ中の印象はあまりなく、狭いけれどスタイリッシュなトイレがなぜか記憶に残っています。そういえば、先日亡くなられた黒川紀章のソニータワーも今は現存していません(写真はこちらが鮮明です)。もちろん、当時は黒川紀章の作品だとはツユとも知らず、心斎橋に行けば必ず立ち寄るスポットでした。フロア面積は狭かったけれど明るくソニーらしいアミューズメント空間でした。細野晴臣の「オムニサイトシーイング」を初めて視聴したのもここ・・・。ワールド・ミュージック全盛時代ですね。
実際の使われ方や企業のアプローチとしては、キリンプラザよりもソニータワーの方が一枚上手だったと推測されます。76年竣工のソニータワーの方が87年竣工のキリンプラザよりも近未来、アカルイミライだったというか。キリンプラザ大阪は良くも悪くもモニュメンタルな建物、むしろ当時から遺跡に近かったという言い方もできるでしょう。モノリシックな遺跡、ですね。「バブル建築へGO!」のインタビューで、高松伸が「ポスト・モダンの潮流と一括りにされたけれど、ポスト・モダンは歴史の引用で自分はそうじゃなかった」と発言しているのも興味深いです。それまでの建築になかった物語性や虚構性という点で、建築家が社会性ではなく極めてパーソナルな自己表現・自己表出に向かっていた点で、やはり高松伸はポスト・モダンのひとりだったのではないでしょうか。なお、ソニータワーの施工は竹中工務店だそうです。最近だと、MVRDVが手がけた表参道のGYREも竹中工務店(まだ実物を見てないけれどどうなんだろう?)。著名建築家によるケンチクが施工者側からどう見えているのか、自分がもし取材する機会があるなら聞いてみたいです。
バブル時代の建築の検証で面白いなと思ったのは、パンチング・メタルが手法として多用されたという事実。気分としてのパンチング・メタル。または、パンチング・メタルに魅せられて。バブル期の音楽で言えばなんだろう? スネアにかかったゲート・エコー? サンプリングの連打? メタリックな音色のパーカッションに代表されるインダストリアル? ちょっとわかりやすすぎでしょうか。スカスカで浮遊感のある音場構成はバブルっぽいのかもしれません。浮遊感もバブル建築の重要なキーワードです。巷の80年代リバイバリズムって肩入れしたくないような表層的なものが多い気がしますが、この本のように緻密で具体的な検証が音楽でも可能なら読んでみたいです。
恥ずかしながら、この本を読むことで、レム・コールハース以前と以降という頭でなんとなく受け止めていたことをやっと図式化できました。レム・コールハースは自律するケンチク、思弁し内向する自閉的なハイアートとしてのケンチクというバブル期のポスト・モダンの悪しき袋小路を突き破って、現実社会と向き合い闘うことでしかブレイクスルーはありえないということを身を以て実証しています。現実と知的に戯れるというようなバブル時代の生半可なレベルではなく、徹底的なリサーチとプログラミングで現実を問いただし、現実を自らの力で変えようとすること。実は、建築の一ファンに過ぎない自分がコルビュジェのような過去形の巨匠ではない人で一番インパクトを受けたのがコールハースです(僕にとって建築が他の表現より優位性があるとするなら、それは社会性の一点に尽きると思います)。
本来、アンビルトである建築が様々な社会的障壁をクリアして現実に立ち上がるというダイナミズム。コールハースは、例えば安藤忠雄に対して外国人が抱くような禅を感じさせる静かな佇まいとは対極的です。環境に馴染み、自然と同一化するのではなく、環境そのものを積極的にプログラミングする。それは傲慢さにもつながるし、植民地主義=コロニアリズムやグローバリゼーションに乗ることにもつながる。実際、コールハースの最近のプロジェクトは、中国やドバイのクライアントだったりする。でも、安易にそれを批判することは難しい。建築(に限らずですが)はリアライズしない限りは専門領域の閉ざされた言論空間、夢想の領域に留まってしまいます。グローバリズム批判は自分の足下を見ないキレイごとに陥る危険性がいつでもあるのは言うまでもなく。
理屈はともかく、北京のCCTVやドバイのリゾート都市案は、単純にこんなに奇抜で奇妙なモノが建つ=立つんだというセンセーショナルな驚きがあります。後者は古典的なSF都市の景観そのものです。極めつけは、デス・スターを思わせるドバイの物件。冷徹な思考によるケンチクが大衆的なポップ・アイコンに近づいてしまうという皮肉。どこかで見聞きしたような話です。バブル時代の東京がそうだったように、ドバイも2〜30年後には同じように懐古され、あるいは忘れ去られるのでしょうか。例えば、ザハ・ハディドの建築の優美で未来的なフォルムが、逆に形式主義者=フォルマリストに見えてしまうという嫌いがあるのに対し、コールハースの建築は受け手の「これはいい、あれはよくない」という審美眼に殴り込みをかけるようなパワーがあります。彼の建築はシンプルな直線で構成されているものが多く、直方体を切ったりズラしたり分節化したりすることで既成概念を崩すという手法が見られます。完成した建築の有無を言わせないアイコンとしての明快さ、力強さが驚きにつながるのでしょう。
しばらくケンチク方面の興味が薄れていた、ケンチク熱が冷めていたので(有志と「Re: 建築+エレクトロニカ」なるイベントをやったのも遠い昔のようです)、これをきっかけにコールハースの「錯乱のニューヨーク」を読み返したい気もします。ただ、あの甚大なエネルギーに立ち向かうにはもう少しこちらが充電しないと。青木淳のサイトに書いてあった「面白いことなら何でもしよう」。これもコールハースに通じるものがあります。僕自身も彼らとはまったくレベルは違いますが、ミーハーな野次馬根性を失わず、面白がることを忘れないでいようと改めて思いました。
2007/10/25
Perfume
「Chocorate Disco」と「Polyrhythm」のトラック・メイキングについて、推測も含め分析してみました。
「Chocorate Disco」は、サビに至るまでのAメロ〜Bメロ、「チョコレート・ディスコ」と連呼するCメロ(サビ1)と「ディスコ・・・チョコレート」と連呼するDメロ(サビ2)の4パートで構成されています。2パートあるサビはシンプルなリフレインながら巧みにアレンジされ、飽きない作りになっています。ポイントは、2分38秒あたりに用意されたDメロのバリエーションでありブリッジでもある箇所で、それまでの能天気な歌謡ディスコを裏切るように、シンセ・ストリングスの泣きのコードがグッとせり上がってくるところです(ギターが控えめな音量でその効果を補強)。
このシンセはイントロ直後のCメロでも鳴っていますが、その時はオケの一部なのであまり目立たず、この劇的なターニングポイントにおける単独使用で景色が一変します。オケの一部を抜く手法はダブ〜ダンス・トラックでは常套手段です。これ以降はマイナー調のコード進行を多用してクライマックスを盛り上げています。前半までとはトラックの印象がガラッと変わってしまうのです。この後半をもっと伸ばして、エクステンデッド・ミックスにしたいと思うのはきっと僕だけではないでしょう。
「Polyrhythm」はこの手法を発展させ、バックトラック全編に渡って、空間を埋め尽くす白玉シンセ・ストリングスの嵐になっています。これってやり方次第でベタッとしたメリハリのないトラックになりがちだと思うのですが、洗練されたコード進行とメロディの良さ、ダフト・パンク譲りの自己主張するベース、お題目のポリリズムを曲のアクセントとして配することで、単調さから逃れています。Aメロ〜Bメロ(サビ1)〜Cメロ(サビ2、Bメロの変形)〜Dメロ(ポリリズム・パート)〜Aメロ〜Bメロ〜コーダ(Cメロ+Dメロ、ポリリズム・パート)という構成でより複雑です。実質はAメロとBメロしかないとも言えます。
Aメロ〜Bメロは計2回繰り返されるのですが、微妙にメロディの節回しを変えていることです。一回目のBメロでは三度目の「繰り返す」だけが頭の音程が高くなっていて、二回目のBメロでは全部同じです。一回目と二回目のAメロでは、さらに多くの変化があり、このへんが隠れたフックになっているのではないでしょうか。おそらく、ヴォーカルを録った後で(ボコーダー効果はもちろんのこと)音程を含めたエディットをかなり周到に試している気がします。ポリリズムのパートに耳が引かれがちですが、メロディの起伏もこの曲のチャームなのではないかと思います。
この2曲は制作時期が近いこともあって兄弟のような関係で、「テクノポップ」三部作から一歩踏み出したハウシーな意欲作です。ボトムが強化されたとかそういうことじゃなく、よりミニマルな楽曲構造が本来のハウスに近づいたという気がします。特に、「Polyrhythm」に漂う無常感、時間感覚・歴史感覚が融解するようなスケール感は、あくまでポップスの作法で(広義の)ミニマル・ミュージックのソレに近づいていると無茶を言ってしまいたい、そんな欲望にかられます。
「クイック・ジャパン」のPerfume特集を読むと、Perfumeがこうなったのは偶然が重なった結果であり、だからこそ、予定調和ではないエアポケット的な存在になりえたのではないかと思います。
リンク:「RadioSoundPainting 200710」
「Chocorate Disco」は、サビに至るまでのAメロ〜Bメロ、「チョコレート・ディスコ」と連呼するCメロ(サビ1)と「ディスコ・・・チョコレート」と連呼するDメロ(サビ2)の4パートで構成されています。2パートあるサビはシンプルなリフレインながら巧みにアレンジされ、飽きない作りになっています。ポイントは、2分38秒あたりに用意されたDメロのバリエーションでありブリッジでもある箇所で、それまでの能天気な歌謡ディスコを裏切るように、シンセ・ストリングスの泣きのコードがグッとせり上がってくるところです(ギターが控えめな音量でその効果を補強)。
このシンセはイントロ直後のCメロでも鳴っていますが、その時はオケの一部なのであまり目立たず、この劇的なターニングポイントにおける単独使用で景色が一変します。オケの一部を抜く手法はダブ〜ダンス・トラックでは常套手段です。これ以降はマイナー調のコード進行を多用してクライマックスを盛り上げています。前半までとはトラックの印象がガラッと変わってしまうのです。この後半をもっと伸ばして、エクステンデッド・ミックスにしたいと思うのはきっと僕だけではないでしょう。
「Polyrhythm」はこの手法を発展させ、バックトラック全編に渡って、空間を埋め尽くす白玉シンセ・ストリングスの嵐になっています。これってやり方次第でベタッとしたメリハリのないトラックになりがちだと思うのですが、洗練されたコード進行とメロディの良さ、ダフト・パンク譲りの自己主張するベース、お題目のポリリズムを曲のアクセントとして配することで、単調さから逃れています。Aメロ〜Bメロ(サビ1)〜Cメロ(サビ2、Bメロの変形)〜Dメロ(ポリリズム・パート)〜Aメロ〜Bメロ〜コーダ(Cメロ+Dメロ、ポリリズム・パート)という構成でより複雑です。実質はAメロとBメロしかないとも言えます。
Aメロ〜Bメロは計2回繰り返されるのですが、微妙にメロディの節回しを変えていることです。一回目のBメロでは三度目の「繰り返す」だけが頭の音程が高くなっていて、二回目のBメロでは全部同じです。一回目と二回目のAメロでは、さらに多くの変化があり、このへんが隠れたフックになっているのではないでしょうか。おそらく、ヴォーカルを録った後で(ボコーダー効果はもちろんのこと)音程を含めたエディットをかなり周到に試している気がします。ポリリズムのパートに耳が引かれがちですが、メロディの起伏もこの曲のチャームなのではないかと思います。
この2曲は制作時期が近いこともあって兄弟のような関係で、「テクノポップ」三部作から一歩踏み出したハウシーな意欲作です。ボトムが強化されたとかそういうことじゃなく、よりミニマルな楽曲構造が本来のハウスに近づいたという気がします。特に、「Polyrhythm」に漂う無常感、時間感覚・歴史感覚が融解するようなスケール感は、あくまでポップスの作法で(広義の)ミニマル・ミュージックのソレに近づいていると無茶を言ってしまいたい、そんな欲望にかられます。
「クイック・ジャパン」のPerfume特集を読むと、Perfumeがこうなったのは偶然が重なった結果であり、だからこそ、予定調和ではないエアポケット的な存在になりえたのではないかと思います。
リンク:「RadioSoundPainting 200710」
Prince, Pop Life
Prince - Pop Life
What's the matter with your life
Is the poverty bringing U down?
Is the mailman jerking U 'round?
Did he put your million dollar check
In someone else's box?
Tell me, what's the matter with your world
Was it a boy when U wanted a girl? (Boy when u wanted a girl)
Don't U know straight hair ain't got no curl (No curl)
Life it ain't real funky
Unless it's got that pop
Dig it
*
Pop life
Everybody needs a thrill
Pop life
We all got a space 2 fill
Pop life
Everybody can't be on top
But life it ain't real funky
Unless it's got that pop
Dig it
Tell me, what's that underneath your hair?
Is there anybody living there? (Anybody living there)
U can't get over, if U say U just don't care (Don't care)
Show me a boy who stays in school
And I'll show U a boy aware!
Dig it
*=repeat
What U putting in your nose?
Is that where all your money goes
(Is that where your money goes)
The river of addiction flows
U think it's hot, but there won't be no water
When the fire blows
Dig it
*=repeat
ポップライフ
君の人生はどうなってるの?
貧乏で落ち込んでる?
郵便屋に頭を悩ませられてる?
彼が君の100万ドルの請求書を
誰かの郵便ボックスに入れたから?
君の世界がどうなってるのか
教えてくれないかい?
お気に入りの女の子が男の子だった?
ストレートヘアはカールしないって
知らないの?
人生はポップに弾けない限りは
本当の意味でファンキーとは言えない
わかる?
(*)
ポップライフ
誰もがスリルが欲しい
ポップライフ
僕らは満たされたい
ポップライフ
誰もがトップになれるわけがない
人生はポップに弾けない限りは
本当の意味でファンキーとは言えない
わかる?
君の髪の下には何があるの?
誰か知らない人がそこに住んでいる?
「関係ないよ」と言ってる限りは負けさ
学校に居続ける子供を連れてきたら
人生に目覚めた子供を引き合わせよう
わかる?
(*)=繰り返し
君の鼻には何が入ってる?
君の持ってたお金はどこに行っちゃったの?
依存症の濁流に流されてる
燃え上がってしまえば
ホットに感じるだろうけど
水はそこにはないんだ
わかる?
(*)=繰り返し
ミディアム・テンポの軽いんだか重いんだかよくわからない、ダンスフロアでは即効力を発揮しなさそうな生ドラムの上に乗る、不安を煽るようなシンセ(プリンスのリズム感って昔からキレが良いのか悪いのか時々判断できないところがある)。いまだにこの曲の浮遊するシンセの音色をプリンスがどうやって作り出したのかがわからない。あえて調べないのは魔法が解けるのが怖いからだろう。70年代プログレとも、90年代テクノとも違う、1985年ならではの生々しいシンセ・ファンク。欲望について、消費社会で生きることについて、小気味よい比喩を並べて、リスナーを煽動するリリック。
ゴブリンが音楽を手がけた「ゾンビ」の公開は1978年で、ゾンビよりもスーパーマーケットという消費社会の象徴となる舞台そのものが恐怖の対象であるこの映画から80年代半ばくらいまでは、「Pop Life」のような物質主義の空虚さや空疎さを指摘する歌が、ある鋭さと批評性をもって成立しうる文化圏内だったということだろうか。いまもそのメッセージが陳腐にならないのは僕らが消費社会に住んでいるからで、だとしても、いまこの歌をリアルタイムで発表したらそこまでのインパクトがあるかどうか。ふと思い出したのは、ケリスの「テイスティ」収録の「The Millionaire」で、このプリンスに影響を受けたことが明らかなアンドレ3000による素晴らしい楽曲は、「5番街には愛は売ってないわ」と、よりハッキリとダイレクトに物質主義や拝金主義にノーと言っている。テーマ自体は古びない普遍性があるのだろう。メタファー(隠喩)の豊かさという点では「Pop Life」の方が上で、その醒めた視点はとても似通っている。
リンク:「オトヒトエコトバ ポップライフ序説」
リンク:「YouTube - Kelis feat. Andre 3000 - Millionaire」
What's the matter with your life
Is the poverty bringing U down?
Is the mailman jerking U 'round?
Did he put your million dollar check
In someone else's box?
Tell me, what's the matter with your world
Was it a boy when U wanted a girl? (Boy when u wanted a girl)
Don't U know straight hair ain't got no curl (No curl)
Life it ain't real funky
Unless it's got that pop
Dig it
*
Pop life
Everybody needs a thrill
Pop life
We all got a space 2 fill
Pop life
Everybody can't be on top
But life it ain't real funky
Unless it's got that pop
Dig it
Tell me, what's that underneath your hair?
Is there anybody living there? (Anybody living there)
U can't get over, if U say U just don't care (Don't care)
Show me a boy who stays in school
And I'll show U a boy aware!
Dig it
*=repeat
What U putting in your nose?
Is that where all your money goes
(Is that where your money goes)
The river of addiction flows
U think it's hot, but there won't be no water
When the fire blows
Dig it
*=repeat
ポップライフ
君の人生はどうなってるの?
貧乏で落ち込んでる?
郵便屋に頭を悩ませられてる?
彼が君の100万ドルの請求書を
誰かの郵便ボックスに入れたから?
君の世界がどうなってるのか
教えてくれないかい?
お気に入りの女の子が男の子だった?
ストレートヘアはカールしないって
知らないの?
人生はポップに弾けない限りは
本当の意味でファンキーとは言えない
わかる?
(*)
ポップライフ
誰もがスリルが欲しい
ポップライフ
僕らは満たされたい
ポップライフ
誰もがトップになれるわけがない
人生はポップに弾けない限りは
本当の意味でファンキーとは言えない
わかる?
君の髪の下には何があるの?
誰か知らない人がそこに住んでいる?
「関係ないよ」と言ってる限りは負けさ
学校に居続ける子供を連れてきたら
人生に目覚めた子供を引き合わせよう
わかる?
(*)=繰り返し
君の鼻には何が入ってる?
君の持ってたお金はどこに行っちゃったの?
依存症の濁流に流されてる
燃え上がってしまえば
ホットに感じるだろうけど
水はそこにはないんだ
わかる?
(*)=繰り返し
ミディアム・テンポの軽いんだか重いんだかよくわからない、ダンスフロアでは即効力を発揮しなさそうな生ドラムの上に乗る、不安を煽るようなシンセ(プリンスのリズム感って昔からキレが良いのか悪いのか時々判断できないところがある)。いまだにこの曲の浮遊するシンセの音色をプリンスがどうやって作り出したのかがわからない。あえて調べないのは魔法が解けるのが怖いからだろう。70年代プログレとも、90年代テクノとも違う、1985年ならではの生々しいシンセ・ファンク。欲望について、消費社会で生きることについて、小気味よい比喩を並べて、リスナーを煽動するリリック。
ゴブリンが音楽を手がけた「ゾンビ」の公開は1978年で、ゾンビよりもスーパーマーケットという消費社会の象徴となる舞台そのものが恐怖の対象であるこの映画から80年代半ばくらいまでは、「Pop Life」のような物質主義の空虚さや空疎さを指摘する歌が、ある鋭さと批評性をもって成立しうる文化圏内だったということだろうか。いまもそのメッセージが陳腐にならないのは僕らが消費社会に住んでいるからで、だとしても、いまこの歌をリアルタイムで発表したらそこまでのインパクトがあるかどうか。ふと思い出したのは、ケリスの「テイスティ」収録の「The Millionaire」で、このプリンスに影響を受けたことが明らかなアンドレ3000による素晴らしい楽曲は、「5番街には愛は売ってないわ」と、よりハッキリとダイレクトに物質主義や拝金主義にノーと言っている。テーマ自体は古びない普遍性があるのだろう。メタファー(隠喩)の豊かさという点では「Pop Life」の方が上で、その醒めた視点はとても似通っている。
リンク:「オトヒトエコトバ ポップライフ序説」
リンク:「YouTube - Kelis feat. Andre 3000 - Millionaire」
XTC, Stupidly Happy
XTC - Stupidly Happy
I'm stupidly happy
Everything's fine
I'm stupidly happy
My heart pumping wine
I'm stupidly happy
With idiot grin
I'm stupidly happy
You won't catch me in
All the birds of the air call your name as they land on my kitchen roof
All the fish in the sea do the same if you need extra proof
I'm stupidly happy
My vision is skewed
I'm stupidly happy
I'm coming unscrewed
And if the devil walks up dressed in any disguise
I take him by the collars look him in the eye
I'm stupidly happy
Now you're my defense
I'm stupidly happy
It's all making sense
I'm stupidly happy
I roll like a train
I'm stupidly happy
With you in my brain
All the lights of the cars in the town form the strings of a big guitar
I'm a giant to play you a tune for wherever you are
I'm stupidly happy
Are the words to that song
I'm stupidly happy
And nothing is wrong
And should the devil walk up with his business card out
I'll tear it to confetti with a grin and shout,
"i'm stupidly happy"
All of the time
I'm stupidly happy
Now you're mine
ステューピッドリィ・ハッピー
バカバカしいくらいに幸せ
すべてはうまくいってる
愚かしいほどにハッピー
心臓は興奮してバクバクと脈打つ
バカバカしいくらいに幸せ
痴れ者のような笑顔で
愚かしいほどにハッピー
僕はあてどなくさまよう
空飛ぶ鳥たちは僕のキッチンの庇に止まって君の名前を呼んでいる
海泳ぐ魚たちは君がどうしてもと言うなら同じことをするだろう
バカバカしいくらいに幸せ
僕の視界は歪んでる
愚かしいほどにハッピー
僕はネジが外れたままお出ましさ
悪魔がどんな変装をして歩いてきても
僕はヤツの襟首をつかんでにらみつけてやる
バカバカしいくらいに幸せ
君は僕を守ってくれる
愚かしいほどにハッピー
すべてに意味はあるのさ
バカバカしいくらいに幸せ
列車みたいに揺れながら歩く
愚かしいほどにハッピー
君といっしょなんだ、頭の中では
街中の車のライトが巨大なギターの弦をかたどる
君がどこに居ようとも君のためなら僕は巨人となって曲をつま弾く
バカバカしいくらいに幸せ
それがこの歌に捧げる言葉
愚かしいほどにハッピー
何も間違っちゃいない
悪魔が名刺を取り出し歩いてきても
僕はニヤニヤしながらそれを紙吹雪に切り裂きこう叫ぶ
バカバカしいくらいに幸せ
いつ何時でも
愚かしいほどにハッピー
いま君は僕のもの
浮き立つような酩酊感と多幸感。この曲を聞けば、その気持ちをいつ何時でも取り出すことができる。
タイトルとリリックと曲が固く手を組み、「ヒネくれた」という枕詞を外して真っ直ぐストライクに届くストローク。ひたすら単調なリフが続き、そこにさらにギターのアルペジオとコーラスが重なるだけの、シンプルの極みなレシピ。この曲の効用は、沈んだ心をも高揚させるだろう、訳知り顔をすることが恥ずかしくなるほどに。物事は実は単純であるハズなのに、不必要に複雑にしてはいないだろうか。警戒心は「愚かしい」という言葉とセットになっている。(単純さは記号やロゴやマークやピクトグラムのように明快に作用するべく立ち振る舞う。それらは死んでいるのだろうか。生きているのだろうか。いままさに語りかけようとしているのか。)
「stupidly happy」と何度も繰り返すことで、その声の伸びた語尾がやや震えながらビブラートを伴って消えていくことで、その後の余白を呼び込む。「fine」と「wine」、「skewed」と「unscrewed」、「defense」と「sense」、「train」と「brain」、「song」と「wrong」と、韻の踏み方はスムーズで心地よい。曲を形成するそれぞれのパーツはお互いを支えながら、無くてはならないものとしてそこにある。市井の日用品として見出される「用の美」。「ふつう」のフトコロの深さ。これは本質的にデザインであり、一般的なデザインの冷徹さとは無縁なエモーションがあり、そのシンプリシティに英知が潜んでいる。
リンク:「オトヒトエコトバ ステイハングリー」
I'm stupidly happy
Everything's fine
I'm stupidly happy
My heart pumping wine
I'm stupidly happy
With idiot grin
I'm stupidly happy
You won't catch me in
All the birds of the air call your name as they land on my kitchen roof
All the fish in the sea do the same if you need extra proof
I'm stupidly happy
My vision is skewed
I'm stupidly happy
I'm coming unscrewed
And if the devil walks up dressed in any disguise
I take him by the collars look him in the eye
I'm stupidly happy
Now you're my defense
I'm stupidly happy
It's all making sense
I'm stupidly happy
I roll like a train
I'm stupidly happy
With you in my brain
All the lights of the cars in the town form the strings of a big guitar
I'm a giant to play you a tune for wherever you are
I'm stupidly happy
Are the words to that song
I'm stupidly happy
And nothing is wrong
And should the devil walk up with his business card out
I'll tear it to confetti with a grin and shout,
"i'm stupidly happy"
All of the time
I'm stupidly happy
Now you're mine
ステューピッドリィ・ハッピー
バカバカしいくらいに幸せ
すべてはうまくいってる
愚かしいほどにハッピー
心臓は興奮してバクバクと脈打つ
バカバカしいくらいに幸せ
痴れ者のような笑顔で
愚かしいほどにハッピー
僕はあてどなくさまよう
空飛ぶ鳥たちは僕のキッチンの庇に止まって君の名前を呼んでいる
海泳ぐ魚たちは君がどうしてもと言うなら同じことをするだろう
バカバカしいくらいに幸せ
僕の視界は歪んでる
愚かしいほどにハッピー
僕はネジが外れたままお出ましさ
悪魔がどんな変装をして歩いてきても
僕はヤツの襟首をつかんでにらみつけてやる
バカバカしいくらいに幸せ
君は僕を守ってくれる
愚かしいほどにハッピー
すべてに意味はあるのさ
バカバカしいくらいに幸せ
列車みたいに揺れながら歩く
愚かしいほどにハッピー
君といっしょなんだ、頭の中では
街中の車のライトが巨大なギターの弦をかたどる
君がどこに居ようとも君のためなら僕は巨人となって曲をつま弾く
バカバカしいくらいに幸せ
それがこの歌に捧げる言葉
愚かしいほどにハッピー
何も間違っちゃいない
悪魔が名刺を取り出し歩いてきても
僕はニヤニヤしながらそれを紙吹雪に切り裂きこう叫ぶ
バカバカしいくらいに幸せ
いつ何時でも
愚かしいほどにハッピー
いま君は僕のもの
浮き立つような酩酊感と多幸感。この曲を聞けば、その気持ちをいつ何時でも取り出すことができる。
タイトルとリリックと曲が固く手を組み、「ヒネくれた」という枕詞を外して真っ直ぐストライクに届くストローク。ひたすら単調なリフが続き、そこにさらにギターのアルペジオとコーラスが重なるだけの、シンプルの極みなレシピ。この曲の効用は、沈んだ心をも高揚させるだろう、訳知り顔をすることが恥ずかしくなるほどに。物事は実は単純であるハズなのに、不必要に複雑にしてはいないだろうか。警戒心は「愚かしい」という言葉とセットになっている。(単純さは記号やロゴやマークやピクトグラムのように明快に作用するべく立ち振る舞う。それらは死んでいるのだろうか。生きているのだろうか。いままさに語りかけようとしているのか。)
「stupidly happy」と何度も繰り返すことで、その声の伸びた語尾がやや震えながらビブラートを伴って消えていくことで、その後の余白を呼び込む。「fine」と「wine」、「skewed」と「unscrewed」、「defense」と「sense」、「train」と「brain」、「song」と「wrong」と、韻の踏み方はスムーズで心地よい。曲を形成するそれぞれのパーツはお互いを支えながら、無くてはならないものとしてそこにある。市井の日用品として見出される「用の美」。「ふつう」のフトコロの深さ。これは本質的にデザインであり、一般的なデザインの冷徹さとは無縁なエモーションがあり、そのシンプリシティに英知が潜んでいる。
リンク:「オトヒトエコトバ ステイハングリー」
2007/10/14
Radiohead, It's Up To You
リスナーの好きな値付けでダウンロードできるレディオヘッドの新作「In Rainbows」が話題になっています。EMIとのディールが切れたということで、そういえば、90年代にもレコード会社から干されてしまったパブリック・エネミーがネットでアルバムを販売していた記憶があります。不況にあえぐ音楽業界、いいニュースは聞きませんし、先日お会いした某レコード会社のディレクターさんは「何が売れるのかサッパリわからない」と言ってました。洋楽ロックは売れず、お洒落なジャジーヒップホップは相変わらず売れているとか。一方で、アメリカではヒップホップは以前より売れなくなってきており、ゴールドやプラチナアルバムは出にくい状況だと言われています。90年代以降、チャートは白人文化から黒人文化に完全に様変わりしましたが、それもまた飽きられてきているのでしょうか。
2000年以降って、ダブディスコ、フリーフォーク、グライム、ダブステップ、バイレファンキ、バルチモアブレイクス、ニューレイブなどなど、様々なジャンルが「新しい」という宣伝文句と共に取り沙汰されているワケですが、残念ながら、個々の音に惹かれることはあっても、僕はどこにもコミットできませんでした。半年ほど前に、やはり某レーベルの方に今は「シューゲイザーが売れるんですよ」と言われた時に「へぇ」と思ったぐらいで、その後、「これだったらマイブラを聴けばいいんじゃないか」と反動的に思ったりもしました。ダブステップもピンと来ません。ジャングルが出てきた時の興奮とインパクトをどうしても超えないのです。年を取ったということもあると思います。それ以上に、00年代は音楽を取り巻く環境が大きく変わってしまい、ムーブメント自体が小粒で、似非ジャーナリスト風に言えば、そこに積極的な「意味」や「物語」を見い出すことが出来にくくなってしまいました。それでも、いつの時代も新しい音楽は生まれてくるワケで、僕は純粋なリスナーに戻った気分でそれらを聴いたり、ラジオやカフェやクラブで音を流すことの方が面白くなってしまいました。
CDが売れないという状況はiTunes Music StoreやP2Pの影響だとかなんとか言われますが、それも間違いではないと思うのですが、どんな中身のCDでも一律の価格でパッケージングされて売られるという商売のあり方に限界が来ていることの方が大きいと僕は思います。iTMSだってアルバムを曲単位にしただけで、この限界の中で商売しています。洋服も家も食べ物も、世の中のほとんどのものは流動的な値段で(多くは売る側の一方的な値付けで)売られています。CDだってヤフオクでレア度や人気度によって千円になったりウン万円になったりします。これは自由市場だから当然で、本やCDの再販制度が異常なのだと言うことも出来ます(その辺りの面倒な話についてはここでは割愛します)。ということは、システムさえ構築できれば、アーティストとリスナーが1対1で売買する、それこそフリマや原始時代の物々交換に戻るのも一つの選択肢かもしれません。「It's Up To You.(あなた次第)」とささやくレディオヘッドの勇気ある行為にはエールを送りたいと思います。
2000年以降って、ダブディスコ、フリーフォーク、グライム、ダブステップ、バイレファンキ、バルチモアブレイクス、ニューレイブなどなど、様々なジャンルが「新しい」という宣伝文句と共に取り沙汰されているワケですが、残念ながら、個々の音に惹かれることはあっても、僕はどこにもコミットできませんでした。半年ほど前に、やはり某レーベルの方に今は「シューゲイザーが売れるんですよ」と言われた時に「へぇ」と思ったぐらいで、その後、「これだったらマイブラを聴けばいいんじゃないか」と反動的に思ったりもしました。ダブステップもピンと来ません。ジャングルが出てきた時の興奮とインパクトをどうしても超えないのです。年を取ったということもあると思います。それ以上に、00年代は音楽を取り巻く環境が大きく変わってしまい、ムーブメント自体が小粒で、似非ジャーナリスト風に言えば、そこに積極的な「意味」や「物語」を見い出すことが出来にくくなってしまいました。それでも、いつの時代も新しい音楽は生まれてくるワケで、僕は純粋なリスナーに戻った気分でそれらを聴いたり、ラジオやカフェやクラブで音を流すことの方が面白くなってしまいました。
CDが売れないという状況はiTunes Music StoreやP2Pの影響だとかなんとか言われますが、それも間違いではないと思うのですが、どんな中身のCDでも一律の価格でパッケージングされて売られるという商売のあり方に限界が来ていることの方が大きいと僕は思います。iTMSだってアルバムを曲単位にしただけで、この限界の中で商売しています。洋服も家も食べ物も、世の中のほとんどのものは流動的な値段で(多くは売る側の一方的な値付けで)売られています。CDだってヤフオクでレア度や人気度によって千円になったりウン万円になったりします。これは自由市場だから当然で、本やCDの再販制度が異常なのだと言うことも出来ます(その辺りの面倒な話についてはここでは割愛します)。ということは、システムさえ構築できれば、アーティストとリスナーが1対1で売買する、それこそフリマや原始時代の物々交換に戻るのも一つの選択肢かもしれません。「It's Up To You.(あなた次第)」とささやくレディオヘッドの勇気ある行為にはエールを送りたいと思います。
2007/10/12
Oto.Hito.E.Kotoba 45
コネクトブルース
あ
ー
あ
ー
あ
ー
あ
ー
聞こえてますか?
オチたのかな?
寝ちゃった?
犬の散歩?
トイレ?
まさか
頓死
?
読み人知らずな誰
かのモノローグ
モニターの上
スクロール
していく あ
真夜中 ー
の3 あ
時 ー
あ 声
ー に
あ な
ー ら
な 0
い と
声 1
の
隙 消
間 え
て
い
く 太
平
洋
の
底
の
方
断
線
状態は
オフライン
狼煙
太鼓
手旗
手紙
電報
電話
テレパシー
エンパシー
シンパシー
シックス
センスで
ゴーズオン
ツールが変われば
ところ変わるから
プロトコルに触れ
ルールを飲み込み
新たなディスコミ
の障壁を乗り越え
クリアしなきゃク
リアにしなくちゃ
ゴラムが滅びの山
を目指したように
いとしいしとよと
心は駆り立てられ
暗がりで打ち続け
るモールス信号を
暗号解読しながら
謎めくエニグマは
あんなに近づいた
のに遠くなってく
セーブしますか?
しました心の中で
ジンジャーエール
気が抜けてもぬけ
の殻でやりすごす
無為なゼロアワー
失われた時を葬り
リセットの誘惑に
乗りまた繰り返す
再生のプログラム
終点と始点が向き
合い円環は閉じて
クライマックスは
いつまでも訪れず
焦燥感のワルツは
胸焼けする朝焼け
と共にやってくる
眠れない夜はアム
ネジアの甘い香り
忘却こそが睡眠薬
不安を味方にして
安心な僕らは旅に
出る準備をしよう
いつもの平凡な朝
であったとしても
ブランニューサン
の祝福に身を浸す
自由には抗えない
召還するか
ドアを開けるか
回復するか
全滅するか
書き換えするか
●タイトル
チームロック
●アーティスト
くるり
●プライス
3,045yen
*連載時のボツ原稿を加筆修正しました。
excerpt from くるり「ばらの花」&「LV30」
あ
ー
あ
ー
あ
ー
あ
ー
聞こえてますか?
オチたのかな?
寝ちゃった?
犬の散歩?
トイレ?
まさか
頓死
?
読み人知らずな誰
かのモノローグ
モニターの上
スクロール
していく あ
真夜中 ー
の3 あ
時 ー
あ 声
ー に
あ な
ー ら
な 0
い と
声 1
の
隙 消
間 え
て
い
く 太
平
洋
の
底
の
方
断
線
状態は
オフライン
狼煙
太鼓
手旗
手紙
電報
電話
テレパシー
エンパシー
シンパシー
シックス
センスで
ゴーズオン
ツールが変われば
ところ変わるから
プロトコルに触れ
ルールを飲み込み
新たなディスコミ
の障壁を乗り越え
クリアしなきゃク
リアにしなくちゃ
ゴラムが滅びの山
を目指したように
いとしいしとよと
心は駆り立てられ
暗がりで打ち続け
るモールス信号を
暗号解読しながら
謎めくエニグマは
あんなに近づいた
のに遠くなってく
セーブしますか?
しました心の中で
ジンジャーエール
気が抜けてもぬけ
の殻でやりすごす
無為なゼロアワー
失われた時を葬り
リセットの誘惑に
乗りまた繰り返す
再生のプログラム
終点と始点が向き
合い円環は閉じて
クライマックスは
いつまでも訪れず
焦燥感のワルツは
胸焼けする朝焼け
と共にやってくる
眠れない夜はアム
ネジアの甘い香り
忘却こそが睡眠薬
不安を味方にして
安心な僕らは旅に
出る準備をしよう
いつもの平凡な朝
であったとしても
ブランニューサン
の祝福に身を浸す
自由には抗えない
召還するか
ドアを開けるか
回復するか
全滅するか
書き換えするか
●タイトル
チームロック
●アーティスト
くるり
●プライス
3,045yen
*連載時のボツ原稿を加筆修正しました。
excerpt from くるり「ばらの花」&「LV30」
Oto.Hito.E.Kotoba 44
MrNOBODY
聴きたいものが自
由に聴ける現代。
時代とともに変化
してきた音楽の定
番。情報の多様化
や感覚の変化から
職業評論家が選出
したロックの名盤
は過去のものとな
りつつあります。
高円寺のSという
レンタルショップ
にはこんな文章が
掲げられている。
ミュージックマガ
ジンで中村とうよ
う氏がパブリック
エネミーに0点を
つけたことを僕は
今でも忘れられず
PEのノイズの塊
を非音楽的と決め
つけた彼の批判は
自分の感覚や知識
や経験を拠り所に
することの危うさ
を教えてくれた。
誰も自分が描いた
履歴から逃げられ
ない、誰でも自分
を形作ってくれた
過去は愛おしい。
変化に乗り遅れて
しまえばもう終り
と若い時分の僕は
強迫神経症のよう
に音楽を追い求め
ジャンルを横断し
ついには袋小路に
入ってしまった。
どこにも行き着か
ないこの洗練され
た高度消費社会で
ノマド=遊牧民を
気取っていた僕は
豊かさの上で胡座
をかいてただけだ
と気づいたのだ。
ダンスカルチャー
もロックも死んだ
すべてが後の祭り
ベタもメタもアゲ
もサゲもハレもケ
もキマジメもオフ
ザケもイキがった
りムキになったり
ミスリードもカン
チガイも容赦なく
時間が押し流す。
もう新しいことは
起こらないなにも
期待しない気持ち
いい音がいつでも
そばにあればいい
ハーダーゼイカム
というレゲエ映画
はそんな充足した
気分を揺さぶる。
歌手を夢見て田舎
から都会に出て来
たジミークリフ演
じるアイヴァンは
二束三文の契約で
自作の歌を録音し
ルーディーとして
夜の世界を謳歌し
犯罪に身を染めて
陽射しが降り注ぐ
浜辺であっけなく
殺されてしまう。
レペゼン=主張も
レネゲイド=裏切
りも屈辱も悦びも
プレッシャードロ
ップの抑圧もアイ
キャンシークリア
リーナウの希望も
メニーリバーズト
ゥクロスの逡巡も
ハーダーゼイカム
の覇気も夢見る人
が現実と衝突する
軌跡の中にある。
自分は特別と思う
オンリーワンより
自分は誰でもない
サムワンだと思う
そんな平凡な場所
から何かが始まる
・・・・・・・・
音は世につれ
世は音につれ
またどこかで
会いましょう
●タイトル
ザハーダーゼイカム
●アーティスト
ジミークリフ
●プライス
1,835yen
聴きたいものが自
由に聴ける現代。
時代とともに変化
してきた音楽の定
番。情報の多様化
や感覚の変化から
職業評論家が選出
したロックの名盤
は過去のものとな
りつつあります。
高円寺のSという
レンタルショップ
にはこんな文章が
掲げられている。
ミュージックマガ
ジンで中村とうよ
う氏がパブリック
エネミーに0点を
つけたことを僕は
今でも忘れられず
PEのノイズの塊
を非音楽的と決め
つけた彼の批判は
自分の感覚や知識
や経験を拠り所に
することの危うさ
を教えてくれた。
誰も自分が描いた
履歴から逃げられ
ない、誰でも自分
を形作ってくれた
過去は愛おしい。
変化に乗り遅れて
しまえばもう終り
と若い時分の僕は
強迫神経症のよう
に音楽を追い求め
ジャンルを横断し
ついには袋小路に
入ってしまった。
どこにも行き着か
ないこの洗練され
た高度消費社会で
ノマド=遊牧民を
気取っていた僕は
豊かさの上で胡座
をかいてただけだ
と気づいたのだ。
ダンスカルチャー
もロックも死んだ
すべてが後の祭り
ベタもメタもアゲ
もサゲもハレもケ
もキマジメもオフ
ザケもイキがった
りムキになったり
ミスリードもカン
チガイも容赦なく
時間が押し流す。
もう新しいことは
起こらないなにも
期待しない気持ち
いい音がいつでも
そばにあればいい
ハーダーゼイカム
というレゲエ映画
はそんな充足した
気分を揺さぶる。
歌手を夢見て田舎
から都会に出て来
たジミークリフ演
じるアイヴァンは
二束三文の契約で
自作の歌を録音し
ルーディーとして
夜の世界を謳歌し
犯罪に身を染めて
陽射しが降り注ぐ
浜辺であっけなく
殺されてしまう。
レペゼン=主張も
レネゲイド=裏切
りも屈辱も悦びも
プレッシャードロ
ップの抑圧もアイ
キャンシークリア
リーナウの希望も
メニーリバーズト
ゥクロスの逡巡も
ハーダーゼイカム
の覇気も夢見る人
が現実と衝突する
軌跡の中にある。
自分は特別と思う
オンリーワンより
自分は誰でもない
サムワンだと思う
そんな平凡な場所
から何かが始まる
・・・・・・・・
音は世につれ
世は音につれ
またどこかで
会いましょう
●タイトル
ザハーダーゼイカム
●アーティスト
ジミークリフ
●プライス
1,835yen
Oto.Hito.E.Kotoba 43
さみしいひとびと
リリーフランキー
の東京タワーが大
ヒットした陰には
母親が好きという
ことを素直に表明
しにくい屈折した
心情があるという
日本の凶悪犯罪の
発生率は50年代
から減少している
のに少年犯罪への
厳罰を求める声は
世界で一番らしい
世界中のブログの
トラフィック量を
調べると一番多い
のは日本だそうだ
DJクラッシュや
ボス・ザ・MCが
日本にはリアルな
ゲットーはないが
心の闇のゲットー
はあると発言する
ひとりでも
ふたりでも
みんなでも
さみしい
さみしくさびしい
人たちがこの国で
毎日を生きながら
どこにも届かない
想いを吸って吐く
おぎやはぎな表情
のないメガネ男子
AボーイがBダッ
シュで駆け上がる
薄っぺらく平らで
イビツな2D世界
永遠に閉じられた
アドレッセンス=
思春期のインナー
ワールドで殺戮と
破壊が繰り返され
る西島大介の漫画
カニエウエストが
村上隆のアトリエ
を訪問しナードや
ギークよりオタク
がクールと言った
かどうかは知らず
スーパーフラット
なエンプティネス
なんにもない
なんにもない
まったく
なんにもない
うまれた
うまれた
なにがうまれた
ほしがひとつ
くらいうちゅうに
うまれた
かまやつひろしが
70年代のシラケ
た気分をやつらの
足音のバラードに
込めた時そこには
日本人の遺伝子に
根深くある諦念と
ユーモアが透ける
淀みに浮かぶ
うたかたは
かつ消え
かつ結びて
久しく
とどまりたる
例なし
方丈記の諸行無常
すべては水に流す
という島国根性は
僕らにしみついた
シミッタレた感覚
否定しようがない
世界地図を90度
傾ければ大陸の下
に日本があり大陸
の文化は日本に淀
み浮かんでは消え
その昔から日本に
オリジナルはなく
サンプリングとコ
ピー&ペーストで
出来てるのだから
持たざる者がこの
リミテッドな限り
ある資源から何か
を産み出す知恵を
学ばない手はない
さみしさをむなし
さにおわらせるな
●タイトル
ロストブレイクス
●アーティスト
A.Y.B.フォース
●プライス
2,415yen
リリーフランキー
の東京タワーが大
ヒットした陰には
母親が好きという
ことを素直に表明
しにくい屈折した
心情があるという
日本の凶悪犯罪の
発生率は50年代
から減少している
のに少年犯罪への
厳罰を求める声は
世界で一番らしい
世界中のブログの
トラフィック量を
調べると一番多い
のは日本だそうだ
DJクラッシュや
ボス・ザ・MCが
日本にはリアルな
ゲットーはないが
心の闇のゲットー
はあると発言する
ひとりでも
ふたりでも
みんなでも
さみしい
さみしくさびしい
人たちがこの国で
毎日を生きながら
どこにも届かない
想いを吸って吐く
おぎやはぎな表情
のないメガネ男子
AボーイがBダッ
シュで駆け上がる
薄っぺらく平らで
イビツな2D世界
永遠に閉じられた
アドレッセンス=
思春期のインナー
ワールドで殺戮と
破壊が繰り返され
る西島大介の漫画
カニエウエストが
村上隆のアトリエ
を訪問しナードや
ギークよりオタク
がクールと言った
かどうかは知らず
スーパーフラット
なエンプティネス
なんにもない
なんにもない
まったく
なんにもない
うまれた
うまれた
なにがうまれた
ほしがひとつ
くらいうちゅうに
うまれた
かまやつひろしが
70年代のシラケ
た気分をやつらの
足音のバラードに
込めた時そこには
日本人の遺伝子に
根深くある諦念と
ユーモアが透ける
淀みに浮かぶ
うたかたは
かつ消え
かつ結びて
久しく
とどまりたる
例なし
方丈記の諸行無常
すべては水に流す
という島国根性は
僕らにしみついた
シミッタレた感覚
否定しようがない
世界地図を90度
傾ければ大陸の下
に日本があり大陸
の文化は日本に淀
み浮かんでは消え
その昔から日本に
オリジナルはなく
サンプリングとコ
ピー&ペーストで
出来てるのだから
持たざる者がこの
リミテッドな限り
ある資源から何か
を産み出す知恵を
学ばない手はない
さみしさをむなし
さにおわらせるな
●タイトル
ロストブレイクス
●アーティスト
A.Y.B.フォース
●プライス
2,415yen
Oto.Hito.E.Kotoba 42
革命は短命な運命
いま思うとそれは
何かの始まりでも
あり終わりだった
のだろうと思う。
90年代の最後に
エレクトロニカと
いうダンス音楽の
成れの果てのよう
な動きが瞬間的に
沸騰し、ドラムン
ベース以降の刺激
に飢えてた新し物
好きでアングラな
音を求める人々が
こぞって飛びつき
味もわからず食い
散らかして後には
焼け野原が残った
という気がする。
僕自身、なにかが
今まさに起きてる
という興奮と期待
で足繁くその現場
に通ったクチだ。
宇田川町のホット
ワックスやシスコ
テクノが震源地で
アブストラクトな
ヒップホップとか
ブレイクビーツを
漁る若者が、突然
ある日狂ったよう
に電子実験音楽に
ハマっていった。
ズビビビガガピキ
ディジジチチチー
マンガの効果音と
擬音だらけの音。
そこに男気でBで
サムライブルーな
外国人に翻訳不能
な得体の知れない
刹那感もプラス。
マッドでダークで
イルでブチキレて
イカれてる音なら
なんでもよかった
のだから、ハシカ
や知恵熱みたいな
ものだったのだ。
99年から00年
にかけてがたぶん
一番熱かった頃。
オウテカ景気など
と業界内で呼ばれ
実際、オウテカの
レコードが店頭に
並ぶと飛ぶように
売れたのだった。
00年にレディオ
ヘッドのキッドA
がメディアで騒が
れる頃には終わっ
たねとワケ知り顔
でつぶやいてた。
神経症でうつ病の
患者が地団駄踏む
複雑骨折グルーヴ
で皆が肩を揺らし
踊ってたのだから
おかしなハナシ。
当時エレクトロと
縮めて言う人も多
く、エレクトロと
言えば80年代の
オールドスクール
エレクトロヒップ
ホップだと頑迷に
否定していたのも
今となってはどう
でもいい老婆心。
ジャンルの呼称は
かくもイイ加減で
エレクトロニカは
今ではそこら中に
ありふれている。
エレクトロニカは
ペレストロイカな
革命だったのか?
あの時の火照った
気分だけはいまだ
どこかに残っては
いるのだけれど。
●タイトル
MECKISH
●アーティスト
インドープサイキックス
●プライス
2,520yen
いま思うとそれは
何かの始まりでも
あり終わりだった
のだろうと思う。
90年代の最後に
エレクトロニカと
いうダンス音楽の
成れの果てのよう
な動きが瞬間的に
沸騰し、ドラムン
ベース以降の刺激
に飢えてた新し物
好きでアングラな
音を求める人々が
こぞって飛びつき
味もわからず食い
散らかして後には
焼け野原が残った
という気がする。
僕自身、なにかが
今まさに起きてる
という興奮と期待
で足繁くその現場
に通ったクチだ。
宇田川町のホット
ワックスやシスコ
テクノが震源地で
アブストラクトな
ヒップホップとか
ブレイクビーツを
漁る若者が、突然
ある日狂ったよう
に電子実験音楽に
ハマっていった。
ズビビビガガピキ
ディジジチチチー
マンガの効果音と
擬音だらけの音。
そこに男気でBで
サムライブルーな
外国人に翻訳不能
な得体の知れない
刹那感もプラス。
マッドでダークで
イルでブチキレて
イカれてる音なら
なんでもよかった
のだから、ハシカ
や知恵熱みたいな
ものだったのだ。
99年から00年
にかけてがたぶん
一番熱かった頃。
オウテカ景気など
と業界内で呼ばれ
実際、オウテカの
レコードが店頭に
並ぶと飛ぶように
売れたのだった。
00年にレディオ
ヘッドのキッドA
がメディアで騒が
れる頃には終わっ
たねとワケ知り顔
でつぶやいてた。
神経症でうつ病の
患者が地団駄踏む
複雑骨折グルーヴ
で皆が肩を揺らし
踊ってたのだから
おかしなハナシ。
当時エレクトロと
縮めて言う人も多
く、エレクトロと
言えば80年代の
オールドスクール
エレクトロヒップ
ホップだと頑迷に
否定していたのも
今となってはどう
でもいい老婆心。
ジャンルの呼称は
かくもイイ加減で
エレクトロニカは
今ではそこら中に
ありふれている。
エレクトロニカは
ペレストロイカな
革命だったのか?
あの時の火照った
気分だけはいまだ
どこかに残っては
いるのだけれど。
●タイトル
MECKISH
●アーティスト
インドープサイキックス
●プライス
2,520yen
Oto.Hito.E.Kotoba 41
SOONCOME
音楽の中で
たゆたって
まどろんで
いたい
いつまでも
どこまでも
果てまでも
その願いは
現実の前に
崩壊する
それが
モノゴトの
コトワリと
いうもの
そして
いつの日か
いまここで
ない場所で
その想いと
再び出会う
コトもある
ヤン富田が
1992年
にリリース
したソロ作
を聴いた時
感じたのは
こんな風な
メビウスの
輪のような
時間の流れ
その音盤に
パッケージ
された鬼の
ような信念
とは裏腹の
どこまでも
ハッピーで
トレモロな
トゥモロウ
あの時点で
20世紀を
総括しよう
という無謀
で無茶でお
茶目な試み
アナログが
むせび泣く
あまりにも
甘酸っぱい
C−YA!
という曲を
プレイする
テープの
逆回転と
ショート
ウェイヴ
ラジオ
カリブの
島々で
エコーの
狭間で
エヴァー
グリーン
エア
ヴァイヴ
彼がドラム
マシーンの
カウベルの
一音を捧げ
た故ジョン
ケージのよ
うにヤンT
も音楽家の
前に発明家
バッファロ
ードーター
大野由美子
の声を変調
させ架空の
キャロライ
ンノバクを
作る遊びに
命を賭ける
いじらしい
永遠の少年
のオッサン
それがイン
でヤンなT
浅薄なちょい
モテ親父に
シミったれた
薄汚れた親父に
場末の酒場で
世を嘆くだけの
サブカル親父に
ならないために
バイバイ
喪われた年月
バイバイ
地球の皆さん
バイバイ
キップリング
バイバイ
エブリシング
C−YA!
兆しは
すぐそこに
見えている
SOONCOME
読みかたは
パトワ式に
スンコムで
現在の
過去は
未来で
いまで
どこから
でも巻き
戻し可能
だから
いまを
リリース
リバース
|
リブート
し続けろ
●タイトル
フォーエバーヤンミュージックミーム2
●アーティスト
ヤン富田
●プライス
1,300yen
音楽の中で
たゆたって
まどろんで
いたい
いつまでも
どこまでも
果てまでも
その願いは
現実の前に
崩壊する
それが
モノゴトの
コトワリと
いうもの
そして
いつの日か
いまここで
ない場所で
その想いと
再び出会う
コトもある
ヤン富田が
1992年
にリリース
したソロ作
を聴いた時
感じたのは
こんな風な
メビウスの
輪のような
時間の流れ
その音盤に
パッケージ
された鬼の
ような信念
とは裏腹の
どこまでも
ハッピーで
トレモロな
トゥモロウ
あの時点で
20世紀を
総括しよう
という無謀
で無茶でお
茶目な試み
アナログが
むせび泣く
あまりにも
甘酸っぱい
C−YA!
という曲を
プレイする
テープの
逆回転と
ショート
ウェイヴ
ラジオ
カリブの
島々で
エコーの
狭間で
エヴァー
グリーン
エア
ヴァイヴ
彼がドラム
マシーンの
カウベルの
一音を捧げ
た故ジョン
ケージのよ
うにヤンT
も音楽家の
前に発明家
バッファロ
ードーター
大野由美子
の声を変調
させ架空の
キャロライ
ンノバクを
作る遊びに
命を賭ける
いじらしい
永遠の少年
のオッサン
それがイン
でヤンなT
浅薄なちょい
モテ親父に
シミったれた
薄汚れた親父に
場末の酒場で
世を嘆くだけの
サブカル親父に
ならないために
バイバイ
喪われた年月
バイバイ
地球の皆さん
バイバイ
キップリング
バイバイ
エブリシング
C−YA!
兆しは
すぐそこに
見えている
SOONCOME
読みかたは
パトワ式に
スンコムで
現在の
過去は
未来で
いまで
どこから
でも巻き
戻し可能
だから
いまを
リリース
リバース
|
リブート
し続けろ
●タイトル
フォーエバーヤンミュージックミーム2
●アーティスト
ヤン富田
●プライス
1,300yen
Oto.Hito.E.Kotoba 40
ユーとキミの間で
B太が待ち合わせ
の店に駆け込むと
傍らのコンポから
どこかで聞いた曲
が心地よいギター
ストロークと共に
鳴りはじめたのだ
目を閉じて
なやめる君よ
なんでもろいんだ
独りでは
生きてゆけるわけ
ないから
つないで
いたいんだ
YOU
木村カエラという
人の歌らしいのだ
字面だとありがち
な詞なのにと思う
シラフでは
言えないコトを
ストレートに
シレッと言う
みぞおちを
打つのは
何も黒い円盤の
ミゾばかり
とは限らない
きょうの猫村さん
が最近のオキニで
ハルキもリュウも
ライトノベルもサ
クっと読みこなし
レディオヘッドと
くるりが基礎体力
週末は愉快な仲間
たちとホムパして
ルクルーゼで炊飯
孤独とのつきあい
方は心得ているつ
もりなマイライフ
イズベターザン誰
そんな高感度良質
な生活を営んでる
文化系リスナーが
カエラ的な何かを
支えてるんじゃな
いか?と底意地の
悪い見方をB太は
していたのだけど
巷のJポップには
吐き気を催す彼も
なぜかこの曲は嫌
いになれないのだ
カエラのYOUに
主語は君しかない
君はいまどき日常
茶飯事なワケなく
その固さと鋭さが
メッセージソング
には似合っている
カエラのYOUの
発音はユニークで
ポリフォニックに
色んな想いが重ね
合わさる声ヂカラ
はカエラがハーフ
でミカバンドの3
代目のシンガーで
2代目もハーフで
その処女作は黒船
でロックに日本語
は乗るか反るかと
僕らは太平洋の真
ん中で引き裂かれ
ているんだなどと
進歩的な音楽家が
カンカンガクガク
していた太古の昔
に由来するのかも
しれないのだけど
どーでもいいよね
そんなこととB太
は相手に渡すため
に持ってきたハズ
の俺的にサイコー
なシットで一杯の
ミックステープを
出すのをためらい
その理由をあなた
でお前でYOUな
目の前のその人に
告げようとすると
あのさ君ってさー
と思わず口をつい
て出てくる言葉は
サディスティック
なんでもろいんだ
が
なんでもいいんだ
と
聴こえてくるんだ
●タイトル
サークル
●アーティスト
木村カエラ
●プライス
2,835yen
B太が待ち合わせ
の店に駆け込むと
傍らのコンポから
どこかで聞いた曲
が心地よいギター
ストロークと共に
鳴りはじめたのだ
目を閉じて
なやめる君よ
なんでもろいんだ
独りでは
生きてゆけるわけ
ないから
つないで
いたいんだ
YOU
木村カエラという
人の歌らしいのだ
字面だとありがち
な詞なのにと思う
シラフでは
言えないコトを
ストレートに
シレッと言う
みぞおちを
打つのは
何も黒い円盤の
ミゾばかり
とは限らない
きょうの猫村さん
が最近のオキニで
ハルキもリュウも
ライトノベルもサ
クっと読みこなし
レディオヘッドと
くるりが基礎体力
週末は愉快な仲間
たちとホムパして
ルクルーゼで炊飯
孤独とのつきあい
方は心得ているつ
もりなマイライフ
イズベターザン誰
そんな高感度良質
な生活を営んでる
文化系リスナーが
カエラ的な何かを
支えてるんじゃな
いか?と底意地の
悪い見方をB太は
していたのだけど
巷のJポップには
吐き気を催す彼も
なぜかこの曲は嫌
いになれないのだ
カエラのYOUに
主語は君しかない
君はいまどき日常
茶飯事なワケなく
その固さと鋭さが
メッセージソング
には似合っている
カエラのYOUの
発音はユニークで
ポリフォニックに
色んな想いが重ね
合わさる声ヂカラ
はカエラがハーフ
でミカバンドの3
代目のシンガーで
2代目もハーフで
その処女作は黒船
でロックに日本語
は乗るか反るかと
僕らは太平洋の真
ん中で引き裂かれ
ているんだなどと
進歩的な音楽家が
カンカンガクガク
していた太古の昔
に由来するのかも
しれないのだけど
どーでもいいよね
そんなこととB太
は相手に渡すため
に持ってきたハズ
の俺的にサイコー
なシットで一杯の
ミックステープを
出すのをためらい
その理由をあなた
でお前でYOUな
目の前のその人に
告げようとすると
あのさ君ってさー
と思わず口をつい
て出てくる言葉は
サディスティック
なんでもろいんだ
が
なんでもいいんだ
と
聴こえてくるんだ
●タイトル
サークル
●アーティスト
木村カエラ
●プライス
2,835yen
Oto.Hito.E.Kotoba 39
アフターアワーズ
90年代はじめに
渋谷系の聖地だっ
た旧HMV渋谷店
があった場所は今
ではパチンコ屋の
ジャラジャラとい
う音がチャラチャ
ラした街並みと歩
幅を合わせて響く
ウォータービズな
場末の匂いがする
当時渋谷系を牽引
する某ユニットが
そこで行ったイン
ストアイベントに
偶然通りかかった
バービー人形とか
フランスギャルと
かトゥイギーとか
を完コピした手足
の細い女の子達が
生きたマヌカンと
化して茫然自失に
棒立ちでフリーズ
プリーズプリーズ
ミーな消費イズム
で空間はむせ返る
無表情にステージ
を見つめる彼女ら
の姿はナチの集会
もかくやと思えて
DJブースに面と
向き合って踊ると
いうクラブ界隈で
散見された珍現象
にも通じるサムさ
にクラクラと悶絶
絶句したのだった
お洒落がオサレと
蔑称のニュアンス
で語られるように
なるのはかなり後
だけどこの頃から
リアルという言葉
が誰からともなく
ささやかれ始める
リアルかどうかが
表現の本気度を計
るバロメーターと
して定着するのと
渋谷系という浮き
足だったそれゆえ
切実だった音楽が
廃れていったのは
どこかで通じ合う
渋谷系は情報天国
トーキョーが作る
ニワカでハリボテ
でウソっぽさ全開
コピーのコピーは
素敵だと開き直り
カタログとネタで
トンチをヒネった
その編集センスの
面白さは海外にも
輸出されてウソっ
ぽいのがミョーに
リアルという逆転
現象を生んだのだ
グルーヴチューブ
の中でハシャイで
浮かれたのも昔話
もう僕たちは情報
に疲れてしまって
知識は皆でシェア
するのがクールで
マイルームを本と
レコードとDVD
で埋め尽くすのも
なんだかダサいね
と言われかねない
時代に生きている
コレシッテル!も
ダカラ?と冷たい
レスが返るだけで
ウンチクは町場の
ナンパ術たりえな
くなったのだろう
ソシテ
セカイハ
ヤヴァイト
カワイイニ
オオワレル
こんな時はじっと
沈黙するのも手だ
●タイトル
毎日の環境学
●アーティスト
小沢健二
●プライス
3,000yen
90年代はじめに
渋谷系の聖地だっ
た旧HMV渋谷店
があった場所は今
ではパチンコ屋の
ジャラジャラとい
う音がチャラチャ
ラした街並みと歩
幅を合わせて響く
ウォータービズな
場末の匂いがする
当時渋谷系を牽引
する某ユニットが
そこで行ったイン
ストアイベントに
偶然通りかかった
バービー人形とか
フランスギャルと
かトゥイギーとか
を完コピした手足
の細い女の子達が
生きたマヌカンと
化して茫然自失に
棒立ちでフリーズ
プリーズプリーズ
ミーな消費イズム
で空間はむせ返る
無表情にステージ
を見つめる彼女ら
の姿はナチの集会
もかくやと思えて
DJブースに面と
向き合って踊ると
いうクラブ界隈で
散見された珍現象
にも通じるサムさ
にクラクラと悶絶
絶句したのだった
お洒落がオサレと
蔑称のニュアンス
で語られるように
なるのはかなり後
だけどこの頃から
リアルという言葉
が誰からともなく
ささやかれ始める
リアルかどうかが
表現の本気度を計
るバロメーターと
して定着するのと
渋谷系という浮き
足だったそれゆえ
切実だった音楽が
廃れていったのは
どこかで通じ合う
渋谷系は情報天国
トーキョーが作る
ニワカでハリボテ
でウソっぽさ全開
コピーのコピーは
素敵だと開き直り
カタログとネタで
トンチをヒネった
その編集センスの
面白さは海外にも
輸出されてウソっ
ぽいのがミョーに
リアルという逆転
現象を生んだのだ
グルーヴチューブ
の中でハシャイで
浮かれたのも昔話
もう僕たちは情報
に疲れてしまって
知識は皆でシェア
するのがクールで
マイルームを本と
レコードとDVD
で埋め尽くすのも
なんだかダサいね
と言われかねない
時代に生きている
コレシッテル!も
ダカラ?と冷たい
レスが返るだけで
ウンチクは町場の
ナンパ術たりえな
くなったのだろう
ソシテ
セカイハ
ヤヴァイト
カワイイニ
オオワレル
こんな時はじっと
沈黙するのも手だ
●タイトル
毎日の環境学
●アーティスト
小沢健二
●プライス
3,000yen
Oto.Hito.E.Kotoba 38
にっぽんのそばや
先日そば屋で私の
そばに座り冷やし
たぬきそばを食べ
終わった男性客が
やおら立ち上がり
自販機に向い券を
買い求めカウンタ
ーで大盛りとだけ
言うのでよく食う
客だと感心してる
とカツ丼定食を頼
んだらしく大盛り
は丼でしょうか?
という店員の一言
に突如キレはじめ
大盛りってどの口
下げて聞いてんだ
ナメてんのかと男
は叫び激昂Fそば
フロア軒下三寸が
激震したのだった
冗談言っちゃいけ
ねえ江戸時代から
そば屋で大盛りと
言えばそばだろう
丼が大盛りになる
ことはあるめえよ
おめえそれとも何
かいここはそば屋
じゃないとでも言
いてえのかとその
御仁は啖呵を切る
たまに丼の大盛り
を所望されるお客
様もいらっしゃい
ましてと言う店員
の慇懃な態度に男
はさらに怒り心頭
なるほど男の言う
ことはケダシ正論
イタメシ屋でアル
デンテは不文律で
そば屋で大盛りと
言えばパスタでは
ないのが世の常だ
しかし熟考するま
でもなくこの店は
ファーストフード
ヌードルショップ
早かろう安かろう
不味かろうのFで
そばちょことそば
がきで一杯楽しむ
更科系の洒落た店
ではないそれとも
私のそば識別能力
=そばリテラシー
は存外低いという
可能性もあり案外
そば通にFはそば
粉より小麦粉だか
山芋だかタロイモ
だかキャッサバだ
か正体不明の澱粉
の分量が多いそば
なのかうどんなの
かも判然としない
グレーゾーンな灰
色の細長いという
ことだけがかろう
じてその不確かな
ありようを裏づけ
る麺という面妖な
存在の耐えられな
い軽さを味わうヌ
ーベルキュイジー
ヌだと喝破される
かもしれずその不
味さに耐えること
だけがひもじさに
耐えられなかった
者が噛み締めるべ
き唯一の現実だと
いうたわけたこと
を抜かす自分のよ
うな無粋な人間は
そもそも日本文化
にオリジナルはあ
りやなしやと頼り
ないボソボソした
そばを噛み切って
ボンソワール浅き
夢見し酔ひもせず
●タイトル
迷走
●アーティスト
DJクラッシュ
●プライス
1,788yen
先日そば屋で私の
そばに座り冷やし
たぬきそばを食べ
終わった男性客が
やおら立ち上がり
自販機に向い券を
買い求めカウンタ
ーで大盛りとだけ
言うのでよく食う
客だと感心してる
とカツ丼定食を頼
んだらしく大盛り
は丼でしょうか?
という店員の一言
に突如キレはじめ
大盛りってどの口
下げて聞いてんだ
ナメてんのかと男
は叫び激昂Fそば
フロア軒下三寸が
激震したのだった
冗談言っちゃいけ
ねえ江戸時代から
そば屋で大盛りと
言えばそばだろう
丼が大盛りになる
ことはあるめえよ
おめえそれとも何
かいここはそば屋
じゃないとでも言
いてえのかとその
御仁は啖呵を切る
たまに丼の大盛り
を所望されるお客
様もいらっしゃい
ましてと言う店員
の慇懃な態度に男
はさらに怒り心頭
なるほど男の言う
ことはケダシ正論
イタメシ屋でアル
デンテは不文律で
そば屋で大盛りと
言えばパスタでは
ないのが世の常だ
しかし熟考するま
でもなくこの店は
ファーストフード
ヌードルショップ
早かろう安かろう
不味かろうのFで
そばちょことそば
がきで一杯楽しむ
更科系の洒落た店
ではないそれとも
私のそば識別能力
=そばリテラシー
は存外低いという
可能性もあり案外
そば通にFはそば
粉より小麦粉だか
山芋だかタロイモ
だかキャッサバだ
か正体不明の澱粉
の分量が多いそば
なのかうどんなの
かも判然としない
グレーゾーンな灰
色の細長いという
ことだけがかろう
じてその不確かな
ありようを裏づけ
る麺という面妖な
存在の耐えられな
い軽さを味わうヌ
ーベルキュイジー
ヌだと喝破される
かもしれずその不
味さに耐えること
だけがひもじさに
耐えられなかった
者が噛み締めるべ
き唯一の現実だと
いうたわけたこと
を抜かす自分のよ
うな無粋な人間は
そもそも日本文化
にオリジナルはあ
りやなしやと頼り
ないボソボソした
そばを噛み切って
ボンソワール浅き
夢見し酔ひもせず
●タイトル
迷走
●アーティスト
DJクラッシュ
●プライス
1,788yen
Oto.Hito.E.Kotoba 37
ソノオトタベルナ
ご飯の上に
生卵を乗せ
醤油を
たらした
どんぶり飯を
手づかみで
かっこむ
リップリグ
アンド
パニックで
来日した
ネナチェリーと
ドンチェリーが
食事をした時の
挿話だそうだ
もしかすると
これは記憶の
サバ読みで
上に乗るのは
鰹節だった
かもしれない
ただそこには
抗し難い食欲の
欲求だけがある
カオスの濁流の
ような音楽を
20年も昔に
やっていた
ノマドな野性人
さすらいびと
チェリー親子の
食の原風景
後年ネナは
音楽シーンから
フェイドアウト
していったが
その出自からも
商業音楽の枠に
ハマる人では
なかったのだろう
ジェイディーや
マッドリブが
作ってるような
ヒップホップは
ジーンズや
ハンバーガーの
ような存在だと
あるレコード屋
のバイヤー氏の
講釈を聞いた後
粗挽きの肉を
ソテーした
ビーフパテと
生タマネギと
生トマトが
バンズの間に
積み上がった
シンプル極まる
クラシックな
ハンバーガーを
別添えソースで
食べたくなる
という衝動は
なんなのか
基本レシピは
同じなのに
ちょっとした
塩の加減や
手順の違いで
味はガラリと
変貌してしまう
食と音は似ている
いつもそこに
なんとなく
空気のように
存在していて
手を伸ばすと
触れることが
すぐにできて
気に入れば
いつでも
手に入り
新しくも
ないかわり
古くもない
なにかを
常食にするには
こんな前提が
必要でこれは
簡単なようで
不断の努力と
あつらえた
環境がなければ
実現しない
ソウルフードの
ように食べたい
と思うこの国の
音楽をそんなに
多くは知らない
男前豆腐
イベリコ豚
カカオ70%
二八そば
それらはとても
美味しいけれど
常食にすれば
飽いてしまう
音楽を売るには
成分表示も
カロリー表示も
義務づけられて
いないから
どれを食べても
安心などとは
誰も言えない
食べて
噛み砕いて
咀嚼して
みないと
正体は
わからない
ごちそうさまが
言いたくて
人は逡巡する
●タイトル
アイムコールド
●アーティスト
リップリグ&パニック
●プライス
2,990yen
ご飯の上に
生卵を乗せ
醤油を
たらした
どんぶり飯を
手づかみで
かっこむ
リップリグ
アンド
パニックで
来日した
ネナチェリーと
ドンチェリーが
食事をした時の
挿話だそうだ
もしかすると
これは記憶の
サバ読みで
上に乗るのは
鰹節だった
かもしれない
ただそこには
抗し難い食欲の
欲求だけがある
カオスの濁流の
ような音楽を
20年も昔に
やっていた
ノマドな野性人
さすらいびと
チェリー親子の
食の原風景
後年ネナは
音楽シーンから
フェイドアウト
していったが
その出自からも
商業音楽の枠に
ハマる人では
なかったのだろう
ジェイディーや
マッドリブが
作ってるような
ヒップホップは
ジーンズや
ハンバーガーの
ような存在だと
あるレコード屋
のバイヤー氏の
講釈を聞いた後
粗挽きの肉を
ソテーした
ビーフパテと
生タマネギと
生トマトが
バンズの間に
積み上がった
シンプル極まる
クラシックな
ハンバーガーを
別添えソースで
食べたくなる
という衝動は
なんなのか
基本レシピは
同じなのに
ちょっとした
塩の加減や
手順の違いで
味はガラリと
変貌してしまう
食と音は似ている
いつもそこに
なんとなく
空気のように
存在していて
手を伸ばすと
触れることが
すぐにできて
気に入れば
いつでも
手に入り
新しくも
ないかわり
古くもない
なにかを
常食にするには
こんな前提が
必要でこれは
簡単なようで
不断の努力と
あつらえた
環境がなければ
実現しない
ソウルフードの
ように食べたい
と思うこの国の
音楽をそんなに
多くは知らない
男前豆腐
イベリコ豚
カカオ70%
二八そば
それらはとても
美味しいけれど
常食にすれば
飽いてしまう
音楽を売るには
成分表示も
カロリー表示も
義務づけられて
いないから
どれを食べても
安心などとは
誰も言えない
食べて
噛み砕いて
咀嚼して
みないと
正体は
わからない
ごちそうさまが
言いたくて
人は逡巡する
●タイトル
アイムコールド
●アーティスト
リップリグ&パニック
●プライス
2,990yen
Oto.Hito.E.Kotoba 36
週刊ダークサイド
デスノートという
週刊少年ジャンプ
連載の漫画がある
そこに名前を書き
込んだ人間は死ぬ
ノートを拾った高
校生の前に死神が
のっそり現れこう
告げたとしたら?
犯罪者をノートで
殺すという強大な
権力を手に入れた
主人公と彼に対峙
する探偵との頭脳
ゲームがはじまる
昔からネガティヴ
で暗い少年漫画は
いっぱいあったが
友情★夢★希望と
いうお約束は守ら
れていた気がする
二枚目で秀才の主
人公が極悪非道を
尽くすデスノート
は少年漫画のパロ
ディかと思うほど
救いがなく俺の空
とか明日のジョー
はさすがに古いに
しても男の子漫画
の熱いパッション
冒険と通過儀礼と
大人への成長とい
うテーマはバッサ
リと欠落している
フロイトが唱えた
リビドー=性衝動
はおよびじゃない
のかもしれないが
いやもちろんイイ
大人が夢も希望も
あるお話に夢中だ
としたらヤバイが
ジャンプの購買層
の子供がこの漫画
を支持してるのも
今の時代の閉塞感
と闇がムキダシで
そこが面白くてや
がて悲しき読後感
悪魔と取引すると
いうのは手塚治虫
が描いたゲーテの
ファウストがネタ
だろうし主人公の
夜神明という名は
デビルマンの不動
明から来ている?
鉄腕アトム原作の
PLUTOを漫画
化した浦沢直樹が
自分は友達もいな
いし漫画は社会に
対する復讐なんだ
とミもフタもない
ことを言っていた
嗚呼ダークサイド
は時代を闊歩する
ハリウッドみたく
ハッピーエンドは
空々しいしバッド
エンドは後味が悪
く誰もが納得する
エンディングを用
意するのは難しい
音楽はそのへんが
誤魔化しが効くが
物語はループして
フェイドアウトで
終わらせられない
デスノートからは
音楽が聴こえない
シーンとしている
シーンというのも
手塚治虫の発明で
無音をオトで表現
するという力技だ
TV版鉄腕アトム
は大野松雄という
奇才が一から全て
の音を作り出した
マンガっぽい音は
大人のハードコア
な音響遊びだった
週刊は読者と作者
のハードコアな頭
脳ゲームかもしれ
ないとこの文章を
楽屋オチで締めて
みたいと思うのだ
●タイトル
鉄腕アトム・音の世界
●アーティスト
大野松雄
●プライス
2,470yen
デスノートという
週刊少年ジャンプ
連載の漫画がある
そこに名前を書き
込んだ人間は死ぬ
ノートを拾った高
校生の前に死神が
のっそり現れこう
告げたとしたら?
犯罪者をノートで
殺すという強大な
権力を手に入れた
主人公と彼に対峙
する探偵との頭脳
ゲームがはじまる
昔からネガティヴ
で暗い少年漫画は
いっぱいあったが
友情★夢★希望と
いうお約束は守ら
れていた気がする
二枚目で秀才の主
人公が極悪非道を
尽くすデスノート
は少年漫画のパロ
ディかと思うほど
救いがなく俺の空
とか明日のジョー
はさすがに古いに
しても男の子漫画
の熱いパッション
冒険と通過儀礼と
大人への成長とい
うテーマはバッサ
リと欠落している
フロイトが唱えた
リビドー=性衝動
はおよびじゃない
のかもしれないが
いやもちろんイイ
大人が夢も希望も
あるお話に夢中だ
としたらヤバイが
ジャンプの購買層
の子供がこの漫画
を支持してるのも
今の時代の閉塞感
と闇がムキダシで
そこが面白くてや
がて悲しき読後感
悪魔と取引すると
いうのは手塚治虫
が描いたゲーテの
ファウストがネタ
だろうし主人公の
夜神明という名は
デビルマンの不動
明から来ている?
鉄腕アトム原作の
PLUTOを漫画
化した浦沢直樹が
自分は友達もいな
いし漫画は社会に
対する復讐なんだ
とミもフタもない
ことを言っていた
嗚呼ダークサイド
は時代を闊歩する
ハリウッドみたく
ハッピーエンドは
空々しいしバッド
エンドは後味が悪
く誰もが納得する
エンディングを用
意するのは難しい
音楽はそのへんが
誤魔化しが効くが
物語はループして
フェイドアウトで
終わらせられない
デスノートからは
音楽が聴こえない
シーンとしている
シーンというのも
手塚治虫の発明で
無音をオトで表現
するという力技だ
TV版鉄腕アトム
は大野松雄という
奇才が一から全て
の音を作り出した
マンガっぽい音は
大人のハードコア
な音響遊びだった
週刊は読者と作者
のハードコアな頭
脳ゲームかもしれ
ないとこの文章を
楽屋オチで締めて
みたいと思うのだ
●タイトル
鉄腕アトム・音の世界
●アーティスト
大野松雄
●プライス
2,470yen
Oto.Hito.E.Kotoba 35
ダメでイケない私
今のバカ女子高生
はソニックユース
知ってるくらいで
自分がイケてると
勘違いしてんのよ
あんたがそのバカ
でダサい今時の女
子高生のくせに!
********
10代の青い日々
を描いたコミック
ゴーストワールド
でイーニドとレベ
ッカはイケてない
自分と周囲全てに
悪態をつき罵倒し
中指を突き立てる
不毛で非生産的で
世間からダメ出し
される自分をもて
あましてばかりで
答は見つからない
ザ・モラトリアム
最後に友情も恋愛
も未来も失くした
イーニドが誰にも
告げず夜間バスで
街を去るラストの
キツさは胸を打つ
キャットウーマン
のマスクをしても
ミッシェルファイ
ファーになれない
ブスなメガネ女子
イーニドの容姿は
映画ウェルカム・
ドールハウスの主
人公ドーンとウリ
ふたつで紙一重だ
日々イジメにあう
ドーンが眉をつり
上げ反逆のノロシ
を上げる時に鳴る
ドラムロールの勇
ましくも情けない
乾いた響きについ
笑ってしまうのは
彼女らを取り巻く
過酷すぎる現実を
フリーズドライな
醒めた視点で描い
ているからだろう
サブカル圏に生息
する不思議少女や
原宿をタムロする
ゴスロリは自分探
しのウェットな旅
に夢中で笑えない
トラジコミックと
いうACOとDJ
クラッシュの曲が
あったけれど悲劇
でも喜劇でもあり
悲しいのに笑える
瞬間ってドライで
シニカルなハズだ
やる気のないダメ
でルーザーな表現
はインディロック
のお家芸でナード
ヒップホップとも
通じ合いダメ連な
音は目下増殖中だ
本当のダメ人間は
例えば中島らもや
町田康のような人
で壮絶な業を抱え
キモがキモいから
その人でしかない
今時のダメモード
はすぐにリセット
できてスタイルを
チェンジできるし
他の誰かと入れ替
わってもわからな
いほどカジュアル
ゴーストみたいに
やる気のないナー
ドヒップホップを
聴いてると素敵な
女性になれなかっ
たイーニドが目の
前を通り過ぎてく
●タイトル
レモンティー
●アーティスト
ノマド
●プライス
2,200yen
今のバカ女子高生
はソニックユース
知ってるくらいで
自分がイケてると
勘違いしてんのよ
あんたがそのバカ
でダサい今時の女
子高生のくせに!
********
10代の青い日々
を描いたコミック
ゴーストワールド
でイーニドとレベ
ッカはイケてない
自分と周囲全てに
悪態をつき罵倒し
中指を突き立てる
不毛で非生産的で
世間からダメ出し
される自分をもて
あましてばかりで
答は見つからない
ザ・モラトリアム
最後に友情も恋愛
も未来も失くした
イーニドが誰にも
告げず夜間バスで
街を去るラストの
キツさは胸を打つ
キャットウーマン
のマスクをしても
ミッシェルファイ
ファーになれない
ブスなメガネ女子
イーニドの容姿は
映画ウェルカム・
ドールハウスの主
人公ドーンとウリ
ふたつで紙一重だ
日々イジメにあう
ドーンが眉をつり
上げ反逆のノロシ
を上げる時に鳴る
ドラムロールの勇
ましくも情けない
乾いた響きについ
笑ってしまうのは
彼女らを取り巻く
過酷すぎる現実を
フリーズドライな
醒めた視点で描い
ているからだろう
サブカル圏に生息
する不思議少女や
原宿をタムロする
ゴスロリは自分探
しのウェットな旅
に夢中で笑えない
トラジコミックと
いうACOとDJ
クラッシュの曲が
あったけれど悲劇
でも喜劇でもあり
悲しいのに笑える
瞬間ってドライで
シニカルなハズだ
やる気のないダメ
でルーザーな表現
はインディロック
のお家芸でナード
ヒップホップとも
通じ合いダメ連な
音は目下増殖中だ
本当のダメ人間は
例えば中島らもや
町田康のような人
で壮絶な業を抱え
キモがキモいから
その人でしかない
今時のダメモード
はすぐにリセット
できてスタイルを
チェンジできるし
他の誰かと入れ替
わってもわからな
いほどカジュアル
ゴーストみたいに
やる気のないナー
ドヒップホップを
聴いてると素敵な
女性になれなかっ
たイーニドが目の
前を通り過ぎてく
●タイトル
レモンティー
●アーティスト
ノマド
●プライス
2,200yen
Oto.Hito.E.Kotoba 34
意味なんてないさ
STOP
MAKING
SENSE
音を切り貼りして
カットアップ解剖
手術を行う生粋の
マテリアルボーイ
冗談実験音楽名人
マトモスの2人が
ラリーレヴァンや
バロウズやジョー
ミークや三島由紀
夫にオマージュを
捧げたアルバムを
携えて渋谷FMに
遊びにきてくれた
NONSENSE
MAKES
SENSE
意味がないという
ことに意味がある
ナンセンスを突き
詰めればセンスに
行き着いてしまう
スタジオで3台の
MACを使い即興
ライブを行う2人
はあうんの呼吸で
iTunesから
次から次へとアク
ロバティックに音
を繰り出し真夜中
のカウボーイの上
にブリトニースピ
アーズの声が被る
ジャネット
ジャクソン
のより若い
バージョン
てところね
より若い
より若い
より若い
若すぎるの
バッカみたい
なサウンドよ
まるで
ヒップホップ
ヒプ
ホプ
ヒプ
ホプ
ファンキィ
バッカみたい
ええと
てゆうか
そうね
てゆうか
踊るのは好き
バッカみたい
に踊り狂うわ
ビートが
すっごく
スイート
でもほしいの
でもほしいの
でもほしいの
でもほしいの
でもほしいの
はいからはくちな
独白で締めくくり
スイートスポット
な歪んだ時空間の
熱も冷めぬうちに
2人のマトモスは
椎名林檎のCDを
求めて消えていく
赤ちゃんには
ガチョウには
バラの花には
歯がない
これはバカげた
ことじゃない
バラの花には
歯がないって
概念を前もって
持っていたわけ
じゃないから
ROSES
AND
TEETH
BY
MATMOS
●タイトル
ザローズハズティースインザマウスオブアビースト
●アーティスト
マトモス
●プライス
2,415yen
STOP
MAKING
SENSE
音を切り貼りして
カットアップ解剖
手術を行う生粋の
マテリアルボーイ
冗談実験音楽名人
マトモスの2人が
ラリーレヴァンや
バロウズやジョー
ミークや三島由紀
夫にオマージュを
捧げたアルバムを
携えて渋谷FMに
遊びにきてくれた
NONSENSE
MAKES
SENSE
意味がないという
ことに意味がある
ナンセンスを突き
詰めればセンスに
行き着いてしまう
スタジオで3台の
MACを使い即興
ライブを行う2人
はあうんの呼吸で
iTunesから
次から次へとアク
ロバティックに音
を繰り出し真夜中
のカウボーイの上
にブリトニースピ
アーズの声が被る
ジャネット
ジャクソン
のより若い
バージョン
てところね
より若い
より若い
より若い
若すぎるの
バッカみたい
なサウンドよ
まるで
ヒップホップ
ヒプ
ホプ
ヒプ
ホプ
ファンキィ
バッカみたい
ええと
てゆうか
そうね
てゆうか
踊るのは好き
バッカみたい
に踊り狂うわ
ビートが
すっごく
スイート
でもほしいの
でもほしいの
でもほしいの
でもほしいの
でもほしいの
はいからはくちな
独白で締めくくり
スイートスポット
な歪んだ時空間の
熱も冷めぬうちに
2人のマトモスは
椎名林檎のCDを
求めて消えていく
赤ちゃんには
ガチョウには
バラの花には
歯がない
これはバカげた
ことじゃない
バラの花には
歯がないって
概念を前もって
持っていたわけ
じゃないから
ROSES
AND
TEETH
BY
MATMOS
●タイトル
ザローズハズティースインザマウスオブアビースト
●アーティスト
マトモス
●プライス
2,415yen
Oto.Hito.E.Kotoba 33
☆☆☆☆☆☆☆☆
☆レディスアンド
☆ジェントルメン
☆この宇宙最期の
☆ひとときを楽し
☆くやってますか
この屈託のない☆
曇りひとつない☆
言葉は某マガハ☆
直伝のコピーの☆
ようでさに非ず☆
銀河ヒッチハイ☆
クガイドという☆
SF小説の続編☆
宇宙の果てのレ☆
ストランの一節☆
☆さよなら
☆さよなら
☆魚をありがとう
人より知能指数☆
が高いイルカは☆
こう歌って地球☆
を去り銀河官僚☆
ヴォゴン星人に☆
地球は破壊され☆
宇宙の深遠なる☆
謎というテーマ☆
も茶化して終り☆
☆マッコウクジラ
☆がある惑星上空
☆に生まれ落ちて
☆我思うゆえに我
☆ありとデカルト
☆よろしく自我に
☆目覚め風!尾!
☆大地!と言葉を
☆覚えた直後地上
☆に激突するとい
☆うナンセンス!
78年のスター☆
ウォーズ=SW☆
の年にBBCで☆
ラジオドラマ化☆
05年SW完結☆
と同年に映画化☆
された銀河ヒッ☆
チハイクガイド☆
はSWを英国人☆
が黒い笑いで塗☆
りつぶした作品☆
☆数多くのPVを
☆手がけたシャイ
☆ノーラが流麗な
☆アニメーション
☆を担当し両肩に
☆タオルを巻いて
☆トレンチコート
☆を着たモスデフ
☆がオフビートな
☆存在感で際立つ
DVD特典映像☆
でビッチと叫ぶ☆
モスデフがこの☆
台詞はイカニモ☆
黒人風で嫌いだ☆
と芝居がかって☆
話す場面に飄々☆
としたスタンス☆
がチラリと覗く☆
☆そうモスデフの
☆ルックスは彼が
☆敬愛するウェル
☆ドンアーヴィン
☆にも似ているし
☆ジェフミルズを
☆よりタフにして
☆モミアゲをつけ
☆た風でもあるし
☆ファンクな知性
☆は隔世遺伝する
☆のかもしれない
壮大な宇宙活劇☆
が実は家族愛の☆
ホームドラマだ☆
ったというSW☆
のオチに唖然と☆
した人やSWが☆
次第に重苦しい☆
神話世界に飲み☆
込まれてくサマ☆
を呆然と見守る☆
しかなかった人☆
SFってナニ?☆
と泰然と構える☆
人に銀河ヒッチ☆
ハイクガイドは☆
お気楽にと言う☆
手を空に掲げろ
皆頭をヒネろう
宇宙磁気B少年
それは科学の力
止まることなく
リズムに乗ろう
ユニヴァーサル
マグネティック
モスデフ
●タイトル
ユニヴァーサルマグネティック
●アーティスト
モスデフ
●プライス
廃盤
☆レディスアンド
☆ジェントルメン
☆この宇宙最期の
☆ひとときを楽し
☆くやってますか
この屈託のない☆
曇りひとつない☆
言葉は某マガハ☆
直伝のコピーの☆
ようでさに非ず☆
銀河ヒッチハイ☆
クガイドという☆
SF小説の続編☆
宇宙の果てのレ☆
ストランの一節☆
☆さよなら
☆さよなら
☆魚をありがとう
人より知能指数☆
が高いイルカは☆
こう歌って地球☆
を去り銀河官僚☆
ヴォゴン星人に☆
地球は破壊され☆
宇宙の深遠なる☆
謎というテーマ☆
も茶化して終り☆
☆マッコウクジラ
☆がある惑星上空
☆に生まれ落ちて
☆我思うゆえに我
☆ありとデカルト
☆よろしく自我に
☆目覚め風!尾!
☆大地!と言葉を
☆覚えた直後地上
☆に激突するとい
☆うナンセンス!
78年のスター☆
ウォーズ=SW☆
の年にBBCで☆
ラジオドラマ化☆
05年SW完結☆
と同年に映画化☆
された銀河ヒッ☆
チハイクガイド☆
はSWを英国人☆
が黒い笑いで塗☆
りつぶした作品☆
☆数多くのPVを
☆手がけたシャイ
☆ノーラが流麗な
☆アニメーション
☆を担当し両肩に
☆タオルを巻いて
☆トレンチコート
☆を着たモスデフ
☆がオフビートな
☆存在感で際立つ
DVD特典映像☆
でビッチと叫ぶ☆
モスデフがこの☆
台詞はイカニモ☆
黒人風で嫌いだ☆
と芝居がかって☆
話す場面に飄々☆
としたスタンス☆
がチラリと覗く☆
☆そうモスデフの
☆ルックスは彼が
☆敬愛するウェル
☆ドンアーヴィン
☆にも似ているし
☆ジェフミルズを
☆よりタフにして
☆モミアゲをつけ
☆た風でもあるし
☆ファンクな知性
☆は隔世遺伝する
☆のかもしれない
壮大な宇宙活劇☆
が実は家族愛の☆
ホームドラマだ☆
ったというSW☆
のオチに唖然と☆
した人やSWが☆
次第に重苦しい☆
神話世界に飲み☆
込まれてくサマ☆
を呆然と見守る☆
しかなかった人☆
SFってナニ?☆
と泰然と構える☆
人に銀河ヒッチ☆
ハイクガイドは☆
お気楽にと言う☆
手を空に掲げろ
皆頭をヒネろう
宇宙磁気B少年
それは科学の力
止まることなく
リズムに乗ろう
ユニヴァーサル
マグネティック
モスデフ
●タイトル
ユニヴァーサルマグネティック
●アーティスト
モスデフ
●プライス
廃盤
Oto.Hito.E.Kotoba 32
ポップライフ序説
渋谷アップリンク
にて「日曜研究・
ポップライフハッ
クス」というイベ
ントを開催した。
ゲストにシローザ
グッドマン、渋谷
ワルシャワの店長
柳沢祐至氏、雑誌
FADERの西山
伸基氏を迎えた。
ライフハックスは
毎日の問題を解決
する生活術、日々
バグと戦うプログ
ラマー達の造語。
桜が満開な日曜の
午後ポップライフ
=大衆生活の虚実
を探る試みは桜の
木の下には死体が
眠ってるという話
にも似て辛気臭く
ポップをコトバで
伝えようとすると
途端に不自由さの
拘束衣に縛られて
ちっとも弾けない
戦時中のすいとん
を再現したら涙が
出たという美味し
んぼのエピソード
をシロー氏が話す
と場内は爆笑の渦
ポップもすなわち
すいとんみたいに
その人の味の記憶
でしかないのだ。
サブカルチャーは
この国にあるんだ
ろうか?この場合
のサブカルは若者
文化やストリート
カルチャーやアン
ダーグラウンドと
微妙にズレてる。
マンガもアニメも
ポルノもオタクも
レゲエもパンクも
サブカルじゃん!
と反論されるかも
しれない。能天気
にYESとは言え
ない、カウンター
としてのサブカル
は日本で息絶えよ
うとしてるから。
サブカルオヤジが
断末魔の声を上げ
聖☆おじさんで自
分たちを自虐的に
唄う電気グルーヴ
とスチャダラパー
の「まゆつば話の
ファンタジスタ、
ムチャの度合いが
ケタ違い、国家に
たてつく頑固者」
という言葉が現実
をトレースする。
もはやレアな珍品
それがサブカル。
それでも夢見がち
なポップ生活者は
今日も街を行く。
ポップライフ
スリルが欲しい
ポップライフ
満たされたい
ポップライフ
頂上に行けるの
はほんの一握り
人生はポップに
弾けない限りは
本当の意味では
ファンキーとは
言えないんだ
わかる?
POPLIFE
PRINCE
●タイトル
アラウンドザワールドインアデイ
●アーティスト
プリンス&ザレボリューション
●プライス
1,080yen
渋谷アップリンク
にて「日曜研究・
ポップライフハッ
クス」というイベ
ントを開催した。
ゲストにシローザ
グッドマン、渋谷
ワルシャワの店長
柳沢祐至氏、雑誌
FADERの西山
伸基氏を迎えた。
ライフハックスは
毎日の問題を解決
する生活術、日々
バグと戦うプログ
ラマー達の造語。
桜が満開な日曜の
午後ポップライフ
=大衆生活の虚実
を探る試みは桜の
木の下には死体が
眠ってるという話
にも似て辛気臭く
ポップをコトバで
伝えようとすると
途端に不自由さの
拘束衣に縛られて
ちっとも弾けない
戦時中のすいとん
を再現したら涙が
出たという美味し
んぼのエピソード
をシロー氏が話す
と場内は爆笑の渦
ポップもすなわち
すいとんみたいに
その人の味の記憶
でしかないのだ。
サブカルチャーは
この国にあるんだ
ろうか?この場合
のサブカルは若者
文化やストリート
カルチャーやアン
ダーグラウンドと
微妙にズレてる。
マンガもアニメも
ポルノもオタクも
レゲエもパンクも
サブカルじゃん!
と反論されるかも
しれない。能天気
にYESとは言え
ない、カウンター
としてのサブカル
は日本で息絶えよ
うとしてるから。
サブカルオヤジが
断末魔の声を上げ
聖☆おじさんで自
分たちを自虐的に
唄う電気グルーヴ
とスチャダラパー
の「まゆつば話の
ファンタジスタ、
ムチャの度合いが
ケタ違い、国家に
たてつく頑固者」
という言葉が現実
をトレースする。
もはやレアな珍品
それがサブカル。
それでも夢見がち
なポップ生活者は
今日も街を行く。
ポップライフ
スリルが欲しい
ポップライフ
満たされたい
ポップライフ
頂上に行けるの
はほんの一握り
人生はポップに
弾けない限りは
本当の意味では
ファンキーとは
言えないんだ
わかる?
POPLIFE
PRINCE
●タイトル
アラウンドザワールドインアデイ
●アーティスト
プリンス&ザレボリューション
●プライス
1,080yen
Oto.Hito.E.Kotoba 31
ステイハングリー
MacやiPod
は反抗的で傲慢で
モロく弱い一人の
男の成功と挫折の
甘酸っぱい物語に
よって産まれた。
アップルコンピュ
ータのスティーブ
ジョブスCEOは
養子縁組の家庭で
ノーと産声を上げ
マリファナを吸い
インドで修行して
ブロック崩しで名
を為すゲーム会社
アタリで夜勤する
ドロップアウト組
ヒップな対抗文化
の申し子でアタリ
ティーンエイジラ
イオットな10代
を過ごした。ボブ
ディランを信奉し
彼とも関係が深い
ジョーンバエズと
後に浮き名を流し
ヒッピーの聖典の
ホールアースカタ
ログ最終号の言葉
を自ら実践した。
ステイ
ハングリー
ステイ
フーリッシュ
渇望し愚かであれ
自分の内なる声を
聞け、そこに自分
の本当になりたい
ものがあるという
ジョブスの言葉は
彼が禅宗を学んだ
ことに由来する。
心の渇きを安易に
何かで満たすこと
なく魂の充実充足
をイヤしい癒しで
一時の快楽で埋め
合わせることなく
満たされていない
と感じているなら
その感覚を鋭敏に
尖らせて自分の内
に常にそれがある
と感知し続ける。
ジョブスと時代も
環境も才能も違う
僕らでもなにかに
夢中になり人生を
探求する許可証は
与えられている。
モンティパイソン
やテリーギリアム
の劇映画のように
皮肉と生真面目を
音楽に注ぎ込んだ
古風で煤だらけの
英国流煙突ロック
ヒネくれつつ実は
ヤボったいほどに
真っ直ぐなこんな
歌を聞いてみる。
君は一番マシな
汚いシャツ着て
ふらつきながら
夜明けと出会う
君はバスに乗る
騒々しい一日が
君を再生させる
君はこんな風に
学んでいくんだ
朝目覚める顔を
人類への参加を
世界が君の前を
通り過ぎるのを
君が死んでも
誰も気にしない
君がなにかを
書き留めても
誰も気にしない
君がなにかを
話したことも
誰も気にしない
目を覚ませ
目を覚ませ
目を覚ませ
目を覚ませ
目を覚ませ
・・・・・
ウェイクアップ
XTC
春は目覚めの季節
そう誰にとっても
●タイトル
ザビッグエクスプレス
●アーティスト
XTC
●プライス
980yen
MacやiPod
は反抗的で傲慢で
モロく弱い一人の
男の成功と挫折の
甘酸っぱい物語に
よって産まれた。
アップルコンピュ
ータのスティーブ
ジョブスCEOは
養子縁組の家庭で
ノーと産声を上げ
マリファナを吸い
インドで修行して
ブロック崩しで名
を為すゲーム会社
アタリで夜勤する
ドロップアウト組
ヒップな対抗文化
の申し子でアタリ
ティーンエイジラ
イオットな10代
を過ごした。ボブ
ディランを信奉し
彼とも関係が深い
ジョーンバエズと
後に浮き名を流し
ヒッピーの聖典の
ホールアースカタ
ログ最終号の言葉
を自ら実践した。
ステイ
ハングリー
ステイ
フーリッシュ
渇望し愚かであれ
自分の内なる声を
聞け、そこに自分
の本当になりたい
ものがあるという
ジョブスの言葉は
彼が禅宗を学んだ
ことに由来する。
心の渇きを安易に
何かで満たすこと
なく魂の充実充足
をイヤしい癒しで
一時の快楽で埋め
合わせることなく
満たされていない
と感じているなら
その感覚を鋭敏に
尖らせて自分の内
に常にそれがある
と感知し続ける。
ジョブスと時代も
環境も才能も違う
僕らでもなにかに
夢中になり人生を
探求する許可証は
与えられている。
モンティパイソン
やテリーギリアム
の劇映画のように
皮肉と生真面目を
音楽に注ぎ込んだ
古風で煤だらけの
英国流煙突ロック
ヒネくれつつ実は
ヤボったいほどに
真っ直ぐなこんな
歌を聞いてみる。
君は一番マシな
汚いシャツ着て
ふらつきながら
夜明けと出会う
君はバスに乗る
騒々しい一日が
君を再生させる
君はこんな風に
学んでいくんだ
朝目覚める顔を
人類への参加を
世界が君の前を
通り過ぎるのを
君が死んでも
誰も気にしない
君がなにかを
書き留めても
誰も気にしない
君がなにかを
話したことも
誰も気にしない
目を覚ませ
目を覚ませ
目を覚ませ
目を覚ませ
目を覚ませ
・・・・・
ウェイクアップ
XTC
春は目覚めの季節
そう誰にとっても
●タイトル
ザビッグエクスプレス
●アーティスト
XTC
●プライス
980yen
Oto.Hito.E.Kotoba 30
コズミックな老人
スコーンと抜けた
空ひねもすのたり
雑誌トキオン主宰
のフリーパーティ
コズミックロック
ジャムが催された
代々木公園に行く
五木田智央&ジム
オルークの天使と
恍惚という名前の
バックトゥバック
DJが春の陽気に
妖気を誘う楽しさ
次のDRニシムラ
がハウスをプレイ
気づけばお洒落な
ジイサンが一人は
スタンスミスを履
いてたらしい中腰
で板についたキレ
とコクがある踊り
を披露しはじめた
黙々とストイック
に舞踏する彼らに
若者たちは腰砕け
完全に負けている
これはタダモノで
はないと思いつつ
パーティの終盤で
井上薫のステージ
の上で踊り続ける
ジイサンに観衆は
歓声を上げ続けた
代々木公園の主は
75歳だと聞いた
第二次世界大戦を
幼少時に体験した
日本の戦後の生き
字引のような存在
こんな妄想が働く
高度成長期を植木
等の無責任男よろ
しく謳歌しながら
彼はマルクス思想
にかぶれ政治闘争
に足を踏み入れる
感覚の解放を提唱
した68年当時の
サイケデリックな
文化の波をモロに
受けて同年に誕生
した赤坂ムゲンに
通いつめ華やかな
ヨコモジ業界人と
日本の夜遊びの夜
明けをグルーヴィ
に過ごすヒッピー
第一世代に変貌し
76年ポパイ創刊
と共に米西海岸の
サーファー文化に
触れ波乗りとなり
原宿と鎌倉湘南を
行き来し80年代
以降は次第に時代
の波からフェイド
アウトしながらも
芝浦ゴールドでヴ
ォーギングしたり
野外レイヴで踊る
姿を目撃されたり
するようになった
かは知らぬ存ぜぬ
赤瀬川原平が10
年前に老人力とい
う言葉を使い出し
20世紀のたそが
れの終末のその後
アフターアワーズ
をまさにマッタリ
と生きていく知恵
を編み出したのは
記憶に新しいとい
うか宵越しの記憶
は持たないという
忘却力の気っ風の
良さが老人力だし
スリムに低燃費で
適度に力を抜いて
ワビサビをナビに
イッツオーライと
ええじゃないかと
江戸の狂騒乱舞の
記憶も忘却の彼方
●タイトル
ムーンドッグ
●アーティスト
ムーンドッグ
●プライス
2,006yen
スコーンと抜けた
空ひねもすのたり
雑誌トキオン主宰
のフリーパーティ
コズミックロック
ジャムが催された
代々木公園に行く
五木田智央&ジム
オルークの天使と
恍惚という名前の
バックトゥバック
DJが春の陽気に
妖気を誘う楽しさ
次のDRニシムラ
がハウスをプレイ
気づけばお洒落な
ジイサンが一人は
スタンスミスを履
いてたらしい中腰
で板についたキレ
とコクがある踊り
を披露しはじめた
黙々とストイック
に舞踏する彼らに
若者たちは腰砕け
完全に負けている
これはタダモノで
はないと思いつつ
パーティの終盤で
井上薫のステージ
の上で踊り続ける
ジイサンに観衆は
歓声を上げ続けた
代々木公園の主は
75歳だと聞いた
第二次世界大戦を
幼少時に体験した
日本の戦後の生き
字引のような存在
こんな妄想が働く
高度成長期を植木
等の無責任男よろ
しく謳歌しながら
彼はマルクス思想
にかぶれ政治闘争
に足を踏み入れる
感覚の解放を提唱
した68年当時の
サイケデリックな
文化の波をモロに
受けて同年に誕生
した赤坂ムゲンに
通いつめ華やかな
ヨコモジ業界人と
日本の夜遊びの夜
明けをグルーヴィ
に過ごすヒッピー
第一世代に変貌し
76年ポパイ創刊
と共に米西海岸の
サーファー文化に
触れ波乗りとなり
原宿と鎌倉湘南を
行き来し80年代
以降は次第に時代
の波からフェイド
アウトしながらも
芝浦ゴールドでヴ
ォーギングしたり
野外レイヴで踊る
姿を目撃されたり
するようになった
かは知らぬ存ぜぬ
赤瀬川原平が10
年前に老人力とい
う言葉を使い出し
20世紀のたそが
れの終末のその後
アフターアワーズ
をまさにマッタリ
と生きていく知恵
を編み出したのは
記憶に新しいとい
うか宵越しの記憶
は持たないという
忘却力の気っ風の
良さが老人力だし
スリムに低燃費で
適度に力を抜いて
ワビサビをナビに
イッツオーライと
ええじゃないかと
江戸の狂騒乱舞の
記憶も忘却の彼方
●タイトル
ムーンドッグ
●アーティスト
ムーンドッグ
●プライス
2,006yen
Oto.Hito.E.Kotoba 29
ライアーイズゼア
ことばは
ふうらり
ふらふら
風来坊
あたまと
からだの
そとから
うまれる
ことばは
宇宙から
飛来する
ウイルス
ことばは
伝染るん
です
ウィザード
オブワード
とウソぶく
おしゃべり
魔女の戯言
ラッパーも
ライターも
ホントのよ
なウソのよ
うなホント
を語る仕事
シジンに
クチあり
シニンに
クチなし
やれば
やるほど
語れば
語るほど
ウソになる
ウソつきの
デフレスパ
イラル構造
ウソも方便
ウソ八百は
八百万の神
がまじわる
ここ日本で
日常茶飯事
ウソをつく
のが楽しい
からみんな
が喜ぶから
ウソをつく
西アフリカ
のグリオは
世襲語り部
言葉の贅を
尽くして
甘い声音を
駆使して
王侯貴族を
持ち上げる
バラフォン
もマイクロ
フォンもコ
ラもホラも
誰かの心を
気持ちよく
する道具に
変わりない
クレタ島に
住む人間は
ウソつきだ
とクレタ人
が言うから
クレタ人は
ウソつきか
正直者かは
わからない
そして僕は
途方にクレ
てしまって
ウソをつく
とヘソが笑
ってしまう
愛されたい
そのために
なけなしの
できあいの
やっつけな
贈ることば
それはウソ
のはじまり
ホラ吹いて
大言壮語を
吐きまくり
他人も騙し
自分も騙し
イカしてる
ワタクシは
砂上の楼閣
ウソの王国
自己肥大の
キングダム
気づいたら
あなたの
ことばを
信じる人は
誰もいなく
なっていた
ウソはつき
たくないし
ホントなん
て言えない
ライアーの
パラドクス
嗚呼だから
ウソつきは
止まらない
ことばは
あなたに
こうする
べきだと
指図して
キツく当
たったり
するもの
ことばを
食べよう
腹ペコは
よくない
いつでも
ことばは
わたしに
つきまと
ってきた
ことばは
何に見合
うのかな
BY
トムトム
クラブ
おしゃべり
魔女
WHAT
ARE
WORDS
WORTH?
●タイトル
トムトムクラブ
●アーティスト
トムトムクラブ
●プライス
1,604yen
ことばは
ふうらり
ふらふら
風来坊
あたまと
からだの
そとから
うまれる
ことばは
宇宙から
飛来する
ウイルス
ことばは
伝染るん
です
ウィザード
オブワード
とウソぶく
おしゃべり
魔女の戯言
ラッパーも
ライターも
ホントのよ
なウソのよ
うなホント
を語る仕事
シジンに
クチあり
シニンに
クチなし
やれば
やるほど
語れば
語るほど
ウソになる
ウソつきの
デフレスパ
イラル構造
ウソも方便
ウソ八百は
八百万の神
がまじわる
ここ日本で
日常茶飯事
ウソをつく
のが楽しい
からみんな
が喜ぶから
ウソをつく
西アフリカ
のグリオは
世襲語り部
言葉の贅を
尽くして
甘い声音を
駆使して
王侯貴族を
持ち上げる
バラフォン
もマイクロ
フォンもコ
ラもホラも
誰かの心を
気持ちよく
する道具に
変わりない
クレタ島に
住む人間は
ウソつきだ
とクレタ人
が言うから
クレタ人は
ウソつきか
正直者かは
わからない
そして僕は
途方にクレ
てしまって
ウソをつく
とヘソが笑
ってしまう
愛されたい
そのために
なけなしの
できあいの
やっつけな
贈ることば
それはウソ
のはじまり
ホラ吹いて
大言壮語を
吐きまくり
他人も騙し
自分も騙し
イカしてる
ワタクシは
砂上の楼閣
ウソの王国
自己肥大の
キングダム
気づいたら
あなたの
ことばを
信じる人は
誰もいなく
なっていた
ウソはつき
たくないし
ホントなん
て言えない
ライアーの
パラドクス
嗚呼だから
ウソつきは
止まらない
ことばは
あなたに
こうする
べきだと
指図して
キツく当
たったり
するもの
ことばを
食べよう
腹ペコは
よくない
いつでも
ことばは
わたしに
つきまと
ってきた
ことばは
何に見合
うのかな
BY
トムトム
クラブ
おしゃべり
魔女
WHAT
ARE
WORDS
WORTH?
●タイトル
トムトムクラブ
●アーティスト
トムトムクラブ
●プライス
1,604yen
Oto.Hito.E.Kotoba 28
うたうたううただ
泣いタァッテェ
何も変わらないと
言われるけど
誰ダァッテェ
そんなつもりで
泣くんじゃないよ
雨ダァッテェ
雲の上に
飛び出せば
太陽ダァッテェ
手でつかめる
デビューシングル
タイムウィルテル
で宇多田ヒカルは
R&Bのボディに
母・藤圭子直伝の
クラい演歌の情念
の炎を注ぎ入れた
ダァッテェとタメ
て吐いた一呼吸の
フレーズの強さは
想いを消え去って
意味を飛び越えて
言霊は裸になって
声に乗り宙を裂く
ラジオのチューニ
ングのイントロが
ベタな日常の光景
をザッピングする
群像劇を予告する
ウタダの新しい歌
キープトラインは
こんな風に始まる
アイドントケア
アバウト
エニシング
どうでもいいって
かおしなぁがぁら
ずぅっとずぅっと
いのぉっていた
変幻自在のメロと
転調のネジレの妙
ウタダはサビより
そこに至るまでの
ブリッジのライン
がいつも冴えてる
したたかさと率直
さをミックスした
マイナーコードの
テクニシャンぶり
すくすくのびのび
と育った和魂洋才
がウタダのうただ
からデビュー時の
野性が戻ってきた
挑戦者のみ
もらえる
ご褒美ほしいの
少年は
いつまでも
片想い
情熱に
お値段
つけられない
キープトラインは
スキヤキは偶然で
エキゾチック日本
の術は通用しない
アメリカ進出の夢
の挫折という諦念
成就できない想い
オトナの開き直り
それらが複雑な味
で混ざり合ってる
ウタダはアムロの
優良不良少女にも
シイナの文学少女
にもなれないから
ヤンキーとオタク
というサブカルの
2大勢力とは無縁
だからイケてない
アーガイルの服も
猫耳も身につけて
公務員やサラリー
マンにも目配せし
お父さん
お母さん
お兄ちゃん
車掌さん
お嫁さん
キープ
トライン
トライン
とリフレインする
明るい人生応援歌
と思ったら足元を
すくわれるだろう
残酷なウィットが
この曲の要だから
彼女は道の真ん中
誰も歩いていない
ミドルオブロード
を歩いていってる
ずぅっとずぅっと
この狂気の沙汰の
ような現実の道を
●タイトル
キープトライン
●アーティスト
宇多田ヒカル
●プライス
1,100yen
泣いタァッテェ
何も変わらないと
言われるけど
誰ダァッテェ
そんなつもりで
泣くんじゃないよ
雨ダァッテェ
雲の上に
飛び出せば
太陽ダァッテェ
手でつかめる
デビューシングル
タイムウィルテル
で宇多田ヒカルは
R&Bのボディに
母・藤圭子直伝の
クラい演歌の情念
の炎を注ぎ入れた
ダァッテェとタメ
て吐いた一呼吸の
フレーズの強さは
想いを消え去って
意味を飛び越えて
言霊は裸になって
声に乗り宙を裂く
ラジオのチューニ
ングのイントロが
ベタな日常の光景
をザッピングする
群像劇を予告する
ウタダの新しい歌
キープトラインは
こんな風に始まる
アイドントケア
アバウト
エニシング
どうでもいいって
かおしなぁがぁら
ずぅっとずぅっと
いのぉっていた
変幻自在のメロと
転調のネジレの妙
ウタダはサビより
そこに至るまでの
ブリッジのライン
がいつも冴えてる
したたかさと率直
さをミックスした
マイナーコードの
テクニシャンぶり
すくすくのびのび
と育った和魂洋才
がウタダのうただ
からデビュー時の
野性が戻ってきた
挑戦者のみ
もらえる
ご褒美ほしいの
少年は
いつまでも
片想い
情熱に
お値段
つけられない
キープトラインは
スキヤキは偶然で
エキゾチック日本
の術は通用しない
アメリカ進出の夢
の挫折という諦念
成就できない想い
オトナの開き直り
それらが複雑な味
で混ざり合ってる
ウタダはアムロの
優良不良少女にも
シイナの文学少女
にもなれないから
ヤンキーとオタク
というサブカルの
2大勢力とは無縁
だからイケてない
アーガイルの服も
猫耳も身につけて
公務員やサラリー
マンにも目配せし
お父さん
お母さん
お兄ちゃん
車掌さん
お嫁さん
キープ
トライン
トライン
とリフレインする
明るい人生応援歌
と思ったら足元を
すくわれるだろう
残酷なウィットが
この曲の要だから
彼女は道の真ん中
誰も歩いていない
ミドルオブロード
を歩いていってる
ずぅっとずぅっと
この狂気の沙汰の
ような現実の道を
●タイトル
キープトライン
●アーティスト
宇多田ヒカル
●プライス
1,100yen
Oto.Hito.E.Kotoba 27
東京部族晴天日和
よーし
オレたちは
パーティの
準備しよーゼ
じゃあ
まずは
フライヤー*だ
*チラシのこと
トーキョー
トライブ2
5巻53頁
2000年
00年代に
フライヤー
はまだ認知
されてない
という現実
・・・・・
2006年
2月某日
コンビニで
BOONを
手に取る
トーキョー
トライブ2
その最終回
デニーズ
ではなく
ペニーズで
まったりと
過ごす午後
安らぎの店
ファミレス
ストレス
吹き飛ばす
オアシス
主人公たち
のひとみは
キラキラと
かがやき
井上三太
と言えば
隣人13号
の猟奇殺人
ハードコア
と刷り込み
された頭に
あったかく
なまぬるい
幸福な日常
の光景が
フラッシュ
バックする
井上三太の漫画を
しりあがり寿や
長尾謙一郎が
リミックス
したのか
と思い
一瞬
胸
は
ハ
ラ
ハ
ラ
頭
は
ク
ラ
ク
ラ
体
は
バ
ラ
バ
ラ
心
は
ウ
ラ
ハ
ラ
な
90
年代の
リアルを
岡崎京子と
望月峯太郎は
ドラゴンヘッド
ヘルタースケルタ
ーでそれぞれ描き
生きるか死ぬかの
ヴァイオレンスな
モードはいつしか
潮のように引いた
トーキョー
トライブ2
の主人公は
ブラック
ストリート
をスピン
するDJで
フリーター
ディアン
ジェロに
スヌープ
エリカに
ビギーと
登場人物の
モデルも
90年代
の香りだ
ブクロ
シヴヤ
シンヂュク
ムサシノクニ
魚眼レンズ
でのぞいた
東京の街は
ゆがんでる
憎しみの
連鎖は何も
産まない
だから
ジモティな
部族たち
は今日も
こんな風に
のらり
ふらりと
つぶやく
のだろう
ま、いっか
・・・・・
耳に聞こえてる
君に聞こえてる
かは別として
そこにあるのは
退屈ではなく
やすらぎ
いま音時を刻む
せせらぎ
うっすら
消えてく怒り
星空の下で
感じる音に
むせるくらい
深呼吸
メイドイン地球
ゆったり
羽伸ばす暗闇に
同じ月が映る
ひとの瞳
MACKA-
CHIN
やすらぎの店
●タイトル
チンアタック
●アーティスト
マッカチン
●プライス
2,893yen
よーし
オレたちは
パーティの
準備しよーゼ
じゃあ
まずは
フライヤー*だ
*チラシのこと
トーキョー
トライブ2
5巻53頁
2000年
00年代に
フライヤー
はまだ認知
されてない
という現実
・・・・・
2006年
2月某日
コンビニで
BOONを
手に取る
トーキョー
トライブ2
その最終回
デニーズ
ではなく
ペニーズで
まったりと
過ごす午後
安らぎの店
ファミレス
ストレス
吹き飛ばす
オアシス
主人公たち
のひとみは
キラキラと
かがやき
井上三太
と言えば
隣人13号
の猟奇殺人
ハードコア
と刷り込み
された頭に
あったかく
なまぬるい
幸福な日常
の光景が
フラッシュ
バックする
井上三太の漫画を
しりあがり寿や
長尾謙一郎が
リミックス
したのか
と思い
一瞬
胸
は
ハ
ラ
ハ
ラ
頭
は
ク
ラ
ク
ラ
体
は
バ
ラ
バ
ラ
心
は
ウ
ラ
ハ
ラ
な
90
年代の
リアルを
岡崎京子と
望月峯太郎は
ドラゴンヘッド
ヘルタースケルタ
ーでそれぞれ描き
生きるか死ぬかの
ヴァイオレンスな
モードはいつしか
潮のように引いた
トーキョー
トライブ2
の主人公は
ブラック
ストリート
をスピン
するDJで
フリーター
ディアン
ジェロに
スヌープ
エリカに
ビギーと
登場人物の
モデルも
90年代
の香りだ
ブクロ
シヴヤ
シンヂュク
ムサシノクニ
魚眼レンズ
でのぞいた
東京の街は
ゆがんでる
憎しみの
連鎖は何も
産まない
だから
ジモティな
部族たち
は今日も
こんな風に
のらり
ふらりと
つぶやく
のだろう
ま、いっか
・・・・・
耳に聞こえてる
君に聞こえてる
かは別として
そこにあるのは
退屈ではなく
やすらぎ
いま音時を刻む
せせらぎ
うっすら
消えてく怒り
星空の下で
感じる音に
むせるくらい
深呼吸
メイドイン地球
ゆったり
羽伸ばす暗闇に
同じ月が映る
ひとの瞳
MACKA-
CHIN
やすらぎの店
●タイトル
チンアタック
●アーティスト
マッカチン
●プライス
2,893yen
Oto.Hito.E.Kotoba 26
トラックメイカー
いつだって
ひとびとは
とびとびに
うれしくて
かなしくて
とめどなく
ひるとよる
をいったり
きたりする
ケセラセラ
このひろい
わくせいの
うえにすむ
せいぶつは
いまここで
いきすって
いきはいて
いきている
エトセトラ
ちじょうに
うまれては
きえていく
たくさんの
あざやかな
おととひと
ひとつだけ
ひとかけら
ひとつかみ
ワンピース
たましいが
またたいた
つぶやいた
ひらめいた
きらめいた
ブラッサム
さくらさく
はなひらく
はなとちる
かけみちる
そのいのち
あたまとて
うごかして
さがしだす
まだしらぬ
かのうせい
アンノウン
やくそくの
ないちへい
はてしない
あてのない
アンドゥー
くりかえし
たまにある
まれにある
そこにある
ものいわぬ
ものごころ
ついたその
しんどうと
うんどうを
くみあわせ
つなぎとめ
つかみとる
センテンス
いみはない
いとおしい
うつくしい
ひとつづき
シーケンス
かけがえの
ないきおく
かけめぐる
かこみらい
タイムレス
たそがれの
ゆうやみに
あかねさす
あかつきに
あらわれて
たわむれる
おとのむれ
メロウネス
いつかきた
やがてくる
なつかしく
ざんこくな
せいじゃく
サイレンス
ありがたい
ありえない
ありふれた
いっしゅん
モーメント
ありのまま
かんぜんな
えんとなる
ドーナッツ
にちじょう
つきやぶる
ひそやかな
パッション
すこやかな
ミッション
おおらかな
モーション
はずむおと
しずむおと
けむるおと
つむぐおと
スモーキン
アイ
ドン
ノウ
ユー
ノウ
ジェイディ
R.I.P.
●タイトル
ファンタスティックVol. 2
●アーティスト
スラムヴィレッジ
●プライス
2,150yen
いつだって
ひとびとは
とびとびに
うれしくて
かなしくて
とめどなく
ひるとよる
をいったり
きたりする
ケセラセラ
このひろい
わくせいの
うえにすむ
せいぶつは
いまここで
いきすって
いきはいて
いきている
エトセトラ
ちじょうに
うまれては
きえていく
たくさんの
あざやかな
おととひと
ひとつだけ
ひとかけら
ひとつかみ
ワンピース
たましいが
またたいた
つぶやいた
ひらめいた
きらめいた
ブラッサム
さくらさく
はなひらく
はなとちる
かけみちる
そのいのち
あたまとて
うごかして
さがしだす
まだしらぬ
かのうせい
アンノウン
やくそくの
ないちへい
はてしない
あてのない
アンドゥー
くりかえし
たまにある
まれにある
そこにある
ものいわぬ
ものごころ
ついたその
しんどうと
うんどうを
くみあわせ
つなぎとめ
つかみとる
センテンス
いみはない
いとおしい
うつくしい
ひとつづき
シーケンス
かけがえの
ないきおく
かけめぐる
かこみらい
タイムレス
たそがれの
ゆうやみに
あかねさす
あかつきに
あらわれて
たわむれる
おとのむれ
メロウネス
いつかきた
やがてくる
なつかしく
ざんこくな
せいじゃく
サイレンス
ありがたい
ありえない
ありふれた
いっしゅん
モーメント
ありのまま
かんぜんな
えんとなる
ドーナッツ
にちじょう
つきやぶる
ひそやかな
パッション
すこやかな
ミッション
おおらかな
モーション
はずむおと
しずむおと
けむるおと
つむぐおと
スモーキン
アイ
ドン
ノウ
ユー
ノウ
ジェイディ
R.I.P.
●タイトル
ファンタスティックVol. 2
●アーティスト
スラムヴィレッジ
●プライス
2,150yen
Oto.Hito.E.Kotoba 25
ライオットガール
□□ □□ □□
□□ □□ □□
□□ □□ □□
□□ □□ □□
□□□□□□□□
□ビルが林立する
□悲しき熱帯には
□届かなかった声
□が誇りを失った
□声が埃のように
□舞い降り積もる
□□□□□□□□
アイマイが美徳?
その日オーライで
人生クリアした気
見て見ぬフリして
生きてるフリして
イエスノー言わず
キューも投げずに
サジ投げたつもり
リスペクトもなく
サスペクトもなく
ウソで塗り固めた
ティピカルな生活
はトロピカル色に
は決して輝かない
皆が恐れてるのは
意見を言うこと
ソレはとても
シンプルで
当たり前
のこと
誰も罰しないのに
誰も咎めないのに
誰も笑わないのに
聞く耳はどこかに
あるハズなのに。
□
□□□□□
□ □ □
□ □ □
□ □ □
□□□
□□□□□
□ □
□ □
□ □
□名前:ティガラ
□国籍:日本
□性別:女性
かつてスリッツが
裸に泥を塗り女は
女であると世間に
突きつけたように
怒れる意思を持つ
ライオットガール
であるティガラは
ステートメントを
ソシアルな問題を
自分自身の意見を
リオとサンパウロ
ファベーラ貧民街
シティオブゴッド
サンバもボサノバ
も関係ない場所で
生まれたファンク
バイレファンキと
いうブラジル産の
ダンス音楽に乗せ
カポエイラを踊る
孤独なソルジャー
のようにひとりで
現実に立ち向かう
MIAに似ている
という人もいるが
日本語のリリック
にワナビーでない
オリジナリティが
ある。大学で政治
を学んだ先に音楽
に出会った彼女に
音楽愛好者の弱さ
は感じられない。
ガールファイトと
いう曲でティガラ
の言葉は真っ直ぐ
リスナーを切る。
ただ
数え切れない
ほど
の敵がいる
ただ
伝え切れない
ほど
の想い
誰にも
真似できない
誰にも
壊せない
誰にも
渡せないもの
その為に
闘いつづける
闘いは終わらない
□□□□□□□□
ティガラは醒めた
日本人のDNAを
揺るがす爆弾だ。
●タイトル
ティガラEP
●アーティスト
ティガラ
●プライス
1365yen
□□ □□ □□
□□ □□ □□
□□ □□ □□
□□ □□ □□
□□□□□□□□
□ビルが林立する
□悲しき熱帯には
□届かなかった声
□が誇りを失った
□声が埃のように
□舞い降り積もる
□□□□□□□□
アイマイが美徳?
その日オーライで
人生クリアした気
見て見ぬフリして
生きてるフリして
イエスノー言わず
キューも投げずに
サジ投げたつもり
リスペクトもなく
サスペクトもなく
ウソで塗り固めた
ティピカルな生活
はトロピカル色に
は決して輝かない
皆が恐れてるのは
意見を言うこと
ソレはとても
シンプルで
当たり前
のこと
誰も罰しないのに
誰も咎めないのに
誰も笑わないのに
聞く耳はどこかに
あるハズなのに。
□
□□□□□
□ □ □
□ □ □
□ □ □
□□□
□□□□□
□ □
□ □
□ □
□名前:ティガラ
□国籍:日本
□性別:女性
かつてスリッツが
裸に泥を塗り女は
女であると世間に
突きつけたように
怒れる意思を持つ
ライオットガール
であるティガラは
ステートメントを
ソシアルな問題を
自分自身の意見を
リオとサンパウロ
ファベーラ貧民街
シティオブゴッド
サンバもボサノバ
も関係ない場所で
生まれたファンク
バイレファンキと
いうブラジル産の
ダンス音楽に乗せ
カポエイラを踊る
孤独なソルジャー
のようにひとりで
現実に立ち向かう
MIAに似ている
という人もいるが
日本語のリリック
にワナビーでない
オリジナリティが
ある。大学で政治
を学んだ先に音楽
に出会った彼女に
音楽愛好者の弱さ
は感じられない。
ガールファイトと
いう曲でティガラ
の言葉は真っ直ぐ
リスナーを切る。
ただ
数え切れない
ほど
の敵がいる
ただ
伝え切れない
ほど
の想い
誰にも
真似できない
誰にも
壊せない
誰にも
渡せないもの
その為に
闘いつづける
闘いは終わらない
□□□□□□□□
ティガラは醒めた
日本人のDNAを
揺るがす爆弾だ。
●タイトル
ティガラEP
●アーティスト
ティガラ
●プライス
1365yen
Oto.Hito.E.Kotoba 24
すべてを知る男は
アレは皆の大好物
アレが果てるまで
アレを食い尽くす
アイツならなんか
やってくれそうだ
俺たちの代わりに
バズを引き起こし
システムを破壊し
カウンターパンチ
を繰り出すだろう
その期待がマネー
ゲームを生み出し
掛け金は昇り続け
彼はゲーマーとし
てプログラミング
されたURの言う
プログラマーの手
で踊らされた暁に
丘の上のバブル=
バベルの塔は崩れ
塀の中にネットが
ないのを彼は嘆き
南国では赤い血が
流れて黒い社会と
混じり合いすべて
は薮(やぶ)の中
に消えてしまった
彼は手に偽札を
腹に一物を持つ
すべてを知る男
笑顔で取引する
いつでも自分の
ウソが方便だと
知っているんだ
疑うべくもなく
彼はホラ吹きで
世界一クールな
すべてを知る男
彼はあらゆる場
で自分を演じる
君がいくら払う
かしか考えない
彼は損をしない
賭けしかしない
すべてを知る男
生き急いでいる
と彼に聞くなら
大金をつかめば
より多くを望む
のが必然と言う
間違った生き方
と彼に諭すなら
君も僕に従えば
強い男になれる
のにと諭される
スティーヴィーワ
ンダーはインナー
ヴィジョンズ収録
のヒーズミストラ
ノウイッドオール
でこんな意味深な
リリックを綴る。
ニクソン大統領を
辞任に追い込んだ
スキャンダラスな
ウォーターゲート
事件の約1年後に
出たこのアルバム
を聞いた人々は皆
「私はペテン師で
はない」と言った
ニクソンが「彼」
だと暗黙のうちに
気づいただろう。
政治や時事ネタを
歌に織り込むのは
カリプソやレゲエ
や河内音頭なんか
でもおなじみだ。
本当の敵はどこに
いるのだろうか?
誰がそのスキーム
=枠組みを作って
いるのだろうか?
正しい正しくない
というモノサシは
1つと限らない。
誰が善人で
誰が悪人で
誰が醜いか
ヒップホップにも
ポストロックにも
影響を与えてきた
エンニオモリコー
ネの口笛が荒野の
向うで響き渡る。
●タイトル
ザグッドザバッドアンドジアグリー
●アーティスト
エンニオモリコーネ
●プライス
1,641yen
アレは皆の大好物
アレが果てるまで
アレを食い尽くす
アイツならなんか
やってくれそうだ
俺たちの代わりに
バズを引き起こし
システムを破壊し
カウンターパンチ
を繰り出すだろう
その期待がマネー
ゲームを生み出し
掛け金は昇り続け
彼はゲーマーとし
てプログラミング
されたURの言う
プログラマーの手
で踊らされた暁に
丘の上のバブル=
バベルの塔は崩れ
塀の中にネットが
ないのを彼は嘆き
南国では赤い血が
流れて黒い社会と
混じり合いすべて
は薮(やぶ)の中
に消えてしまった
彼は手に偽札を
腹に一物を持つ
すべてを知る男
笑顔で取引する
いつでも自分の
ウソが方便だと
知っているんだ
疑うべくもなく
彼はホラ吹きで
世界一クールな
すべてを知る男
彼はあらゆる場
で自分を演じる
君がいくら払う
かしか考えない
彼は損をしない
賭けしかしない
すべてを知る男
生き急いでいる
と彼に聞くなら
大金をつかめば
より多くを望む
のが必然と言う
間違った生き方
と彼に諭すなら
君も僕に従えば
強い男になれる
のにと諭される
スティーヴィーワ
ンダーはインナー
ヴィジョンズ収録
のヒーズミストラ
ノウイッドオール
でこんな意味深な
リリックを綴る。
ニクソン大統領を
辞任に追い込んだ
スキャンダラスな
ウォーターゲート
事件の約1年後に
出たこのアルバム
を聞いた人々は皆
「私はペテン師で
はない」と言った
ニクソンが「彼」
だと暗黙のうちに
気づいただろう。
政治や時事ネタを
歌に織り込むのは
カリプソやレゲエ
や河内音頭なんか
でもおなじみだ。
本当の敵はどこに
いるのだろうか?
誰がそのスキーム
=枠組みを作って
いるのだろうか?
正しい正しくない
というモノサシは
1つと限らない。
誰が善人で
誰が悪人で
誰が醜いか
ヒップホップにも
ポストロックにも
影響を与えてきた
エンニオモリコー
ネの口笛が荒野の
向うで響き渡る。
●タイトル
ザグッドザバッドアンドジアグリー
●アーティスト
エンニオモリコーネ
●プライス
1,641yen
Oto.Hito.E.Kotoba 23
渚のファンタジー
今時のサーフィン
のBGMと言えば
ジャックジョンソ
ンやトミーゲレロ
になるのだろうが
半世紀も前の定番
はビーチボーイズ
と決まっていた。
ビーチボーイズは
カリフォルニアの
青い空の代名詞と
なったがリーダー
のブライアンウィ
ルソンはサーフィ
ンはやらない内向
的な若者だった。
ビーチボーイズは
バーチャルな架空
の渚音楽だった。
60年代中頃から
ブライアンは楽天
的なサーフ音楽と
かけ離れた表現に
突き進む。消防士
の帽子をかぶって
スタジオで狂って
いきながら・・。
ディズニーガール
という曲で、彼は
内面を告白する。
パティペイジを
聞いて過ごした
ケープコッドの
あの夏の日々
幸福な思い出は
僕のガレージで
ワインのように
熟していく
リアリティは
僕に似合わない
笑っちゃうよね
ファンタジーと
ディズニーガール
僕は戻ってきたよ
ナイーブな思春期
の代弁者だった彼
はスマイルという
幻の作品の製作中
心を病んでスピン
アウト、ドラッグ
と過食症でベッド
の上で長い年月を
過ごすひきこもり
になってしまう。
深く傷ついたのだ
アメリカの若さに
アメリカの理想に
アメリカの夢に。
ミッキーマウスの
初期の顔が凶悪だ
とか、映画ダンボ
のサイケデリック
なトリップの場面
はディズニー自身
がLSDをやって
ピンクの象を見た
から出来たとか、
ディズニーランド
は周囲を森で囲い
現実をゲストの頭
から締め出すため
の完璧なレシピが
用意されてるとか
ディズニーの夢の
工場には数多くの
サイドストーリー
が隠されている。
ディズニーとブラ
イアンウィルソン
がダブってくる。
ブライアンは21
世紀にスマイルを
完成させ、やっと
若さという呪いを
解いたのだった。
いつの時代でも夢
の中で泳ぎ続ける
行為は危険で代償
を伴うのだろう。
シーズンオフの
ビーチサイド
塩辛い空気
クラゲと
サビた
建物
そこで
プカプカ
浮いている
ファンタジー
の泡のカタマリ
ブライアンの音楽
を聞くと浮かぶの
はそんな風景だ。
●タイトル
スマイル
●アーティスト
ブライアンウィルソン
●プライス
2,191yen
今時のサーフィン
のBGMと言えば
ジャックジョンソ
ンやトミーゲレロ
になるのだろうが
半世紀も前の定番
はビーチボーイズ
と決まっていた。
ビーチボーイズは
カリフォルニアの
青い空の代名詞と
なったがリーダー
のブライアンウィ
ルソンはサーフィ
ンはやらない内向
的な若者だった。
ビーチボーイズは
バーチャルな架空
の渚音楽だった。
60年代中頃から
ブライアンは楽天
的なサーフ音楽と
かけ離れた表現に
突き進む。消防士
の帽子をかぶって
スタジオで狂って
いきながら・・。
ディズニーガール
という曲で、彼は
内面を告白する。
パティペイジを
聞いて過ごした
ケープコッドの
あの夏の日々
幸福な思い出は
僕のガレージで
ワインのように
熟していく
リアリティは
僕に似合わない
笑っちゃうよね
ファンタジーと
ディズニーガール
僕は戻ってきたよ
ナイーブな思春期
の代弁者だった彼
はスマイルという
幻の作品の製作中
心を病んでスピン
アウト、ドラッグ
と過食症でベッド
の上で長い年月を
過ごすひきこもり
になってしまう。
深く傷ついたのだ
アメリカの若さに
アメリカの理想に
アメリカの夢に。
ミッキーマウスの
初期の顔が凶悪だ
とか、映画ダンボ
のサイケデリック
なトリップの場面
はディズニー自身
がLSDをやって
ピンクの象を見た
から出来たとか、
ディズニーランド
は周囲を森で囲い
現実をゲストの頭
から締め出すため
の完璧なレシピが
用意されてるとか
ディズニーの夢の
工場には数多くの
サイドストーリー
が隠されている。
ディズニーとブラ
イアンウィルソン
がダブってくる。
ブライアンは21
世紀にスマイルを
完成させ、やっと
若さという呪いを
解いたのだった。
いつの時代でも夢
の中で泳ぎ続ける
行為は危険で代償
を伴うのだろう。
シーズンオフの
ビーチサイド
塩辛い空気
クラゲと
サビた
建物
そこで
プカプカ
浮いている
ファンタジー
の泡のカタマリ
ブライアンの音楽
を聞くと浮かぶの
はそんな風景だ。
●タイトル
スマイル
●アーティスト
ブライアンウィルソン
●プライス
2,191yen
Oto.Hito.E.Kotoba 22
ハローグッドバイ
ある朝
めざめると
自分が
ひとりでは
ないと
突然気づく
本物でも
偽物でも
際物でも
傷物でも
善人でも
悪人でも
嫌いでも
好きでも
ど こ か の
だ れ か と
ま だ 見 ぬ
だ れ か と
つながっていれば
それでいいのだと
バカボンのように
ひとりうなずいて
そして起き上がる
ソウルメイトとか
いないしメイドは
オタクで事足りる
ブログやミクシー
で自分語りしたり
いまこの瞬間にも
星の数ほどの人が
思いや想いを吐露
してると考えると
めまいに襲われる
お互いがお互いを
理解するのは幻想
だとしても万力で
締めてるのは一体
誰の心なのだろう
輪廻転生を信じる
なら60億人もの
人類は劣化コピー
なのかもしれない
わたしはケアする
ワケじゃないのだ
ただいるのだから
と神様ならばウソ
ぶくかもしれない
東洋哲学みたいな
答にならない答は
どこで手に入る?
宇宙は薄いターコ
イズブルーの色を
していると聞いた
銀河に存在する光
の波の長さや強さ
を平均するとそう
なるらしいじゃあ
この黒々した夜は
どう説明するのか
キャロルキングが
私の友達という曲
でこう唄っている
困難で立ち上がれ
ないとき
何もかもがうまく
いかないとき
目を閉じて
私のことを
思い起こせば
いますぐに
迎えに行こう
あなたの暗い夜を
輝かせるために
こんなポジティブ
な歌が70年代の
ベトナム戦争期の
絶望の泥沼の中で
生まれたのだから
ハローグッドバイ
とつぶやいてみる
ただ ただ
ただ ただ
もの と もの
ひと と ひと
が ひき あう
そら の した
ケニーボビアンの
この曲は黒人演歌
ここに極まれりな
コブシを効かせた
声が友愛をうたう
ゴスペルハウスの
アンセムソング。
●タイトル
ユーアーマイフレンド
●アーティスト
ケニーボビアン
●プライス
1,250yen
ある朝
めざめると
自分が
ひとりでは
ないと
突然気づく
本物でも
偽物でも
際物でも
傷物でも
善人でも
悪人でも
嫌いでも
好きでも
ど こ か の
だ れ か と
ま だ 見 ぬ
だ れ か と
つながっていれば
それでいいのだと
バカボンのように
ひとりうなずいて
そして起き上がる
ソウルメイトとか
いないしメイドは
オタクで事足りる
ブログやミクシー
で自分語りしたり
いまこの瞬間にも
星の数ほどの人が
思いや想いを吐露
してると考えると
めまいに襲われる
お互いがお互いを
理解するのは幻想
だとしても万力で
締めてるのは一体
誰の心なのだろう
輪廻転生を信じる
なら60億人もの
人類は劣化コピー
なのかもしれない
わたしはケアする
ワケじゃないのだ
ただいるのだから
と神様ならばウソ
ぶくかもしれない
東洋哲学みたいな
答にならない答は
どこで手に入る?
宇宙は薄いターコ
イズブルーの色を
していると聞いた
銀河に存在する光
の波の長さや強さ
を平均するとそう
なるらしいじゃあ
この黒々した夜は
どう説明するのか
キャロルキングが
私の友達という曲
でこう唄っている
困難で立ち上がれ
ないとき
何もかもがうまく
いかないとき
目を閉じて
私のことを
思い起こせば
いますぐに
迎えに行こう
あなたの暗い夜を
輝かせるために
こんなポジティブ
な歌が70年代の
ベトナム戦争期の
絶望の泥沼の中で
生まれたのだから
ハローグッドバイ
とつぶやいてみる
ただ ただ
ただ ただ
もの と もの
ひと と ひと
が ひき あう
そら の した
ケニーボビアンの
この曲は黒人演歌
ここに極まれりな
コブシを効かせた
声が友愛をうたう
ゴスペルハウスの
アンセムソング。
●タイトル
ユーアーマイフレンド
●アーティスト
ケニーボビアン
●プライス
1,250yen
Oto.Hito.E.Kotoba 21
スペクタクル社会
ーーーーーーーー
戦 争
反
対
ーーーーーーーー
ス
ペ
反 ク
戦 タ
ク
社ル
会
ーーーーーーーー
イラク戦争が勃発
した2003年、
公衆トイレにこう
スプレーで落書き
した若者が逮捕さ
れ、今年、最高裁
で有罪となった。
ECDがジャケに
この画像を使い、
水戸芸術館で日本
のグラフィティの
展覧会が開かれ、
杉並区の書店員で
スケボーとクラブ
に明け暮れたK君
は罪人となった。
落書きは軽犯罪法
が適用されるハズ
が懲役1年以上。
グラフィティとは
都市の公共物を破
壊するということ
=ヴァンダリズム
の産物でもある。
ローマを破壊した
ヴァンダル族から
生まれたこの言葉
は70年代NYで
ワイルドスタイル
ウォーズの火蓋を
切りグラフィティ
の潮流を生み出し
あのツインタワー
にも飛び火する。
K君の落書きがア
ートだとは筆者は
言わない。たぶん
その素朴なまでの
直接なスクリブル
がスクランブルを
かけてしまった。
匿名性はグラフの
世界の鉄則だから
そこから出た者は
記名のタグを商業
世界/警察に晒す
選択を迫られる。
明日のバスキアや
キースヘリングが
株券のように取引
されラメルジーは
その難解な図像学
で大量消費を拒み
あるギャラリーで
展示された日本人
アーティストの絵
をナイキの社長が
購入したらIT系
ヒルズ族がその作
品群を買い漁る。
選ぶ基準はアッチ
でコッチではない
という寂しい話。
元グラフライター
で今はマイアミの
インディレーベル
ベータボデガ主宰
のラマノフリアは
世界地図の真ん中
に1ドル札をコラ
ージュする。分断
された世界の上に
ONEという印。
ワンネーション
アンダーザ
グルーヴでなく
グローバリズム
それを支えるのが
劇場化された社会
スペクタクル社会
の泉の歪みの中で
浮き沈む僕らだと
いう矛盾は知って
いていいと思う。
●タイトル
ヴァンダリズム
●アーティスト
DJバク
●プライス
1,770yen
ーーーーーーーー
戦 争
反
対
ーーーーーーーー
ス
ペ
反 ク
戦 タ
ク
社ル
会
ーーーーーーーー
イラク戦争が勃発
した2003年、
公衆トイレにこう
スプレーで落書き
した若者が逮捕さ
れ、今年、最高裁
で有罪となった。
ECDがジャケに
この画像を使い、
水戸芸術館で日本
のグラフィティの
展覧会が開かれ、
杉並区の書店員で
スケボーとクラブ
に明け暮れたK君
は罪人となった。
落書きは軽犯罪法
が適用されるハズ
が懲役1年以上。
グラフィティとは
都市の公共物を破
壊するということ
=ヴァンダリズム
の産物でもある。
ローマを破壊した
ヴァンダル族から
生まれたこの言葉
は70年代NYで
ワイルドスタイル
ウォーズの火蓋を
切りグラフィティ
の潮流を生み出し
あのツインタワー
にも飛び火する。
K君の落書きがア
ートだとは筆者は
言わない。たぶん
その素朴なまでの
直接なスクリブル
がスクランブルを
かけてしまった。
匿名性はグラフの
世界の鉄則だから
そこから出た者は
記名のタグを商業
世界/警察に晒す
選択を迫られる。
明日のバスキアや
キースヘリングが
株券のように取引
されラメルジーは
その難解な図像学
で大量消費を拒み
あるギャラリーで
展示された日本人
アーティストの絵
をナイキの社長が
購入したらIT系
ヒルズ族がその作
品群を買い漁る。
選ぶ基準はアッチ
でコッチではない
という寂しい話。
元グラフライター
で今はマイアミの
インディレーベル
ベータボデガ主宰
のラマノフリアは
世界地図の真ん中
に1ドル札をコラ
ージュする。分断
された世界の上に
ONEという印。
ワンネーション
アンダーザ
グルーヴでなく
グローバリズム
それを支えるのが
劇場化された社会
スペクタクル社会
の泉の歪みの中で
浮き沈む僕らだと
いう矛盾は知って
いていいと思う。
●タイトル
ヴァンダリズム
●アーティスト
DJバク
●プライス
1,770yen
Oto.Hito.E.Kotoba 20
パンククチュール
モードは戦士の鎧
にも裸の告白にも
なりうるだろう。
フラットシューズ
を選ぶかパンプス
を選ぶか。ほんの
些細なことが人生
を変えたりする。
生まれた国も親も
人間は選べないが
何の気ナシに選ぶ
小さな行為が後々
大きな意味を持つ
ことはよくある。
選んでるつもりが
選ばされてるかも
しれない。好きと
思う気持ちに偽り
はなくとも後天的
に植えつけられた
インプラントな記
憶でないと時代の
波に乗って浮かれ
てただけでないと
誰が否定できる?
無数のトライブが
族が派閥が国境を
超えたキャラバン
を動かしている。
ディオールオムの
エディスリマンは
タイもサスペンダ
ーも手も足も細く
かつてないほどに
タイトでスレンダ
ーでロックを指向
する。テディボー
イやモッズの過激
な21世紀仕様。
ルーズでファット
なヒップホップの
出で立ちとそれは
真逆。洋服と音の
共犯関係が2つの
世界を分断する。
どちらも街の若者
が生んだ反骨精神
の賜物だが今では
立派なビジネスに
洗練された広告に
なってしまった。
日本一有名なある
ラッパーはヨウジ
ヤマモト好きだし
元アンチポップの
ビーンズはコムデ
ギャルソン好き。
ランDMCのアデ
ィダスに影響され
ジャージを着たら
中学の先生と間違
えられた笑えない
エピソードも遥か
昔のウラシマだ。
服飾デザイナーの
ベルンハルトウィ
ルヘルムは極端に
デフォルメされた
族ファッションを
まな板に乗せる。
アメリカンフット
ボールはアメコミ
になり、アフリカ
の民族衣装はヴィ
ヴィアンウエスト
ウッドの80年代
無国籍風に変身し
とび職のニッカー
ボッカーズが都市
を闊歩する忍者の
光学迷彩になる。
ベルンハルトの服
は風刺画、ポンチ
絵のように映る。
パンククチュール
の女神に君臨する
ヴィヴィアンウエ
ストウッドの次の
言葉は浅いような
深いような警句で
選ぶことに疲れた
心にクギを刺す。
印象的な
服を着る
ことは
よりよい
人生に
つながる
●タイトル
ショックシティマーヴェリック
●アーティスト
ビーンズ
●プライス
2,245yen
モードは戦士の鎧
にも裸の告白にも
なりうるだろう。
フラットシューズ
を選ぶかパンプス
を選ぶか。ほんの
些細なことが人生
を変えたりする。
生まれた国も親も
人間は選べないが
何の気ナシに選ぶ
小さな行為が後々
大きな意味を持つ
ことはよくある。
選んでるつもりが
選ばされてるかも
しれない。好きと
思う気持ちに偽り
はなくとも後天的
に植えつけられた
インプラントな記
憶でないと時代の
波に乗って浮かれ
てただけでないと
誰が否定できる?
無数のトライブが
族が派閥が国境を
超えたキャラバン
を動かしている。
ディオールオムの
エディスリマンは
タイもサスペンダ
ーも手も足も細く
かつてないほどに
タイトでスレンダ
ーでロックを指向
する。テディボー
イやモッズの過激
な21世紀仕様。
ルーズでファット
なヒップホップの
出で立ちとそれは
真逆。洋服と音の
共犯関係が2つの
世界を分断する。
どちらも街の若者
が生んだ反骨精神
の賜物だが今では
立派なビジネスに
洗練された広告に
なってしまった。
日本一有名なある
ラッパーはヨウジ
ヤマモト好きだし
元アンチポップの
ビーンズはコムデ
ギャルソン好き。
ランDMCのアデ
ィダスに影響され
ジャージを着たら
中学の先生と間違
えられた笑えない
エピソードも遥か
昔のウラシマだ。
服飾デザイナーの
ベルンハルトウィ
ルヘルムは極端に
デフォルメされた
族ファッションを
まな板に乗せる。
アメリカンフット
ボールはアメコミ
になり、アフリカ
の民族衣装はヴィ
ヴィアンウエスト
ウッドの80年代
無国籍風に変身し
とび職のニッカー
ボッカーズが都市
を闊歩する忍者の
光学迷彩になる。
ベルンハルトの服
は風刺画、ポンチ
絵のように映る。
パンククチュール
の女神に君臨する
ヴィヴィアンウエ
ストウッドの次の
言葉は浅いような
深いような警句で
選ぶことに疲れた
心にクギを刺す。
印象的な
服を着る
ことは
よりよい
人生に
つながる
●タイトル
ショックシティマーヴェリック
●アーティスト
ビーンズ
●プライス
2,245yen
Oto.Hito.E.Kotoba 19
エイプは殺される
サービス精神旺盛
なターンテーブリ
ストの芸のごとく
クドくてしつこく
技がテンコ盛りな
トゥーマッチ俺節
に観終わった後は
グッタリ疲労感な
VFX満漢全席。
映画キングコング
はそんな作品だ。
ドンキーコングも
クイーンコングも
2001年宇宙の
旅も猿の惑星も猿
の軍団も通過して
エイプはどこにも
蔓延しているから
いまさら巨大猿人
に世界第8の脅威
を感じるほどウブ
にもう戻れない。
オタク&浪花節の
の庶民派ピーター
ジャクソン監督は
そんなスレっから
しの我々に33年
公開のオリジナル
の世界観をリアル
に大マジメに再現
=リメイクという
力技で勝負する。
世界大戦を挟んだ
禁酒法時代の不安
な気分、未開の地
にロマンを馳せる
大衆心理、ドクロ
島に向う冒険号の
船員の一人が地獄
の黙示録の原作=
闇の奥を読んでい
るのもいかにも。
コングは発見され
囚われ反抗しNY
の頂点エンパイア
ステートビルに上
って吠えて死ぬ。
野蛮な野性は文明
社会では見せ物に
ならない限りは生
きる権利を与えら
れないという運命
を本能で察知した
彼の瀕死の抵抗?
スーパーヒーロー
=超人は社会の中
でノケモノな獣な
ので抹殺されるし
かないセオリー?
死に場所を求めた
自殺行為?心を通
わせた女と一緒に
朝日を見たかった
だけ?それとも?
たぶん彼はそこに
上りたかっただけ
なんじゃないかな
この映画の欠点は
3時間という長さ
にある。45分の
LPから74分の
CDへという情報
の肥大化とそれは
リンクしている。
アルジョルソンの
トップオブザワー
ルドが鳴り響くが
僕にはリーペリー
のスーパーエイプ
のジャケがカブっ
てしまう。カリブ
の孤島ジャマイカ
のダブとコングの
末路が重なってし
まうのだなぜか。
イイカゲンで粗野
で向こう見ずで殺
を胸に秘めたヤツ
はどこに消えた?
そんなアナクロで
バカヤロな叫びが
ナオミワッツの叫
びの奥にはある。
●タイトル
スーパーエイプ
●アーティスト
リースクラッチペリー&アップセッターズ
●プライス
1,488yen
サービス精神旺盛
なターンテーブリ
ストの芸のごとく
クドくてしつこく
技がテンコ盛りな
トゥーマッチ俺節
に観終わった後は
グッタリ疲労感な
VFX満漢全席。
映画キングコング
はそんな作品だ。
ドンキーコングも
クイーンコングも
2001年宇宙の
旅も猿の惑星も猿
の軍団も通過して
エイプはどこにも
蔓延しているから
いまさら巨大猿人
に世界第8の脅威
を感じるほどウブ
にもう戻れない。
オタク&浪花節の
の庶民派ピーター
ジャクソン監督は
そんなスレっから
しの我々に33年
公開のオリジナル
の世界観をリアル
に大マジメに再現
=リメイクという
力技で勝負する。
世界大戦を挟んだ
禁酒法時代の不安
な気分、未開の地
にロマンを馳せる
大衆心理、ドクロ
島に向う冒険号の
船員の一人が地獄
の黙示録の原作=
闇の奥を読んでい
るのもいかにも。
コングは発見され
囚われ反抗しNY
の頂点エンパイア
ステートビルに上
って吠えて死ぬ。
野蛮な野性は文明
社会では見せ物に
ならない限りは生
きる権利を与えら
れないという運命
を本能で察知した
彼の瀕死の抵抗?
スーパーヒーロー
=超人は社会の中
でノケモノな獣な
ので抹殺されるし
かないセオリー?
死に場所を求めた
自殺行為?心を通
わせた女と一緒に
朝日を見たかった
だけ?それとも?
たぶん彼はそこに
上りたかっただけ
なんじゃないかな
この映画の欠点は
3時間という長さ
にある。45分の
LPから74分の
CDへという情報
の肥大化とそれは
リンクしている。
アルジョルソンの
トップオブザワー
ルドが鳴り響くが
僕にはリーペリー
のスーパーエイプ
のジャケがカブっ
てしまう。カリブ
の孤島ジャマイカ
のダブとコングの
末路が重なってし
まうのだなぜか。
イイカゲンで粗野
で向こう見ずで殺
を胸に秘めたヤツ
はどこに消えた?
そんなアナクロで
バカヤロな叫びが
ナオミワッツの叫
びの奥にはある。
●タイトル
スーパーエイプ
●アーティスト
リースクラッチペリー&アップセッターズ
●プライス
1,488yen
Oto.Hito.E.Kotoba 18
プリティバカント
2005年から
2006年へ。
去年の10年前、
1995年は阪神
大震災と地下鉄サ
リン事件、最悪の
天災と人災がダブ
ルで起きた年だ。
バブルに浮かれた
好景気の中で人々
は思っていた。
こんなことが永遠
に続くワケない。
その不安と恐怖、
様々な表現媒体で
幻視された終末、
繁栄に隠れていた
膿や闇が現実にな
った年が95年。
ネオ東京もネコ耳
つけたドラえもん
もネギ背負った鴨
もやってこない。
サザエさん一家は
永遠にTVの中で
絶対安全なお茶の
間を演じ続ける。
この壮絶なギャグ
めいた現実の中で
ホワッツゴーイン
オン=どぉなっち
ゃってんだよ!と
こんな複雑な世界
をぶっこわせ!と
叫んでみたところ
でウンともスンと
もナンともはや。
崩壊してしまえば
全部チャラにして
振り出しに戻れる
という淡い期待は
もう抱けない。
現実はすでに崩壊
してるから、それ
をあえて表現する
ことがナンセンス
でイノセンスだと
いう困った状態。
これが21世紀の
イタイ認識だ。
これはラブソング
なんかじゃない。
そうシャウトして
リスナーを挑発し
ロックは死んだと
ウソぶいたパンク
の神様ジョンライ
ドンも今では英国
のB級サバイバル
TVショー「俺は
セレブだ、ここか
ら出してくれ!」
のコメディアンの
方が有名だろう。
オーストラリアの
ジャングルで彼は
下品で野卑な言動
で人々を歓喜させ
昔のファンを失望
させ番組を下りた
時には「ゴーマン
かますわけじゃな
いが、完全に私は
勝ったようだ」と
発言し「ジョンの
いないジャングル
はまるで空っぽ」
と惜しまれた。
彼は土俵を変えて
もそのアナーキー
なスタンスを貫き
通したと言える。
たしかにパンクは
現実にツバを吐き
かけるサイテーの
異議申し立て手段
には違いない。
でもその手段すら
奪われた社会なん
てゾッとする。
プリティバカント
とジョンは歌う。
俺は幻想を
信じない
現実で手一杯さ
俺たちは空っぽ
とても空っぽ
●タイトル
ザベストオブブリティッシュワンポンドノーツ
●アーティスト
ジョンライドン
●プライス
3,779yen
2005年から
2006年へ。
去年の10年前、
1995年は阪神
大震災と地下鉄サ
リン事件、最悪の
天災と人災がダブ
ルで起きた年だ。
バブルに浮かれた
好景気の中で人々
は思っていた。
こんなことが永遠
に続くワケない。
その不安と恐怖、
様々な表現媒体で
幻視された終末、
繁栄に隠れていた
膿や闇が現実にな
った年が95年。
ネオ東京もネコ耳
つけたドラえもん
もネギ背負った鴨
もやってこない。
サザエさん一家は
永遠にTVの中で
絶対安全なお茶の
間を演じ続ける。
この壮絶なギャグ
めいた現実の中で
ホワッツゴーイン
オン=どぉなっち
ゃってんだよ!と
こんな複雑な世界
をぶっこわせ!と
叫んでみたところ
でウンともスンと
もナンともはや。
崩壊してしまえば
全部チャラにして
振り出しに戻れる
という淡い期待は
もう抱けない。
現実はすでに崩壊
してるから、それ
をあえて表現する
ことがナンセンス
でイノセンスだと
いう困った状態。
これが21世紀の
イタイ認識だ。
これはラブソング
なんかじゃない。
そうシャウトして
リスナーを挑発し
ロックは死んだと
ウソぶいたパンク
の神様ジョンライ
ドンも今では英国
のB級サバイバル
TVショー「俺は
セレブだ、ここか
ら出してくれ!」
のコメディアンの
方が有名だろう。
オーストラリアの
ジャングルで彼は
下品で野卑な言動
で人々を歓喜させ
昔のファンを失望
させ番組を下りた
時には「ゴーマン
かますわけじゃな
いが、完全に私は
勝ったようだ」と
発言し「ジョンの
いないジャングル
はまるで空っぽ」
と惜しまれた。
彼は土俵を変えて
もそのアナーキー
なスタンスを貫き
通したと言える。
たしかにパンクは
現実にツバを吐き
かけるサイテーの
異議申し立て手段
には違いない。
でもその手段すら
奪われた社会なん
てゾッとする。
プリティバカント
とジョンは歌う。
俺は幻想を
信じない
現実で手一杯さ
俺たちは空っぽ
とても空っぽ
●タイトル
ザベストオブブリティッシュワンポンドノーツ
●アーティスト
ジョンライドン
●プライス
3,779yen
Oto.Hito.E.Kotoba 17
クリスマストダイ
ハイとローが季節
を彩るクリスマス
ハッピーにならな
くちゃヒッピーに
なりたくないしさ
そんな強迫観念が
ココロにアサイン
山下達郎とワム!
とクリスレアが頭
の中でリフレイン
君の琴線と涙腺に
無限チューンイン
グローバリズムの
罠にフェイドイン
ブランニューな恋
器官ニューロな恋
遥かディスタンス
考えないスタンス
ロハスだエコだと
豆や豆乳をゲット
それがアマゾンの
森林地帯をカット
環境破壊にリンク
してるなんて思っ
てもみないシンク
エスキモーは最近
暑いという言葉を
覚えたんだ言語は
RAWライクスシ
オゾンはホールで
ケーキはピースで
ホールアース輪廻
リメイク難しいね
原因と結果はグル
グル回りリバース
過去と未来は現実
を解凍リプレース
牛肉解禁プリオン
体内宇宙オリオン
のように光り輝く
イートオアダイの
点滅をくりかえす
発狂するのはウシ
じゃなくて人間さ
エイズと同じ文明
病だから自業自得
崩壊へのフェイズ
今だから自給自足
それはちょいムリ
ちょいワルなノリ
でモテたい気持ち
どっちつかず中庸
中流下流上流傍流
決めるは自分自身
サイドウォーキン
してもいつか帰る
ホームは欲しいよ
イエスオーイエス
イエスの誕生日は
再生と復活の儀式
血で血を洗う歴史
毎日のルーティン
から抜け出すのさ
僕私俺拙君彼彼女
つながってる幻想
人間という言葉は
中国の辞書にない
人の間で渡る世間
に個人主義はない
横断歩道はみんな
で渡れば怖くない
ブレイクダウンし
意識のコンセント
外すそこはヤバイ
ヤバクナクナイは
関係ナイいつでも
あるどこでもある
オールタイムある
アルタミラの洞窟
ホモサピエンスで
ホモルーデンス=
遊ぶ人は愛する人
遊ぶ人は恋する人
人人人人人人人人
人人人人人人人人
人人人人人人人人
人人人人人人人人
人人人人人人人人
の波の中に浮かぶ
ロックステディの
ゆったりリズムに
ドンブラコ浮かぶ
アルトンエリスの
しゃがれ声が響く
クリスマスカミン
ハッピーでもそう
でもなくても祝福
しよう生まれては
消えてくこの魂を
メリーメリーユー
●タイトル
クリスマスインジャマイカ
●アーティスト
V.A.
●プライス
1,500yen
ハイとローが季節
を彩るクリスマス
ハッピーにならな
くちゃヒッピーに
なりたくないしさ
そんな強迫観念が
ココロにアサイン
山下達郎とワム!
とクリスレアが頭
の中でリフレイン
君の琴線と涙腺に
無限チューンイン
グローバリズムの
罠にフェイドイン
ブランニューな恋
器官ニューロな恋
遥かディスタンス
考えないスタンス
ロハスだエコだと
豆や豆乳をゲット
それがアマゾンの
森林地帯をカット
環境破壊にリンク
してるなんて思っ
てもみないシンク
エスキモーは最近
暑いという言葉を
覚えたんだ言語は
RAWライクスシ
オゾンはホールで
ケーキはピースで
ホールアース輪廻
リメイク難しいね
原因と結果はグル
グル回りリバース
過去と未来は現実
を解凍リプレース
牛肉解禁プリオン
体内宇宙オリオン
のように光り輝く
イートオアダイの
点滅をくりかえす
発狂するのはウシ
じゃなくて人間さ
エイズと同じ文明
病だから自業自得
崩壊へのフェイズ
今だから自給自足
それはちょいムリ
ちょいワルなノリ
でモテたい気持ち
どっちつかず中庸
中流下流上流傍流
決めるは自分自身
サイドウォーキン
してもいつか帰る
ホームは欲しいよ
イエスオーイエス
イエスの誕生日は
再生と復活の儀式
血で血を洗う歴史
毎日のルーティン
から抜け出すのさ
僕私俺拙君彼彼女
つながってる幻想
人間という言葉は
中国の辞書にない
人の間で渡る世間
に個人主義はない
横断歩道はみんな
で渡れば怖くない
ブレイクダウンし
意識のコンセント
外すそこはヤバイ
ヤバクナクナイは
関係ナイいつでも
あるどこでもある
オールタイムある
アルタミラの洞窟
ホモサピエンスで
ホモルーデンス=
遊ぶ人は愛する人
遊ぶ人は恋する人
人人人人人人人人
人人人人人人人人
人人人人人人人人
人人人人人人人人
人人人人人人人人
の波の中に浮かぶ
ロックステディの
ゆったりリズムに
ドンブラコ浮かぶ
アルトンエリスの
しゃがれ声が響く
クリスマスカミン
ハッピーでもそう
でもなくても祝福
しよう生まれては
消えてくこの魂を
メリーメリーユー
●タイトル
クリスマスインジャマイカ
●アーティスト
V.A.
●プライス
1,500yen
Oto.Hito.E.Kotoba 16
虹を探しに行こう
虹を歌にした曲は
意外に数少ない。
オズの魔法使いの
主題歌「オーバー
ザレインボウ」、
アストラッドジル
ベルトの「ルック
トゥザレインボウ
」あたりが有名。
朝
火 森
水 雨 湖
陽 川 雲 星
山 月 闇
風 光 土 昼
雪 夜 海
空 木
虹
心象風景を雨や陽
に例えても虹には
あまり例えない。
虹は、
マレで
ハレで
レア。
ミニマルミュージ
ックのパイオニア
テリーライリー。
テディライリー、
元ガイの彼でなく
テリーライリー。
彼の代表曲が「ア
レインボウインカ
ーブドエア」だ。
ミニマルは
こんな風に
カンタンな
フレーズが
すこしづつ
ズレていき
反復される
音楽のこと
DJシャドウの「
オルガンドナー」
+
早過ぎたテクノの
「E2-E4」
+
バッハ
=
?
オルガンのリフが
永遠に反復される
毒にも薬にもなる
サイケデリックな
マインドスケープ
極楽楽園音楽絵巻
アメリカは持ち前
の開拓精神で西へ
西へと向かい、西
海岸に辿り着く。
スターウォーズも
アップルコンピュ
ータも産声を上げ
たのは西海岸だ。
世捨て人や仙人を
思わせる顔をした
カリフォルニアン
テリーライリーは
11月に来日し、
建築家フランクロ
イドライトが池袋
に建てた自由学園
で演奏を行った。
2つの最良のアメ
リカが出会った、
月がキレイな夜。
ピアノとギターと
琴と笙(しょう)
と打楽器の共演。
ライリーのピアノ
はコロコロと時折
眠気を誘いながら
心地よく鳴り前衛
の堅苦しさはなく
東洋と西洋の融合
というウサン臭さ
から遠い清々しい
シェイクハンドで
シンガーソングな
吟遊詩人の夕べに
ココが日本である
ことを忘れしばし
最果ての地に佇み
ふと我に返ればそ
こは池袋の繁華街
屈曲した虹の軌跡
はマレに奇跡とや
らを呼び起こして
現実をネジ曲げる
それは虹彩の錯覚
なのかもしれない
●タイトル
アレインボウインカーブドエア
●アーティスト
テリーライリー
●プライス
1,695yen
虹を歌にした曲は
意外に数少ない。
オズの魔法使いの
主題歌「オーバー
ザレインボウ」、
アストラッドジル
ベルトの「ルック
トゥザレインボウ
」あたりが有名。
朝
火 森
水 雨 湖
陽 川 雲 星
山 月 闇
風 光 土 昼
雪 夜 海
空 木
虹
心象風景を雨や陽
に例えても虹には
あまり例えない。
虹は、
マレで
ハレで
レア。
ミニマルミュージ
ックのパイオニア
テリーライリー。
テディライリー、
元ガイの彼でなく
テリーライリー。
彼の代表曲が「ア
レインボウインカ
ーブドエア」だ。
ミニマルは
こんな風に
カンタンな
フレーズが
すこしづつ
ズレていき
反復される
音楽のこと
DJシャドウの「
オルガンドナー」
+
早過ぎたテクノの
「E2-E4」
+
バッハ
=
?
オルガンのリフが
永遠に反復される
毒にも薬にもなる
サイケデリックな
マインドスケープ
極楽楽園音楽絵巻
アメリカは持ち前
の開拓精神で西へ
西へと向かい、西
海岸に辿り着く。
スターウォーズも
アップルコンピュ
ータも産声を上げ
たのは西海岸だ。
世捨て人や仙人を
思わせる顔をした
カリフォルニアン
テリーライリーは
11月に来日し、
建築家フランクロ
イドライトが池袋
に建てた自由学園
で演奏を行った。
2つの最良のアメ
リカが出会った、
月がキレイな夜。
ピアノとギターと
琴と笙(しょう)
と打楽器の共演。
ライリーのピアノ
はコロコロと時折
眠気を誘いながら
心地よく鳴り前衛
の堅苦しさはなく
東洋と西洋の融合
というウサン臭さ
から遠い清々しい
シェイクハンドで
シンガーソングな
吟遊詩人の夕べに
ココが日本である
ことを忘れしばし
最果ての地に佇み
ふと我に返ればそ
こは池袋の繁華街
屈曲した虹の軌跡
はマレに奇跡とや
らを呼び起こして
現実をネジ曲げる
それは虹彩の錯覚
なのかもしれない
●タイトル
アレインボウインカーブドエア
●アーティスト
テリーライリー
●プライス
1,695yen
Oto.Hito.E.Kotoba 15
聖なるフツーの旅
誰からも愛される
フツー、つまりは
スタンダードって
ムズカシイ。色々
な意見を取り入れ
八方美人の二枚舌
=ダブルスタンダ
ードになってたな
んてよくある話。
BやYやSと量販
店に行けばそこは
バッドデザインが
曲線美なき曲線が
メソッドなきメソ
ッドが機能美なき
機能があふれる。
身の丈に合う普通
簡潔で美しい普通
格好つけない普通
生活になじむ普通
フツーという聖杯
を求める旅は困難
で険しい道のりの
ビジョンクエスト
お茶の間のフツー
を体現していたG
型しょうゆさしを
作ったデザイナー
森正洋が11月に
永眠した。柳宗理
ほど有名でないが
佐賀の地場産業を
ベースに地に足を
つけたものづくり
を生涯つづけた。
生前の最後の仕事
が無印良品の白磁
の茶碗シリーズ。
上目使いで「コレ
イイでしょ?」と
いうイヤラシサは
微塵も感じない。
なのに塩胡椒瓶は
まんまるなのだ。
○
奇天烈な存在感を
放ちつつフツー。
フツーはフツーの
顔をしていない。
何百人もの人の顔
を重ねていくと、
その時代の美人の
顔になると言う。
平凡が非凡に
普通が普遍に
その境目は?
インダストリーと
いう米ヒップホッ
プ業界の内幕映画
でカニエウェスト
は自信タップリに
彼が人気をゲット
した理由を話す。
オールフォールズ
ダウンでは親しみ
やすいラッパー、
ジーザスウォーク
スではキリスト、
ワークアウトプラ
ンではファニーと
人々は俺のことを
様々に形容する。
それって当たり前
のことなんだよ。
朝飯にシリアルか
ミルクかを選ぶよ
うなもんさ。どれ
も好きで、誰もそ
れらを一度にやっ
たヤツはいない。
全部を混ぜるとフ
ツーになるんだ。
ヒップホップの決
まりきったゲーム
を内から突き破り
老若男女に愛され
てきた古き良きソ
ウルミュージック
のワインを新しい
革袋に入れて提案
し誰もディスるこ
となくオープンに
コンシャスになれ
ることを正面突破
して証明したのが
カニエだと思う。
フツーはフツーの
顔をしていない。
●タイトル
レイトレジストレイション
●アーティスト
カニエウエスト
●プライス
1,480yen
誰からも愛される
フツー、つまりは
スタンダードって
ムズカシイ。色々
な意見を取り入れ
八方美人の二枚舌
=ダブルスタンダ
ードになってたな
んてよくある話。
BやYやSと量販
店に行けばそこは
バッドデザインが
曲線美なき曲線が
メソッドなきメソ
ッドが機能美なき
機能があふれる。
身の丈に合う普通
簡潔で美しい普通
格好つけない普通
生活になじむ普通
フツーという聖杯
を求める旅は困難
で険しい道のりの
ビジョンクエスト
お茶の間のフツー
を体現していたG
型しょうゆさしを
作ったデザイナー
森正洋が11月に
永眠した。柳宗理
ほど有名でないが
佐賀の地場産業を
ベースに地に足を
つけたものづくり
を生涯つづけた。
生前の最後の仕事
が無印良品の白磁
の茶碗シリーズ。
上目使いで「コレ
イイでしょ?」と
いうイヤラシサは
微塵も感じない。
なのに塩胡椒瓶は
まんまるなのだ。
○
奇天烈な存在感を
放ちつつフツー。
フツーはフツーの
顔をしていない。
何百人もの人の顔
を重ねていくと、
その時代の美人の
顔になると言う。
平凡が非凡に
普通が普遍に
その境目は?
インダストリーと
いう米ヒップホッ
プ業界の内幕映画
でカニエウェスト
は自信タップリに
彼が人気をゲット
した理由を話す。
オールフォールズ
ダウンでは親しみ
やすいラッパー、
ジーザスウォーク
スではキリスト、
ワークアウトプラ
ンではファニーと
人々は俺のことを
様々に形容する。
それって当たり前
のことなんだよ。
朝飯にシリアルか
ミルクかを選ぶよ
うなもんさ。どれ
も好きで、誰もそ
れらを一度にやっ
たヤツはいない。
全部を混ぜるとフ
ツーになるんだ。
ヒップホップの決
まりきったゲーム
を内から突き破り
老若男女に愛され
てきた古き良きソ
ウルミュージック
のワインを新しい
革袋に入れて提案
し誰もディスるこ
となくオープンに
コンシャスになれ
ることを正面突破
して証明したのが
カニエだと思う。
フツーはフツーの
顔をしていない。
●タイトル
レイトレジストレイション
●アーティスト
カニエウエスト
●プライス
1,480yen
Oto.Hito.E.Kotoba 14
OOHCHILD
タリウムで母親を
毒殺未遂した少女
は、映画シックス
センスを見たこと
があるだろうか?
母親に毒殺された
少女の幽霊が自分
の葬式で真実を知
らせるあの場面。
彼女が差し出す箱
の中に母親の犯行
を盗撮したビデオ
が入っている。
ほの暗い部屋の中
の暗い欲望の証。
立場は逆とはいえ
両者には共通する
ところがある。
誰かに自分の存在
を知ってほしい。
情は「心が青い」
と書く。
少女はタリウムを
碧(あお)の小枝
と名付けブログで
僕と名乗り母親を
ATOMと呼んで
キッドAの仮想世
界に住んでいた。
決して成就しない
その切ない想いは
片方ではゴースト
片方では犯罪とし
て現実と交わる。
大友克洋の童夢で
子供の心を持った
ボケ老人の超能力
者は無差別快楽殺
人を引き起こす。
彼はイケナイ子供
だから超能力者の
子供によって子供
のルールで裁かれ
る。でも現実では
そうはいかない。
少年犯罪をとかく
特別で異常な事件
に祭り上げるマス
コミの愚の骨頂。
想像してみよう。
これは誰にでも起
こりえることだと
オトナハコドモデ
コドモハオトナダ
1970年。
シカゴ出身の黒人
ティーングループ
ファイブステアス
テップスが歌った
OohChild
は大ヒットとなり
ニーナシモンなど
多くの音楽家の手
でカバーされた。
当時ベトナム戦争
や様々な解放運動
が起こった世相が
歌詞には反映され
ブルータルな世界
で子供たちが生き
ていくことの希望
が託されている。
ウー子供たちよ
物事はより楽に
より明るくなる
いつの日か
僕らは肩を並べ
解放される
いつの日か
世界は輝き出す
いつの日か
美しい陽の光を
浴びながら
歩く日がきっと
来るだろう
「より明るく」と
いう歌詞が最後に
は「いまここ」の
大合唱に変わる。
BRIGHTER
RIGHTNOW
いまここでうたが
かがやきはじめる
●タイトル
ヒアカムズザサン
●アーティスト
ニーナシモン
1,796yen
タリウムで母親を
毒殺未遂した少女
は、映画シックス
センスを見たこと
があるだろうか?
母親に毒殺された
少女の幽霊が自分
の葬式で真実を知
らせるあの場面。
彼女が差し出す箱
の中に母親の犯行
を盗撮したビデオ
が入っている。
ほの暗い部屋の中
の暗い欲望の証。
立場は逆とはいえ
両者には共通する
ところがある。
誰かに自分の存在
を知ってほしい。
情は「心が青い」
と書く。
少女はタリウムを
碧(あお)の小枝
と名付けブログで
僕と名乗り母親を
ATOMと呼んで
キッドAの仮想世
界に住んでいた。
決して成就しない
その切ない想いは
片方ではゴースト
片方では犯罪とし
て現実と交わる。
大友克洋の童夢で
子供の心を持った
ボケ老人の超能力
者は無差別快楽殺
人を引き起こす。
彼はイケナイ子供
だから超能力者の
子供によって子供
のルールで裁かれ
る。でも現実では
そうはいかない。
少年犯罪をとかく
特別で異常な事件
に祭り上げるマス
コミの愚の骨頂。
想像してみよう。
これは誰にでも起
こりえることだと
オトナハコドモデ
コドモハオトナダ
1970年。
シカゴ出身の黒人
ティーングループ
ファイブステアス
テップスが歌った
OohChild
は大ヒットとなり
ニーナシモンなど
多くの音楽家の手
でカバーされた。
当時ベトナム戦争
や様々な解放運動
が起こった世相が
歌詞には反映され
ブルータルな世界
で子供たちが生き
ていくことの希望
が託されている。
ウー子供たちよ
物事はより楽に
より明るくなる
いつの日か
僕らは肩を並べ
解放される
いつの日か
世界は輝き出す
いつの日か
美しい陽の光を
浴びながら
歩く日がきっと
来るだろう
「より明るく」と
いう歌詞が最後に
は「いまここ」の
大合唱に変わる。
BRIGHTER
RIGHTNOW
いまここでうたが
かがやきはじめる
●タイトル
ヒアカムズザサン
●アーティスト
ニーナシモン
1,796yen
Oto.Hito.E.Kotoba 13
マッタリシヨウゼ
21世紀に入って
僕らはマッタリな
世界を生きている
そこそこほどほど
まあまあなあなあ
ロールモデルはい
ないからローカル
なホームボーイと
ロールプレイング
なにかを超越する
んじゃなくてなに
かの中で充足する
知恵を学んだんだ
ハメを外すこと
タガを外すこと
規則を破ること
壁を超えること
危険が伴うもんね
愚か者もいたよね
過去から学ぶしね
安全でいたいのね
ストリートワイズ
って言葉あるよね
先端的で尖った音
は都市圏で消費さ
れて行き場を失い
雑貨屋では玩具の
ジャズと自称する
自由な魂が不自由
に鳴らされ続ける
とあるカフェでは
DJブースにこう
注意書きしてある
ロンハーディのよ
うな過激なイコ
ライジングや
デトロイト
ビートダ
ウンの
ような
大音量を
ウチは必要
としてません
自己満足でなく
店の立場を考えら
れる方のみにDJ
をお願いします。
カフェ文化の終焉
日本は西欧の周縁
お宅でDJも所詮
キッチュで借り物
東京の街はデッド
テックなガラクタ
の集積でドンキに
行けばめまいする
ジャンクのカオス
ポストモダン?知
ったこっちゃない
モダンは消化不良
で転がったままだ
1987年に桑田
佳祐&いとうせい
こうがラップした
リアルフィッシュ
の曲「ジャンクビ
ート東京」は当時
のバブルな世相に
鋭いメスを入れて
こう叫んだのだ。
ビートがこだます
るヒートでむせか
えるジャンクビー
トまったく悪趣味
なビートそろそろ
耐えられない!!
全部セットだろ?
ヤラセなんだろ?
絶対見つける扉を
冗談はやめろよ!
タコツボと化した
パラレルワールド
で世界を相対化し
アイロニーで包み
不全感を抱えては
宗教の力を借りず
堂々巡りそれでも
陽は上りサイドB
のシナリオは続く
マ
ッ
タ
リ
す
る
の
に
飽
き
た
ら
ど
こ
へ
行
く
?
●タイトル
ジャンクビートトーキョー
●アーティスト
リアルフィッシュ
●プライス
廃盤
21世紀に入って
僕らはマッタリな
世界を生きている
そこそこほどほど
まあまあなあなあ
ロールモデルはい
ないからローカル
なホームボーイと
ロールプレイング
なにかを超越する
んじゃなくてなに
かの中で充足する
知恵を学んだんだ
ハメを外すこと
タガを外すこと
規則を破ること
壁を超えること
危険が伴うもんね
愚か者もいたよね
過去から学ぶしね
安全でいたいのね
ストリートワイズ
って言葉あるよね
先端的で尖った音
は都市圏で消費さ
れて行き場を失い
雑貨屋では玩具の
ジャズと自称する
自由な魂が不自由
に鳴らされ続ける
とあるカフェでは
DJブースにこう
注意書きしてある
ロンハーディのよ
うな過激なイコ
ライジングや
デトロイト
ビートダ
ウンの
ような
大音量を
ウチは必要
としてません
自己満足でなく
店の立場を考えら
れる方のみにDJ
をお願いします。
カフェ文化の終焉
日本は西欧の周縁
お宅でDJも所詮
キッチュで借り物
東京の街はデッド
テックなガラクタ
の集積でドンキに
行けばめまいする
ジャンクのカオス
ポストモダン?知
ったこっちゃない
モダンは消化不良
で転がったままだ
1987年に桑田
佳祐&いとうせい
こうがラップした
リアルフィッシュ
の曲「ジャンクビ
ート東京」は当時
のバブルな世相に
鋭いメスを入れて
こう叫んだのだ。
ビートがこだます
るヒートでむせか
えるジャンクビー
トまったく悪趣味
なビートそろそろ
耐えられない!!
全部セットだろ?
ヤラセなんだろ?
絶対見つける扉を
冗談はやめろよ!
タコツボと化した
パラレルワールド
で世界を相対化し
アイロニーで包み
不全感を抱えては
宗教の力を借りず
堂々巡りそれでも
陽は上りサイドB
のシナリオは続く
マ
ッ
タ
リ
す
る
の
に
飽
き
た
ら
ど
こ
へ
行
く
?
●タイトル
ジャンクビートトーキョー
●アーティスト
リアルフィッシュ
●プライス
廃盤
2007/10/09
Oto.Hito.E.Kotoba 12
そのまんましゅぎ
ハウスでもあれば
ヒップホップでも
あるサンプリング
一点豪華主義音楽
パルジョイの曲は
さしづめそういう
ふうに説明できる
パーティタイムと
プレイタイムとい
う彼の曲を綴ろう
ウン
ウン
ウン
ウン
パーティタイムと
男
の
声
が
るすまだこ
オウ
オウ
オウ
オウ
とマイコー
の
子
供
が声の時の
こ
だ
ま
す
る
トゥルリー
ダ
ー
ラ
が声の性女とー
こ
だ
ま
す
る
コール
アンド
レスポンス
たったそれだけの
誰にでもつくれる
音をサンプリング
して刻んで並べて
ビートに乗せると
いう単純な音楽が
実は一番難しいと
パルジョイがネタ
ありきな寿司職人
のように言ったか
どうかは知らない
廃物利用の音楽の
ト
ラ
ッ
シ
ュ
どほいなせるやで
は
か
な
く
て
塵となって消える
運
命
を
自
ら
に悟覚るけ受き引
裏
打
ち
さ
れ
パーティで楽しい
だ
け
で
も
な
く吐く重を情心く
自
意
識
過
剰
からも遠く離れた
そ
ん
な
潔
さ
それはそれでしか
ないというあっけ
らかんとした音楽
これはもうセンス
とか感覚ではなく
作り手の心意気が
問われるモロダシ
勝負の世界なのだ
サンプリング音楽
は写真に似ている
現実をそのまんま
写し取るんだけど
それはもう現実で
はなくて人間の脳
にしかない仮想の
刹那さ
切なさ
切実さ
吉田健一の「私の
食物誌」の「その
味という味しかし
ない」という何か
を言ってるようで
何も言っていない
開き直ったような
同語反復な芸当は
食物と音の違いは
あれど人に感銘を
与えるのだと思う
その音という音し
か
そ し
の な
人 い
と
いう人しかいない
かけがえのない味
がいとおしいのだ
●タイトル
パーティタイム
●アーティスト
パルジョイ
●プライス
1,250yen
ハウスでもあれば
ヒップホップでも
あるサンプリング
一点豪華主義音楽
パルジョイの曲は
さしづめそういう
ふうに説明できる
パーティタイムと
プレイタイムとい
う彼の曲を綴ろう
ウン
ウン
ウン
ウン
パーティタイムと
男
の
声
が
るすまだこ
オウ
オウ
オウ
オウ
とマイコー
の
子
供
が声の時の
こ
だ
ま
す
る
トゥルリー
ダ
ー
ラ
が声の性女とー
こ
だ
ま
す
る
コール
アンド
レスポンス
たったそれだけの
誰にでもつくれる
音をサンプリング
して刻んで並べて
ビートに乗せると
いう単純な音楽が
実は一番難しいと
パルジョイがネタ
ありきな寿司職人
のように言ったか
どうかは知らない
廃物利用の音楽の
ト
ラ
ッ
シ
ュ
どほいなせるやで
は
か
な
く
て
塵となって消える
運
命
を
自
ら
に悟覚るけ受き引
裏
打
ち
さ
れ
パーティで楽しい
だ
け
で
も
な
く吐く重を情心く
自
意
識
過
剰
からも遠く離れた
そ
ん
な
潔
さ
それはそれでしか
ないというあっけ
らかんとした音楽
これはもうセンス
とか感覚ではなく
作り手の心意気が
問われるモロダシ
勝負の世界なのだ
サンプリング音楽
は写真に似ている
現実をそのまんま
写し取るんだけど
それはもう現実で
はなくて人間の脳
にしかない仮想の
刹那さ
切なさ
切実さ
吉田健一の「私の
食物誌」の「その
味という味しかし
ない」という何か
を言ってるようで
何も言っていない
開き直ったような
同語反復な芸当は
食物と音の違いは
あれど人に感銘を
与えるのだと思う
その音という音し
か
そ し
の な
人 い
と
いう人しかいない
かけがえのない味
がいとおしいのだ
●タイトル
パーティタイム
●アーティスト
パルジョイ
●プライス
1,250yen
Oto.Hito.E.Kotoba 11
ブリングザノイズ
以前、あるDJに
取材した時、彼が
やや気負った顔で
音楽を続ける理由
をこう言った。
「僕は社会参加だ
と思ってる」と。
社会参加という言
葉が日本人のDJ
からポロリと出た
ことにビビった。
英語では・・・・
エンゲージメント
フランス語で・・
アンガージュマン
今は1968年の
パリであるはずも
なく、革命もデモ
もアウトな時代、
ロバートワイアッ
トが社会主義と歌
を結びつけたのも
忘れ去られている
チェゲバラの半生
がロードムービー
になってしまう、
平成の世の中だ。
音楽を政治や社会
と同次元で語る。
確かに胡散臭い。
でも、
ニートも
ヒッキーも
ハンパものも
社会不適合者も
音楽を媒介にして
社会とリンクでき
るのは真実であり
僕や君やあなたが
音楽で救われた
ミュージック
セイヴドマ
イライフ
という
のも
ウソではないし、
パブリックエネミ
ー(民衆の敵)が
権力と戦え!騒音
をもたらせ!と声
高らかにラップし
たのもそんなに昔
の話ではない。
マッタリ脱力日本
で、自殺者が毎年
3万人を超える国
で、今年頭に一人
で音楽を使って革
命を起こしてしま
った女性がいる。
奈良県平群町で
CDラジカセと
ハタキを武器に
聞かせるその技
奈良のグランマ
騒音オバチャン
MIYOCOが
オンザマイク。
ソウル2ソウル、
マーヴィンゲイ、
ディアンジェロ、
ジャネット・J、
ケリスらに加え、
メタリカやナイン
インチネイルズと
その選曲のセンス
は、パンク老女と
世界の交信記録。
彼女の悲鳴は社会
的に罰せられたが
行為自体は前例の
ない何かなのだ。
音楽が市場や業界
を超えて、こんな
形で真性の怒りで
もって放たれた例
はマレだと思う。
ああ
そして
シャウト
スクリーム
ブームする音
バウンスする音
サバービアに響く
こころのゲットー
ブリングザノイズ
無理が通れば道
理が引っ込む
自由は現実
にならな
いから
騒音
は
今日も鳴り続ける
●タイトル
イッドテイクスアネイションオブミリオンズトゥーホールドアスバック
●アーティスト
パブリックエネミー
●プライス
1,334yen
以前、あるDJに
取材した時、彼が
やや気負った顔で
音楽を続ける理由
をこう言った。
「僕は社会参加だ
と思ってる」と。
社会参加という言
葉が日本人のDJ
からポロリと出た
ことにビビった。
英語では・・・・
エンゲージメント
フランス語で・・
アンガージュマン
今は1968年の
パリであるはずも
なく、革命もデモ
もアウトな時代、
ロバートワイアッ
トが社会主義と歌
を結びつけたのも
忘れ去られている
チェゲバラの半生
がロードムービー
になってしまう、
平成の世の中だ。
音楽を政治や社会
と同次元で語る。
確かに胡散臭い。
でも、
ニートも
ヒッキーも
ハンパものも
社会不適合者も
音楽を媒介にして
社会とリンクでき
るのは真実であり
僕や君やあなたが
音楽で救われた
ミュージック
セイヴドマ
イライフ
という
のも
ウソではないし、
パブリックエネミ
ー(民衆の敵)が
権力と戦え!騒音
をもたらせ!と声
高らかにラップし
たのもそんなに昔
の話ではない。
マッタリ脱力日本
で、自殺者が毎年
3万人を超える国
で、今年頭に一人
で音楽を使って革
命を起こしてしま
った女性がいる。
奈良県平群町で
CDラジカセと
ハタキを武器に
聞かせるその技
奈良のグランマ
騒音オバチャン
MIYOCOが
オンザマイク。
ソウル2ソウル、
マーヴィンゲイ、
ディアンジェロ、
ジャネット・J、
ケリスらに加え、
メタリカやナイン
インチネイルズと
その選曲のセンス
は、パンク老女と
世界の交信記録。
彼女の悲鳴は社会
的に罰せられたが
行為自体は前例の
ない何かなのだ。
音楽が市場や業界
を超えて、こんな
形で真性の怒りで
もって放たれた例
はマレだと思う。
ああ
そして
シャウト
スクリーム
ブームする音
バウンスする音
サバービアに響く
こころのゲットー
ブリングザノイズ
無理が通れば道
理が引っ込む
自由は現実
にならな
いから
騒音
は
今日も鳴り続ける
●タイトル
イッドテイクスアネイションオブミリオンズトゥーホールドアスバック
●アーティスト
パブリックエネミー
●プライス
1,334yen
Oto.Hito.E.Kotoba 10
子供と記憶と幽霊
音楽を聴いてると
時々、記憶の底に
沈んだ風景が思い
もかけずユラユラ
立ちのぼることが
ある。
ノスタルジー。
人はそう呼ぶかも
しれないがそんな
カッコよくもない
醜くて恥ずかしい
忘れたい過去だと
いう場合もある。
記憶はゴースト。
肉体が消滅しても
人の心=ゴースト
は生き続けるとい
うのが攻殻機動隊
のテーマだった。
ゴーストは人間と
機械との間で自問
自答する。
俺は生きてるのか
死んでいるのか。
答えは出ない。
ゲド戦記では魔法
使いの弟子と死の
世界から呼び出さ
れた影が戦う。
影はもうひとりの
自分で、闇の中の
オルターエゴだ。
2つに引き裂かれ
た自分は、苦難の
末に1つになる。
そうかと思えば、
水木しげるの漫画
では死神は日常の
隣にいて「おい」
と親しみやすく声
をかけてくる。
ゲゲゲの鬼太郎は
元は墓場の鬼太郎
という題名だ。
ボーズオブカナダ
を聴いていると、
音楽のゴーストが
アシッドフォーク
とヒップホップが
埋まった墓場から
クロマキー合成の
夢のように蘇る。
ヒップホップ特有
の快活なスポーツ
感覚も、同志への
呼びかけもない。
ましてサグライフ
の世俗にまみれた
欲望もない。
都市生活者のカタ
ログめいた消費の
スタイルにそれは
古臭いボロキレの
ように見える。
親の世代のロック
とヒッピー文化を
愛と平和の合唱を
否定して生まれた
のがパンクとその
従兄弟のヒップホ
ップだった。
世代交代は、常に
親殺しだった。
スコットランドで
コミューン生活を
長年続けた彼らは
そんな対立はもう
意味がないよと、
静かに物語る。
ミュージックハズ
ザライトトゥーチ
ルドレン。
音楽は子供のため
にある。
カッコ悪くても、
醜くても、そんな
自分の中の子供を
愛すればいい。
世代を飛び越えた
無言のメッセージ
が彼らのザラザラ
した洗いざらしの
コットンのような
人懐っこい音楽に
隠れている。
●タイトル
ザキャンプファイアヘッドフェイズ
●アーティスト
ボーズオブカナダ
●プライス
2500yen
音楽を聴いてると
時々、記憶の底に
沈んだ風景が思い
もかけずユラユラ
立ちのぼることが
ある。
ノスタルジー。
人はそう呼ぶかも
しれないがそんな
カッコよくもない
醜くて恥ずかしい
忘れたい過去だと
いう場合もある。
記憶はゴースト。
肉体が消滅しても
人の心=ゴースト
は生き続けるとい
うのが攻殻機動隊
のテーマだった。
ゴーストは人間と
機械との間で自問
自答する。
俺は生きてるのか
死んでいるのか。
答えは出ない。
ゲド戦記では魔法
使いの弟子と死の
世界から呼び出さ
れた影が戦う。
影はもうひとりの
自分で、闇の中の
オルターエゴだ。
2つに引き裂かれ
た自分は、苦難の
末に1つになる。
そうかと思えば、
水木しげるの漫画
では死神は日常の
隣にいて「おい」
と親しみやすく声
をかけてくる。
ゲゲゲの鬼太郎は
元は墓場の鬼太郎
という題名だ。
ボーズオブカナダ
を聴いていると、
音楽のゴーストが
アシッドフォーク
とヒップホップが
埋まった墓場から
クロマキー合成の
夢のように蘇る。
ヒップホップ特有
の快活なスポーツ
感覚も、同志への
呼びかけもない。
ましてサグライフ
の世俗にまみれた
欲望もない。
都市生活者のカタ
ログめいた消費の
スタイルにそれは
古臭いボロキレの
ように見える。
親の世代のロック
とヒッピー文化を
愛と平和の合唱を
否定して生まれた
のがパンクとその
従兄弟のヒップホ
ップだった。
世代交代は、常に
親殺しだった。
スコットランドで
コミューン生活を
長年続けた彼らは
そんな対立はもう
意味がないよと、
静かに物語る。
ミュージックハズ
ザライトトゥーチ
ルドレン。
音楽は子供のため
にある。
カッコ悪くても、
醜くても、そんな
自分の中の子供を
愛すればいい。
世代を飛び越えた
無言のメッセージ
が彼らのザラザラ
した洗いざらしの
コットンのような
人懐っこい音楽に
隠れている。
●タイトル
ザキャンプファイアヘッドフェイズ
●アーティスト
ボーズオブカナダ
●プライス
2500yen
Oto.Hito.E.Kotoba 09
夢見る乙女は何処
彼女はティーンの
頃に買ったコムデ
ギャルソンの底に
穴が空いた革靴を
今でも大事に履き
つづけている。
身体を資本にする
マテリアルガール
の傍らで、モード
の昼とエレクトロ
クラッシュの夜を
彼女は往復する。
ある日、フリルの
ロングスカートを
着た女性が交差点
に立ち尽くす。
フリルは重く深く
垂れレースは太陽
から身を潜める。
乙女の重力圏内は
ブラックホール。
純潔は純血。その
血は何より赤い。
リネンは理念とは
折り合いが悪い。
ロマンティシズム
は現実と折り合い
が悪い。そう相場
は決まっている。
オリーブガールも
いつか現実と衝突
して水玉と格子柄
の世界から目覚め
る時が来る。
ライナスが毛布を
手放すように。
あるいは彼女たち
はその姿を変えて
現実に適応してる
かもしれない。
カメレオン並みの
素早さで。
かつて平岡正明は
山口百恵は菩薩だ
と書いた。
そんな大時代的な
最大級の女性賛歌
を今どきの女の子
は涙出るほどに笑
うとストレスさえ
も吹き飛ばす今日
も明日もかまわず
ハメをはずしてお
かないとセックス
アンドザシティを
見たり鼻歌まじり
で飲み明かせば何
にも怖くない慰め
あえば強気になれ
るテルマ&ルイー
ズみたいに女同士
も捨てたもんじゃ
ないの。
行きつ戻りつ始点
と終点をつないで
終わりのない日常
はハイパーでミニ
マルなテンション
で輪舞=ロンドの
ように回廊=コリ
ドーのようにグル
グルと回るそれは
ガールトーク。
ヘルムートニュー
トンの写真みたく
男の視線を鋼鉄の
表情でハネかえす
安室奈美恵の強さ
は、君のすぐ横に
いるホームガール
の気安さで、菩薩
もアフロディーテ
もいらないとつぶ
やくのだ。
「ガールトーク」
も「WoWa」も
原始の雄叫びに聞
こえるのはなぜ?
この資本主義社会
でバーコードを体
に刻んで穴を掘り
続ける花咲く乙女
は現実を選んだの
だからガラスの靴
はもう用済みだ。
パーティは永遠に
続くのだから。
●タイトル
クイーンオブヒップホップ
●アーティスト
安室奈美恵
●プライス
3,059yen
彼女はティーンの
頃に買ったコムデ
ギャルソンの底に
穴が空いた革靴を
今でも大事に履き
つづけている。
身体を資本にする
マテリアルガール
の傍らで、モード
の昼とエレクトロ
クラッシュの夜を
彼女は往復する。
ある日、フリルの
ロングスカートを
着た女性が交差点
に立ち尽くす。
フリルは重く深く
垂れレースは太陽
から身を潜める。
乙女の重力圏内は
ブラックホール。
純潔は純血。その
血は何より赤い。
リネンは理念とは
折り合いが悪い。
ロマンティシズム
は現実と折り合い
が悪い。そう相場
は決まっている。
オリーブガールも
いつか現実と衝突
して水玉と格子柄
の世界から目覚め
る時が来る。
ライナスが毛布を
手放すように。
あるいは彼女たち
はその姿を変えて
現実に適応してる
かもしれない。
カメレオン並みの
素早さで。
かつて平岡正明は
山口百恵は菩薩だ
と書いた。
そんな大時代的な
最大級の女性賛歌
を今どきの女の子
は涙出るほどに笑
うとストレスさえ
も吹き飛ばす今日
も明日もかまわず
ハメをはずしてお
かないとセックス
アンドザシティを
見たり鼻歌まじり
で飲み明かせば何
にも怖くない慰め
あえば強気になれ
るテルマ&ルイー
ズみたいに女同士
も捨てたもんじゃ
ないの。
行きつ戻りつ始点
と終点をつないで
終わりのない日常
はハイパーでミニ
マルなテンション
で輪舞=ロンドの
ように回廊=コリ
ドーのようにグル
グルと回るそれは
ガールトーク。
ヘルムートニュー
トンの写真みたく
男の視線を鋼鉄の
表情でハネかえす
安室奈美恵の強さ
は、君のすぐ横に
いるホームガール
の気安さで、菩薩
もアフロディーテ
もいらないとつぶ
やくのだ。
「ガールトーク」
も「WoWa」も
原始の雄叫びに聞
こえるのはなぜ?
この資本主義社会
でバーコードを体
に刻んで穴を掘り
続ける花咲く乙女
は現実を選んだの
だからガラスの靴
はもう用済みだ。
パーティは永遠に
続くのだから。
●タイトル
クイーンオブヒップホップ
●アーティスト
安室奈美恵
●プライス
3,059yen
Oto.Hito.E.Kotoba 08
ソノウソホント術
チョコレートで川
や城を作った男が
いた。フルコース
のディナー味ガム
も彼にしてみれば
お手のもの。
ウィリーウォンカ
が男の名前。
ジョニーデップが
演じるウォンカは
子供が憧れる天才
ショコラティエ。
でも、その実体は
イヤミで対人恐怖
症でファザコンの
偏屈者だった。
ティムバートンが
映画「チャーリー
とチョコレート工
場」で描く歪んだ
大人のファンタジ
ーは、ビタースイ
ートな味がする。
バートンはジョン
ウォーターズらと
同じくアメリカン
ポップのガラクタ
を拾い集めて悪夢
に仕立て直す。
他愛もない話だし
よくある教訓的な
童話だと考えれば
特別深みもない。
なのに、バートン
の安っぽい極彩色
バブルガムな世界
に染め上げられる
と俄然輝き出す。
そのウソっぽさが
ソノウソホントな
説得力を持ち始め
メルヘンに血が通
い、嫌いなものが
愛おしくなる。
エコ大合唱な今時
の世相に背を向け
後ろめたさを感じ
ながらも、着色料
いっぱいのポップ
キャンディについ
ハマってしまう。
そんな感覚。
ロックもジャズも
ディスコもハウス
もヒップホップも
流行音楽の多くは
そういうイケナイ
ジャンクで始まり
大人が眉をひそめ
子供が飛びついて
若者が夢中になり
才能が集まり巨大
な磁場になり層が
厚くなりアートと
してトンガったり
商売として裾野を
広げたりそうこう
してるうちに風化
して塵となる。
バートンの片腕で
音楽を手がけてる
ダニーエルフマン
もその昔オインゴ
ボインゴというB
級ニューウェイブ
バンドのメンバー
だった人物。
劇中ウンパルンパ
という小人たちの
ミュージカルでは
アバ、クイーン、
ビーチボーイズ、
Pファンクもあり
ラテンもインドも
エキゾもありで、
いかがわしさ全開
ウソっぽさ満載。
ウスっぺらいから
こそ魅かれる。
ファンタジーとは
ウソから出たマコ
トを信じさせる、
ソノウソホント術
かもしれない。
●タイトル
チャーリーとチョコレート工場(OST)
●アーティスト
ダニーエルフマン
●プライス
2,235yen
チョコレートで川
や城を作った男が
いた。フルコース
のディナー味ガム
も彼にしてみれば
お手のもの。
ウィリーウォンカ
が男の名前。
ジョニーデップが
演じるウォンカは
子供が憧れる天才
ショコラティエ。
でも、その実体は
イヤミで対人恐怖
症でファザコンの
偏屈者だった。
ティムバートンが
映画「チャーリー
とチョコレート工
場」で描く歪んだ
大人のファンタジ
ーは、ビタースイ
ートな味がする。
バートンはジョン
ウォーターズらと
同じくアメリカン
ポップのガラクタ
を拾い集めて悪夢
に仕立て直す。
他愛もない話だし
よくある教訓的な
童話だと考えれば
特別深みもない。
なのに、バートン
の安っぽい極彩色
バブルガムな世界
に染め上げられる
と俄然輝き出す。
そのウソっぽさが
ソノウソホントな
説得力を持ち始め
メルヘンに血が通
い、嫌いなものが
愛おしくなる。
エコ大合唱な今時
の世相に背を向け
後ろめたさを感じ
ながらも、着色料
いっぱいのポップ
キャンディについ
ハマってしまう。
そんな感覚。
ロックもジャズも
ディスコもハウス
もヒップホップも
流行音楽の多くは
そういうイケナイ
ジャンクで始まり
大人が眉をひそめ
子供が飛びついて
若者が夢中になり
才能が集まり巨大
な磁場になり層が
厚くなりアートと
してトンガったり
商売として裾野を
広げたりそうこう
してるうちに風化
して塵となる。
バートンの片腕で
音楽を手がけてる
ダニーエルフマン
もその昔オインゴ
ボインゴというB
級ニューウェイブ
バンドのメンバー
だった人物。
劇中ウンパルンパ
という小人たちの
ミュージカルでは
アバ、クイーン、
ビーチボーイズ、
Pファンクもあり
ラテンもインドも
エキゾもありで、
いかがわしさ全開
ウソっぽさ満載。
ウスっぺらいから
こそ魅かれる。
ファンタジーとは
ウソから出たマコ
トを信じさせる、
ソノウソホント術
かもしれない。
●タイトル
チャーリーとチョコレート工場(OST)
●アーティスト
ダニーエルフマン
●プライス
2,235yen
Oto.Hito.E.Kotoba 07
モンスーンハウス
モンスーンな秋。
春雨ならアジアの
ヌードル文化圏で
広く流通する所の
緑豆春雨みたいに
元気の素にもなる
のだろうけれど、
秋雨は食えない。
雲ひとつない秋の
晴れ空は吸い込ま
れそうだ。
空がとても遠い。
季語はコスモスで
それはコスモス=
宇宙まで通じてる
気もして。
空<そら>見た子
とか。
岡崎京子がペンで
雲を描いただけの
真っ白な四角い枠
の扉絵みたいに。
ぽっかりと空いた
心の隙間にすっと
入り込む虚空。
虚と書いてうつろ
と読む。
うつろな目をして
夜の街の瞬きに、
きらめく雑踏に、
まだ見ぬ未来に、
うつろう。
そんなロンサムで
ワイルドサイドを
歩け、な90年代
初頭に戻ろう。
どこからともなく
流れてくるのは、
単調なグルーヴに
単調なリフ。
世の中のロジック
も歌のロジックも
無視した、感情の
エンベロープ。
「ジャーニーウィ
ズザロンリー」。
孤独と共に歩め。
92年にリリース
されたリルルイス
のアルバムだ。
水を浴びたリルの
顔のジャケ写真は
涙を流しているか
のように見える。
プリンスの処女作
「フォーユー」の
ジャケを思わせる
それは12インチ
ではなくトータル
なハウスアルバム
としての金字塔。
その前に即物的で
前衛的なヒット曲
「フレンチキス」
で一世を風靡した
彼だけに本作での
あまりにウェット
なセンチメンタル
ジャーニー絵巻は
何かの終わりさえ
告げたのだった。
「ニューダンスビ
ート」という曲で
うつろな男の声が
繰り返される。
「私は未来を見た
レコードカンパニ
ーの不景気は続き
コピー機が次々と
歌を複製する」
ハウスとはうつろ
な心のヒダを音に
映し出す音楽だ。
少なくとも90年
前後はそうだった
のだ。
広大な感情の海に
溺れたリルルイス
はこのアルバムを
最後に表舞台から
去ってしまう。
エンプティネス。
虚空は誰の心にも
ある。だからこそ
それは恐ろしくも
美しい。
●タイトル
ジャーニーウィズザロンリー
●アーティスト
リルルイス&ザワールド
●プライス
1,306円
モンスーンな秋。
春雨ならアジアの
ヌードル文化圏で
広く流通する所の
緑豆春雨みたいに
元気の素にもなる
のだろうけれど、
秋雨は食えない。
雲ひとつない秋の
晴れ空は吸い込ま
れそうだ。
空がとても遠い。
季語はコスモスで
それはコスモス=
宇宙まで通じてる
気もして。
空<そら>見た子
とか。
岡崎京子がペンで
雲を描いただけの
真っ白な四角い枠
の扉絵みたいに。
ぽっかりと空いた
心の隙間にすっと
入り込む虚空。
虚と書いてうつろ
と読む。
うつろな目をして
夜の街の瞬きに、
きらめく雑踏に、
まだ見ぬ未来に、
うつろう。
そんなロンサムで
ワイルドサイドを
歩け、な90年代
初頭に戻ろう。
どこからともなく
流れてくるのは、
単調なグルーヴに
単調なリフ。
世の中のロジック
も歌のロジックも
無視した、感情の
エンベロープ。
「ジャーニーウィ
ズザロンリー」。
孤独と共に歩め。
92年にリリース
されたリルルイス
のアルバムだ。
水を浴びたリルの
顔のジャケ写真は
涙を流しているか
のように見える。
プリンスの処女作
「フォーユー」の
ジャケを思わせる
それは12インチ
ではなくトータル
なハウスアルバム
としての金字塔。
その前に即物的で
前衛的なヒット曲
「フレンチキス」
で一世を風靡した
彼だけに本作での
あまりにウェット
なセンチメンタル
ジャーニー絵巻は
何かの終わりさえ
告げたのだった。
「ニューダンスビ
ート」という曲で
うつろな男の声が
繰り返される。
「私は未来を見た
レコードカンパニ
ーの不景気は続き
コピー機が次々と
歌を複製する」
ハウスとはうつろ
な心のヒダを音に
映し出す音楽だ。
少なくとも90年
前後はそうだった
のだ。
広大な感情の海に
溺れたリルルイス
はこのアルバムを
最後に表舞台から
去ってしまう。
エンプティネス。
虚空は誰の心にも
ある。だからこそ
それは恐ろしくも
美しい。
●タイトル
ジャーニーウィズザロンリー
●アーティスト
リルルイス&ザワールド
●プライス
1,306円
Oto.Hito.E.Kotoba 06
ロンリーなシブヤ
アルバローザ。
ソニプラ。
マルキュー。
109とセンター
街で交わされる、
シブヤ式の呪文。
地べたに座りこみ
髪をとかしながら
友情と恋愛の間で
孤独と邂逅の間で
揺れ動く気持ち。
ガングロ=ヤマン
バが登場した時、
反抗ののろしは、
静かに上がった。
彼女たちは社会が
求める女性の形を
真っ向から拒否し
サーファーギャル
の究極のパロディ
すら演じたのだ。
醜くてもいいの。
これが自分なら。
わたしはわたし。
価値観のリバース
は誰かをリバース
させたかもしれず
ようやく欧米流の
ライフスタイルを
自然に身につけた
僕らの本当の姿が
情報の海に溺れる
間抜けなもぬけの
殻であることを、
彼女たちは僕らに
突きつけた。
ようこそ。
狂えるリアル。
2005年の頭、
加藤ミリヤが歌う
「ロンリーガール
」がセンター街を
駆け巡った。
97年のECDの
同曲のアンサー。
さみしいんじゃな
いよひとりが好き
なだけ風がまぶし
いだけ
原曲のサビは残し
ミリヤは10代の
女の子の気持ちを
新しい歌を歌う。
当時のコギャルの
心のギアチェンジ
をECDはこの曲
で訴えている。
マジな話早く立ち
上がれこれちょっ
とシリアスだけど
盛り上がれ
ECDはコギャル
じゃないからその
歌には当事者じゃ
ないがゆえの皮肉
や怒りがあった。
ミリヤは直球だ。
さあそろそろ行こ
うかいらない荷物
は捨ててロンリー
ガール大丈夫だか
ら手を貸そう未知
なる道へ
「立ち上がれ」か
ら「行こうか」へ
この違いは大きい。
ミリヤはこれまで
ブッダブランドと
ECDとUAを曲
中でサンプリング
している。
このベタなまでの
90年代の総括。
宇田川町が輝き、
レコ屋の袋を片手
に歩くのが最先端
だった時代。
そんな季節はもう
ノスタルジーに過
ぎないとミリヤは
言ってるようだ。
つらりつられて、
シブヤの一角で、
ふと立ち止まる時
ロンリーガールは
切なく痛く響く。
●タイトル
ディアロンリーガール
●アーティスト
加藤ミリヤ
●プライス
1,223
アルバローザ。
ソニプラ。
マルキュー。
109とセンター
街で交わされる、
シブヤ式の呪文。
地べたに座りこみ
髪をとかしながら
友情と恋愛の間で
孤独と邂逅の間で
揺れ動く気持ち。
ガングロ=ヤマン
バが登場した時、
反抗ののろしは、
静かに上がった。
彼女たちは社会が
求める女性の形を
真っ向から拒否し
サーファーギャル
の究極のパロディ
すら演じたのだ。
醜くてもいいの。
これが自分なら。
わたしはわたし。
価値観のリバース
は誰かをリバース
させたかもしれず
ようやく欧米流の
ライフスタイルを
自然に身につけた
僕らの本当の姿が
情報の海に溺れる
間抜けなもぬけの
殻であることを、
彼女たちは僕らに
突きつけた。
ようこそ。
狂えるリアル。
2005年の頭、
加藤ミリヤが歌う
「ロンリーガール
」がセンター街を
駆け巡った。
97年のECDの
同曲のアンサー。
さみしいんじゃな
いよひとりが好き
なだけ風がまぶし
いだけ
原曲のサビは残し
ミリヤは10代の
女の子の気持ちを
新しい歌を歌う。
当時のコギャルの
心のギアチェンジ
をECDはこの曲
で訴えている。
マジな話早く立ち
上がれこれちょっ
とシリアスだけど
盛り上がれ
ECDはコギャル
じゃないからその
歌には当事者じゃ
ないがゆえの皮肉
や怒りがあった。
ミリヤは直球だ。
さあそろそろ行こ
うかいらない荷物
は捨ててロンリー
ガール大丈夫だか
ら手を貸そう未知
なる道へ
「立ち上がれ」か
ら「行こうか」へ
この違いは大きい。
ミリヤはこれまで
ブッダブランドと
ECDとUAを曲
中でサンプリング
している。
このベタなまでの
90年代の総括。
宇田川町が輝き、
レコ屋の袋を片手
に歩くのが最先端
だった時代。
そんな季節はもう
ノスタルジーに過
ぎないとミリヤは
言ってるようだ。
つらりつられて、
シブヤの一角で、
ふと立ち止まる時
ロンリーガールは
切なく痛く響く。
●タイトル
ディアロンリーガール
●アーティスト
加藤ミリヤ
●プライス
1,223
Oto.Hito.E.Kotoba 05
空を見上げれば塔
渋谷の公園通りを
のぼっていくと、
国立代々木競技場
が目前に現れる。
優美な曲線を描く
巨大なコンクリの
塊はブラジリアの
ような近未来都市
の廃墟みたいだ。
でも同時に思う。
ヒトよりケンチク
の方がエバってる
よなぁと。
これを建てたのが
東京都庁で有名な
丹下健三。
大阪万博のお祭り
広場も彼の作品。
その真ん中に太陽
の塔を建てたのが
岡本太郎だ。
建築家と芸術家は
広場の屋根を太陽
の塔が突き破るか
どうかで、激しい
火花を散らした。
まさにガチンコ。
結局、岡本太郎が
勝ち、塔はすっく
と空に伸びた。
大阪万博の映像は
今見てもエグイ。
サンダーバードや
ウルトラマンらの
特撮を力技で現実
化しちゃった的な
トンデモ建築群は
大人のファンタジ
ー=妄想の世界。
日本の活力がモリ
モリあふれていた
その夢のあと。
愛知万博はコレに
比べれば、器も志
も小さすぎる。
それはさておき。
100年経てば、
ランドマーク建築
は廃墟になる。
ゴジラは東京タワ
ーを倒し、キング
コングはNYCの
摩天楼に上った。
21世紀のランド
マークを壊すのは
もしかしたら地球
そのものかも?
ニューオーリンズ
のハリケーンは、
地球沈没化の前兆
だと言われてる。
ニューオーリンズ
は奴隷貿易の拠点
で、白人の音楽と
黒人の音楽が衝突
し、ジャズが誕生
した20世紀音楽
の処女地だ。
言ってしまえば、
グラウンドゼロ。
ガンボシチューの
ようにグツグツと
煮えた混血音楽が
サッチモの人肌の
ジャズがこの地で
生まれた。
そこが水没した。
偶然にしては出来
すぎのシナリオ。
この文明が無限に
続くことはないと
いう漠然とした、
でも確かな兆し。
J.G.バラード
のSF小説「沈ん
だ世界」を思い出
してしまう。
100年後の沈没
した廃墟の世界で
鳴ってる音をまだ
誰も知らない。
僕らはもうそこに
は生きていない。
ノーライフ
ノーミュージック
●タイトル
ドクタージョンズガンボ
●アーティスト
ドクタージョン
●プライス
1,279yen
渋谷の公園通りを
のぼっていくと、
国立代々木競技場
が目前に現れる。
優美な曲線を描く
巨大なコンクリの
塊はブラジリアの
ような近未来都市
の廃墟みたいだ。
でも同時に思う。
ヒトよりケンチク
の方がエバってる
よなぁと。
これを建てたのが
東京都庁で有名な
丹下健三。
大阪万博のお祭り
広場も彼の作品。
その真ん中に太陽
の塔を建てたのが
岡本太郎だ。
建築家と芸術家は
広場の屋根を太陽
の塔が突き破るか
どうかで、激しい
火花を散らした。
まさにガチンコ。
結局、岡本太郎が
勝ち、塔はすっく
と空に伸びた。
大阪万博の映像は
今見てもエグイ。
サンダーバードや
ウルトラマンらの
特撮を力技で現実
化しちゃった的な
トンデモ建築群は
大人のファンタジ
ー=妄想の世界。
日本の活力がモリ
モリあふれていた
その夢のあと。
愛知万博はコレに
比べれば、器も志
も小さすぎる。
それはさておき。
100年経てば、
ランドマーク建築
は廃墟になる。
ゴジラは東京タワ
ーを倒し、キング
コングはNYCの
摩天楼に上った。
21世紀のランド
マークを壊すのは
もしかしたら地球
そのものかも?
ニューオーリンズ
のハリケーンは、
地球沈没化の前兆
だと言われてる。
ニューオーリンズ
は奴隷貿易の拠点
で、白人の音楽と
黒人の音楽が衝突
し、ジャズが誕生
した20世紀音楽
の処女地だ。
言ってしまえば、
グラウンドゼロ。
ガンボシチューの
ようにグツグツと
煮えた混血音楽が
サッチモの人肌の
ジャズがこの地で
生まれた。
そこが水没した。
偶然にしては出来
すぎのシナリオ。
この文明が無限に
続くことはないと
いう漠然とした、
でも確かな兆し。
J.G.バラード
のSF小説「沈ん
だ世界」を思い出
してしまう。
100年後の沈没
した廃墟の世界で
鳴ってる音をまだ
誰も知らない。
僕らはもうそこに
は生きていない。
ノーライフ
ノーミュージック
●タイトル
ドクタージョンズガンボ
●アーティスト
ドクタージョン
●プライス
1,279yen
Oto.Hito.E.Kotoba 04
音のデザイニング
デザインは世の中
にあふれている。
iPodと携帯と
スニーカーで手軽
にデザイン生活。
洋服も家具も建築
も全部デザイン。
誰かの顔やカラダ
も全部デザイン。
20世紀のモダン
デザインの歴史に
必ず登場するドイ
ツのブラウン社の
デザイナー、ディ
ーターラムスは、
「必要な時はすぐ
そばにあって、い
らない時には目立
たない姿をしてい
る」とその哲学を
語っている。
すぐそばにあって
すぐ「使える」。
それ以上でも以下
でもない。
簡潔に完結。
グッドデザインと
はそういうもの。
音楽もデザインで
いいじゃないか。
そう考えたりする
今日この頃。
そこで唐突だが、
ミッシーエリオッ
トなのだ。
この人はルックス
やPVの印象から
フリークスという
イメージが強い。
僕はこの人は新し
いスタンダードだ
と思っている。
ECDの「マス対
コア」じゃないが
90年代はメジャ
ー=地上とアンダ
ーグラウンド=地
下が対立項として
描かれてきた。
地下はイカしてて
地上はセルアウト
そうなってた。
21世紀で911
以降なんだから、
そろそろ旧体制は
終わりにしよう。
地下でも地上でも
イイものはイイ。
要は突き抜けてる
かどうかが問題。
メジャーが最もプ
ログレッシヴで突
き抜けてる。
そんな逆説を成立
させたひとりが、
ミッシーだろう。
ムダがない。
スポーティ。
フィジカル。
ミニマル。
前2作から最新作
まで最高のレシピ
で作ったポップな
デザインが並ぶ。
シングル「ルーズ
コントロール」は
サイボトロンの「
クリア」というエ
レクトロの名曲を
使っている。
ピコピコ鳴ってる
電子音がそれだ。
これはデトロイト
テクノの元になっ
た曲だ。でも彼女
はたぶん「この音
が気持ちイイ」か
ら使っただけ。
ポップには「ポン
と弾ける音」とい
う意味がある。
炭酸水みたいにそ
こに意味はない。
ミッシーの音楽は
徹底的に無意味な
グッドデザイン。
無意味って潔い。
●アーティスト
ミッシー・エリオット
●タイトル
ザ・クックブック
●プライス
2,580円
デザインは世の中
にあふれている。
iPodと携帯と
スニーカーで手軽
にデザイン生活。
洋服も家具も建築
も全部デザイン。
誰かの顔やカラダ
も全部デザイン。
20世紀のモダン
デザインの歴史に
必ず登場するドイ
ツのブラウン社の
デザイナー、ディ
ーターラムスは、
「必要な時はすぐ
そばにあって、い
らない時には目立
たない姿をしてい
る」とその哲学を
語っている。
すぐそばにあって
すぐ「使える」。
それ以上でも以下
でもない。
簡潔に完結。
グッドデザインと
はそういうもの。
音楽もデザインで
いいじゃないか。
そう考えたりする
今日この頃。
そこで唐突だが、
ミッシーエリオッ
トなのだ。
この人はルックス
やPVの印象から
フリークスという
イメージが強い。
僕はこの人は新し
いスタンダードだ
と思っている。
ECDの「マス対
コア」じゃないが
90年代はメジャ
ー=地上とアンダ
ーグラウンド=地
下が対立項として
描かれてきた。
地下はイカしてて
地上はセルアウト
そうなってた。
21世紀で911
以降なんだから、
そろそろ旧体制は
終わりにしよう。
地下でも地上でも
イイものはイイ。
要は突き抜けてる
かどうかが問題。
メジャーが最もプ
ログレッシヴで突
き抜けてる。
そんな逆説を成立
させたひとりが、
ミッシーだろう。
ムダがない。
スポーティ。
フィジカル。
ミニマル。
前2作から最新作
まで最高のレシピ
で作ったポップな
デザインが並ぶ。
シングル「ルーズ
コントロール」は
サイボトロンの「
クリア」というエ
レクトロの名曲を
使っている。
ピコピコ鳴ってる
電子音がそれだ。
これはデトロイト
テクノの元になっ
た曲だ。でも彼女
はたぶん「この音
が気持ちイイ」か
ら使っただけ。
ポップには「ポン
と弾ける音」とい
う意味がある。
炭酸水みたいにそ
こに意味はない。
ミッシーの音楽は
徹底的に無意味な
グッドデザイン。
無意味って潔い。
●アーティスト
ミッシー・エリオット
●タイトル
ザ・クックブック
●プライス
2,580円
Oto.Hito.E.Kotoba 03
エレクトリック魂
100年前、雷を
制御し、電気の力
で地球を真っ二つ
に割ろうと考えた
ニコラテスラ。
ニュートンの影に
埋もれた彼の巨大
な想像力は今また
注目されている。
シンセの父であり
物理博士でもあり
音と科学の橋渡し
をしたボブモーグ
はテスラのように
マッドサイエンテ
ィストを演じたり
はしなかった。
映画「MOOG」
で見る彼の素顔は
ほがらかな紳士。
テルミンの製作者
として出発した彼
は、実直な研究者
タイプだった。
そのモーグが8月
末に亡くなった。
彼のキャリアは、
華々しい成功とは
無縁だった。
モーグ・シンセは
昔も今も高価だ。
ごく一部の音楽家
がそれを使って、
60〜70年代の
電気羊の夢のよう
な時代を描いた。
その後は・・・。
会社は売却され、
MOOGの商標を
取り戻したのは、
晩年のこと。
機械技師でありな
がらダブを作った
キング・タビーと
通じ合う部分も。
ポピュラー音楽の
世界でこんなに愛
された非音楽家も
いないだろう。
アメリカの根っこ
にあるのは不屈の
パイオニア精神。
モーグもそのひと
りに違いない。
太くて、明るくて
カラフルな音。
モーグ・シンセを
使った曲を聞くと
微笑みたくなる。
摩訶不思議な電気
エネルギーをモノ
にしようという、
子供のような心を
感じるから。
モーグの人柄が、
楽器に反映され、
楽曲に反映され、
エネルギーは伝達
され、受け渡され
カタチを留める。
エネルギーという
ドイツ語を日本に
紹介したのは手塚
治虫。閑話休題。
昔、細野晴臣は、
ゲルニカの曲で、
「ネガティブを吸
い込み、ポジティ
ブを吐き出す」と
歌詞に書いた。
何かをアウトプッ
トするには、心身
共にヘルシーでい
なくちゃ、ね。
モーグ氏の笑顔を
見るとそんなこと
を考えるのだ。
●タイトル
MOOG(DVD)
●プライス
3990円
100年前、雷を
制御し、電気の力
で地球を真っ二つ
に割ろうと考えた
ニコラテスラ。
ニュートンの影に
埋もれた彼の巨大
な想像力は今また
注目されている。
シンセの父であり
物理博士でもあり
音と科学の橋渡し
をしたボブモーグ
はテスラのように
マッドサイエンテ
ィストを演じたり
はしなかった。
映画「MOOG」
で見る彼の素顔は
ほがらかな紳士。
テルミンの製作者
として出発した彼
は、実直な研究者
タイプだった。
そのモーグが8月
末に亡くなった。
彼のキャリアは、
華々しい成功とは
無縁だった。
モーグ・シンセは
昔も今も高価だ。
ごく一部の音楽家
がそれを使って、
60〜70年代の
電気羊の夢のよう
な時代を描いた。
その後は・・・。
会社は売却され、
MOOGの商標を
取り戻したのは、
晩年のこと。
機械技師でありな
がらダブを作った
キング・タビーと
通じ合う部分も。
ポピュラー音楽の
世界でこんなに愛
された非音楽家も
いないだろう。
アメリカの根っこ
にあるのは不屈の
パイオニア精神。
モーグもそのひと
りに違いない。
太くて、明るくて
カラフルな音。
モーグ・シンセを
使った曲を聞くと
微笑みたくなる。
摩訶不思議な電気
エネルギーをモノ
にしようという、
子供のような心を
感じるから。
モーグの人柄が、
楽器に反映され、
楽曲に反映され、
エネルギーは伝達
され、受け渡され
カタチを留める。
エネルギーという
ドイツ語を日本に
紹介したのは手塚
治虫。閑話休題。
昔、細野晴臣は、
ゲルニカの曲で、
「ネガティブを吸
い込み、ポジティ
ブを吐き出す」と
歌詞に書いた。
何かをアウトプッ
トするには、心身
共にヘルシーでい
なくちゃ、ね。
モーグ氏の笑顔を
見るとそんなこと
を考えるのだ。
●タイトル
MOOG(DVD)
●プライス
3990円
Oto.Hito.E.Kotoba 02
SWとディスコ2
ディスコの典型的
なヴィジュアルと
言えば、エアブラ
シを使ったリアル
でファンタジック
なイラスト。
アースウインド&
ファイヤーのジャ
ケを手がけた長岡
秀星などが有名。
これもクールでS
Fちっくな未来派。
ディスコの時代の
少し前、現代美術
の世界でも、ハイ
パー・リアリズム
という写真のよう
にリアルな絵画が
流行した。
ホントかウソか、
虚実の狭間のイリ
ュージョン。
これらの流れも、
ホコリやヨゴレや
サビも含めた生活
感を画面に定着さ
せて、それまでの
SF映画にはない
リアリティを獲得
したSWの世界観
を思わせる。
と、ここまで来る
とややこじつけっ
ぽいかな?
実はSWシリーズ
のヴィジュアルに
大きく貢献したラ
ルフ・マッカリー
という人がいる。
ジョージ・ルーカ
ス監督の頭の中に
あったイメージを
コンセプト・ペイ
ンティングで具体
化した凄い人で、
彼の絵もまたエア
ブラシ系のリアル
イラストレーショ
ンなんだ。
同じエアでもそれ
らとは対極のエア
ロゾール・アート
=スプレー缶によ
るグラフィティが
ヒップホップと共
に台頭するのは、
SWが登場して間
もない80年代。
ヒップホップの「
過去に存在する音
を盗んで再利用す
る」というサンプ
リングという手法
もルーカスはSW
で体現している。
ルーカスは、基本
構想は昔のアメコ
ミ「フラッシュ・
ゴードン」から、
C−3POは「メ
トロポリス」のロ
ボット=マリアか
ら、ジェダイ騎士
団やダース・ヴェ
イダーのイメージ
は黒澤明からと、
古今東西の映画を
サンプリングして
悪い言い方をすれ
ばバクって、SW
ワールドを作り上
げたのだった。
SWはディスコの
隆盛と衰退から、
ヒップホップの誕
生までをまたぐ時
代のど真ん中で、
時代の空気を吸収
しエッセンシャル
に昇華した。
偶然もまた必然。
化学反応は起こる
べくして起こる。
今回はSWをネタ
に大風呂敷を広げ
てしまったけれど
こんな風に音楽の
向うに見える景色
を探ったり、音楽
と音楽以外をつな
げていくというの
が、このコラム。
少しでもなにかを
感じてもらったら
ウレシイ。
ディスコの典型的
なヴィジュアルと
言えば、エアブラ
シを使ったリアル
でファンタジック
なイラスト。
アースウインド&
ファイヤーのジャ
ケを手がけた長岡
秀星などが有名。
これもクールでS
Fちっくな未来派。
ディスコの時代の
少し前、現代美術
の世界でも、ハイ
パー・リアリズム
という写真のよう
にリアルな絵画が
流行した。
ホントかウソか、
虚実の狭間のイリ
ュージョン。
これらの流れも、
ホコリやヨゴレや
サビも含めた生活
感を画面に定着さ
せて、それまでの
SF映画にはない
リアリティを獲得
したSWの世界観
を思わせる。
と、ここまで来る
とややこじつけっ
ぽいかな?
実はSWシリーズ
のヴィジュアルに
大きく貢献したラ
ルフ・マッカリー
という人がいる。
ジョージ・ルーカ
ス監督の頭の中に
あったイメージを
コンセプト・ペイ
ンティングで具体
化した凄い人で、
彼の絵もまたエア
ブラシ系のリアル
イラストレーショ
ンなんだ。
同じエアでもそれ
らとは対極のエア
ロゾール・アート
=スプレー缶によ
るグラフィティが
ヒップホップと共
に台頭するのは、
SWが登場して間
もない80年代。
ヒップホップの「
過去に存在する音
を盗んで再利用す
る」というサンプ
リングという手法
もルーカスはSW
で体現している。
ルーカスは、基本
構想は昔のアメコ
ミ「フラッシュ・
ゴードン」から、
C−3POは「メ
トロポリス」のロ
ボット=マリアか
ら、ジェダイ騎士
団やダース・ヴェ
イダーのイメージ
は黒澤明からと、
古今東西の映画を
サンプリングして
悪い言い方をすれ
ばバクって、SW
ワールドを作り上
げたのだった。
SWはディスコの
隆盛と衰退から、
ヒップホップの誕
生までをまたぐ時
代のど真ん中で、
時代の空気を吸収
しエッセンシャル
に昇華した。
偶然もまた必然。
化学反応は起こる
べくして起こる。
今回はSWをネタ
に大風呂敷を広げ
てしまったけれど
こんな風に音楽の
向うに見える景色
を探ったり、音楽
と音楽以外をつな
げていくというの
が、このコラム。
少しでもなにかを
感じてもらったら
ウレシイ。
Oto.Hito.E.Kotoba 01
SWとディスコ1
スター・ウォーズ
が完結した。
SWでルーク・ス
カイウォーカーが
使うフォースの決
まり文句は「考え
るな、感じろ」。
ロジックではなく
フィーリング。
「Feel」とは
ダンス・ミュージ
ックの合言葉だ。
SWの初公開年は
1977年。日本
公開は1978年
で世間はディスコ
で浮かれていた。
SWのポスターで
ライトセイバーを
高々と振りかざす
ポーズと「サタデ
ー・ナイト・フィ
ーバー」のジャケ
のポーズはなぜか
シンクロしてる。
当時、SWのテー
マをディスコ風に
アレンジしたミー
コの曲がチャート
一位になる。
アッパーで軽薄で
お気楽な快楽主義
のディスコ音楽は
冷戦やベトナム戦
争で暗く沈んでい
た70年代の世相
をB級フレーバー
の単純明快なファ
ンタジーで吹き飛
ばしたSWと、実
は根っこでつなが
ってると思う。
ミラーボール、ネ
オンサイン、フロ
アライト。ディス
コはチープでシャ
イニーな光り物で
未来を演出した。
ジョルジオ・モロ
ダーのピコピコな
ミュンヘン・ディ
スコやクラフトワ
ークのテクノも同
時代。これら欧州
産のクールで未来
派なサウンドが、
ディスコのスパイ
スとして重要な役
割を演じたのは、
ご存知の通り。
ディスコと言えば
今も昔も汗ダクダ
ク体臭ムンムンの
ホットなものと相
場が決まってる。
でも、その一方で
はクールで冷たい
未来感覚も並行し
てあったワケで、
SWはその空気を
偶然に拾い上げた
んじゃないかな?
スター・ウォーズ
が完結した。
SWでルーク・ス
カイウォーカーが
使うフォースの決
まり文句は「考え
るな、感じろ」。
ロジックではなく
フィーリング。
「Feel」とは
ダンス・ミュージ
ックの合言葉だ。
SWの初公開年は
1977年。日本
公開は1978年
で世間はディスコ
で浮かれていた。
SWのポスターで
ライトセイバーを
高々と振りかざす
ポーズと「サタデ
ー・ナイト・フィ
ーバー」のジャケ
のポーズはなぜか
シンクロしてる。
当時、SWのテー
マをディスコ風に
アレンジしたミー
コの曲がチャート
一位になる。
アッパーで軽薄で
お気楽な快楽主義
のディスコ音楽は
冷戦やベトナム戦
争で暗く沈んでい
た70年代の世相
をB級フレーバー
の単純明快なファ
ンタジーで吹き飛
ばしたSWと、実
は根っこでつなが
ってると思う。
ミラーボール、ネ
オンサイン、フロ
アライト。ディス
コはチープでシャ
イニーな光り物で
未来を演出した。
ジョルジオ・モロ
ダーのピコピコな
ミュンヘン・ディ
スコやクラフトワ
ークのテクノも同
時代。これら欧州
産のクールで未来
派なサウンドが、
ディスコのスパイ
スとして重要な役
割を演じたのは、
ご存知の通り。
ディスコと言えば
今も昔も汗ダクダ
ク体臭ムンムンの
ホットなものと相
場が決まってる。
でも、その一方で
はクールで冷たい
未来感覚も並行し
てあったワケで、
SWはその空気を
偶然に拾い上げた
んじゃないかな?
Oto.Hito.E.Kotoba 00
2005年から2006年にかけて、携帯サイト「CoolSound」内のウェブマガジン、the DISK DININGに毎週掲載させていただいたコラム、「オトヒトエコトバ」をアップします。タテ8文字の空間をスクロールさせて読むという携帯サイトのインターフェイスに戸惑いつつも、随分と好き勝手に遊ばせてもらいました。いま読むと、800字のテキスト+画像一枚+CDアルバム一枚+タイトルという限定された中に、気恥ずかしくなるほどに妄想とおバカな世迷い言、戯れ言を詰め込んでいます。そういう時期だったのか、今となってはまったく思い出せません。こういう機会を与えてくれた制作の武藤さんには感謝です。
Evangelion
映画「エヴァンゲリオン」を観た感想です。
映画「エヴァンゲリオン」を観た。テレビも最初の劇場版も見てないので初見である。当時、サブカル雑誌を中心に「エヴァ」がもてはやされ、庵野秀明のインタビューを読んだり、周辺情報にはそれなりに接していたけれど、作品そのものにはコミットしなかった。たまたま、なのかもしれないが、実は積極的に拒んだというのが本当のところ。その頃は音楽に夢中だったし、カッコよく言えば、日本という風土に内向していって得られる強度よりも、音楽の持つ開かれたコミュニケーションの強度に夢中だった(それもまたタダの幻想なのだろうけれど)。強度の種類や方向性がチガウ。これは、少なくとも当時の自分にはとても大事なことで、必要な「選択」だった。それ以前に、貞本義行のキャラデザインに馴染めなかった。
庵野に関しては、ダイコン・フィルム時代の「愛國戰隊大日本」「帰ってきたウルトラマン」をはじめ、「マクロス」「オネアミスの翼」「ナウシカ」と、特殊アニメーターとしてメキメキ腕を上げていった姿をリアルタイムで追っていたのだった。その前後からアニメに興味がなくなってしまい、「ナディア」や「トップをねらえ」は見ていない。「ナウシカ」のおぞましくも魅力的な巨人兵の描写は、パブリックな劇場映画で無意識の具現化を行った「明るい80年代」における負の表現としてのマイルストーンだと思う。だから、「エヴァ」における生理的に気持ち悪いとされる描写の数々も、既視感と共に庵野らしさとして素直に受け入れることができた。
エヴァ初号機は、私見ではギーガーの「エイリアン」の造形、 尖った頭部、猫背、痩せているという現代的な異形の悪魔の最もポピュラーなフォルムに、あるいは「デビルマン」も忍ばせつつ、ロボットアニメの文脈にデモーニッシュな強度を落とし込んでいる。また、使徒のアブストラクトな造形も特撮からの影響が強い。もっと言えば、「ウルトラマン」で成田了がヨーロッパのシュールレアリスムを参照しながら作り出した怪獣のエッセンスそのものだと思う。彼らが子供向け番組で子供に媚びることなく第一級の仕事をしたことに対して、庵野はオタク第一世代らしい自己を形成してきたアニメ・特撮史のサンプリングでオマージュを捧げている。こうした指摘はいまさらなんだろうけど、パンフを読むと、庵野は特撮のイビツなリアリティに自覚的で、今回の映像表現でもそこにこだわっていたことがわかる。その反面、死海文書やキリスト教など設定に散りばめられた謎掛けは衒学的=ペダンティックなお遊び以上ではなく、意味ありげなだけで浅薄な印象はぬぐえない(「スター・ウォーズ」に通じる類型的神話の商業作品への転用)。
第三新東京市という使徒を迎え撃つために作られた要塞都市に使徒がどこからともなくやってくるという設定のご都合主義そのものの閉鎖性、虚構性、ゲーム性。「エヴァ」がロボットアニメの系譜の中に確信犯的に準備された鬼っ子であることを考えるとこの設定もうなづけるが、オトナになってしまった僕にはこの世界がどこまでも閉じているという閉塞感にいらだちを覚える。登場人物の多くが、(中学生が主人公だから仕方ないにしても)保護者・被保護者という一種の血縁関係にあるのも息苦しい。そこでは、少年の成長というビルディングス・ロマンの要素もとってつけたようで、つまりは本当の「他者」はどこにも存在せず、「他者」というべき使徒も最初から仕組まれていてお膳立てされていたということでは、やはりゲームの世界から現実には飛び立てない。「エヴァ」を形づくる世界観や心理描写の幼稚さ、世界を構成する関数のあっけないほどの少なさ、全体に表出するサブカルチャーを苗床にする幼児性については、自分自身の鏡を見せられているようでなんとも痛し痒しではある。
一方で、第三新東京市のうらさびれた空虚な風景には胸がしめつけられた。僕はこの映画を渋谷で観たのだけれど、その後、渋谷の風景がしばらく第三新東京市とオーバーラップしてしまった。まったく美しくない(がゆえにある種の美しさを持った)現実の似姿である都市景観は、宮崎駿の牧歌的で理想主義をにじませた田園風景や、押井守のブレラン譲りのディストピアな近未来のいずれとも違う。このリアリティは、重厚長大な作家主義ではなく、もともと生粋のアマチュアリズムのサーヴィス精神から出発した庵野の立ち位置から生まれたものだろう。
映画「エヴァンゲリオン」から、僕は現代日本のオタク的表現の貧しさと豊かさ、サブカルチャーに依存することの限界と可能性を改めて感じ取った。何かを期待していたわけではないが、それだけでも僕はこの映画を観てよかったと思った。オタクという言葉が一般的になってしまったいま、こんなことを書くこと自体が陳腐なのだけれど。友人が「トランスフォーマー」を観た後で「エヴァ」を観たら、前者のあまりの浅さゆえに「エヴァ」のリアルが身に沁みたとのこと。「エヴァ」が深いかどうかはともかく、この映画を根幹で支えているリバイバリズム=懐古主義はとても今っぽい気がする。過去の作品や記憶が新しいテクノロジーと共にいとも簡単になし崩し的に再生・再現され、アレンジされ、共有されていく。作り手がそこに自覚的であること、そして、それを商品として流通させていること。それは音楽の問題とも深くつながっている。
10年前は「エヴァ」を避けていた僕はやっと作品としての「エヴァ」にたどり着いたのだった。というか、旧劇場版の量産型エヴァと弐号機の量感とダイナミズムにあふれた戦いのシーンを「電脳コイル」の磯光雄が担当していることを知って、ようやく現在と過去がつながったというべきか。
映画「エヴァンゲリオン」を観た。テレビも最初の劇場版も見てないので初見である。当時、サブカル雑誌を中心に「エヴァ」がもてはやされ、庵野秀明のインタビューを読んだり、周辺情報にはそれなりに接していたけれど、作品そのものにはコミットしなかった。たまたま、なのかもしれないが、実は積極的に拒んだというのが本当のところ。その頃は音楽に夢中だったし、カッコよく言えば、日本という風土に内向していって得られる強度よりも、音楽の持つ開かれたコミュニケーションの強度に夢中だった(それもまたタダの幻想なのだろうけれど)。強度の種類や方向性がチガウ。これは、少なくとも当時の自分にはとても大事なことで、必要な「選択」だった。それ以前に、貞本義行のキャラデザインに馴染めなかった。
庵野に関しては、ダイコン・フィルム時代の「愛國戰隊大日本」「帰ってきたウルトラマン」をはじめ、「マクロス」「オネアミスの翼」「ナウシカ」と、特殊アニメーターとしてメキメキ腕を上げていった姿をリアルタイムで追っていたのだった。その前後からアニメに興味がなくなってしまい、「ナディア」や「トップをねらえ」は見ていない。「ナウシカ」のおぞましくも魅力的な巨人兵の描写は、パブリックな劇場映画で無意識の具現化を行った「明るい80年代」における負の表現としてのマイルストーンだと思う。だから、「エヴァ」における生理的に気持ち悪いとされる描写の数々も、既視感と共に庵野らしさとして素直に受け入れることができた。
エヴァ初号機は、私見ではギーガーの「エイリアン」の造形、 尖った頭部、猫背、痩せているという現代的な異形の悪魔の最もポピュラーなフォルムに、あるいは「デビルマン」も忍ばせつつ、ロボットアニメの文脈にデモーニッシュな強度を落とし込んでいる。また、使徒のアブストラクトな造形も特撮からの影響が強い。もっと言えば、「ウルトラマン」で成田了がヨーロッパのシュールレアリスムを参照しながら作り出した怪獣のエッセンスそのものだと思う。彼らが子供向け番組で子供に媚びることなく第一級の仕事をしたことに対して、庵野はオタク第一世代らしい自己を形成してきたアニメ・特撮史のサンプリングでオマージュを捧げている。こうした指摘はいまさらなんだろうけど、パンフを読むと、庵野は特撮のイビツなリアリティに自覚的で、今回の映像表現でもそこにこだわっていたことがわかる。その反面、死海文書やキリスト教など設定に散りばめられた謎掛けは衒学的=ペダンティックなお遊び以上ではなく、意味ありげなだけで浅薄な印象はぬぐえない(「スター・ウォーズ」に通じる類型的神話の商業作品への転用)。
第三新東京市という使徒を迎え撃つために作られた要塞都市に使徒がどこからともなくやってくるという設定のご都合主義そのものの閉鎖性、虚構性、ゲーム性。「エヴァ」がロボットアニメの系譜の中に確信犯的に準備された鬼っ子であることを考えるとこの設定もうなづけるが、オトナになってしまった僕にはこの世界がどこまでも閉じているという閉塞感にいらだちを覚える。登場人物の多くが、(中学生が主人公だから仕方ないにしても)保護者・被保護者という一種の血縁関係にあるのも息苦しい。そこでは、少年の成長というビルディングス・ロマンの要素もとってつけたようで、つまりは本当の「他者」はどこにも存在せず、「他者」というべき使徒も最初から仕組まれていてお膳立てされていたということでは、やはりゲームの世界から現実には飛び立てない。「エヴァ」を形づくる世界観や心理描写の幼稚さ、世界を構成する関数のあっけないほどの少なさ、全体に表出するサブカルチャーを苗床にする幼児性については、自分自身の鏡を見せられているようでなんとも痛し痒しではある。
一方で、第三新東京市のうらさびれた空虚な風景には胸がしめつけられた。僕はこの映画を渋谷で観たのだけれど、その後、渋谷の風景がしばらく第三新東京市とオーバーラップしてしまった。まったく美しくない(がゆえにある種の美しさを持った)現実の似姿である都市景観は、宮崎駿の牧歌的で理想主義をにじませた田園風景や、押井守のブレラン譲りのディストピアな近未来のいずれとも違う。このリアリティは、重厚長大な作家主義ではなく、もともと生粋のアマチュアリズムのサーヴィス精神から出発した庵野の立ち位置から生まれたものだろう。
映画「エヴァンゲリオン」から、僕は現代日本のオタク的表現の貧しさと豊かさ、サブカルチャーに依存することの限界と可能性を改めて感じ取った。何かを期待していたわけではないが、それだけでも僕はこの映画を観てよかったと思った。オタクという言葉が一般的になってしまったいま、こんなことを書くこと自体が陳腐なのだけれど。友人が「トランスフォーマー」を観た後で「エヴァ」を観たら、前者のあまりの浅さゆえに「エヴァ」のリアルが身に沁みたとのこと。「エヴァ」が深いかどうかはともかく、この映画を根幹で支えているリバイバリズム=懐古主義はとても今っぽい気がする。過去の作品や記憶が新しいテクノロジーと共にいとも簡単になし崩し的に再生・再現され、アレンジされ、共有されていく。作り手がそこに自覚的であること、そして、それを商品として流通させていること。それは音楽の問題とも深くつながっている。
10年前は「エヴァ」を避けていた僕はやっと作品としての「エヴァ」にたどり着いたのだった。というか、旧劇場版の量産型エヴァと弐号機の量感とダイナミズムにあふれた戦いのシーンを「電脳コイル」の磯光雄が担当していることを知って、ようやく現在と過去がつながったというべきか。
Dennou Coil
「電脳コイル」を数話見た段階で書いたテキストを加筆修正してアップします。
サイバーパンクを世に知らしめたウィリアム・ギブソンには「ヴァーチャル・ライト」という、メガネを通して電脳世界を体感するという作品がある。ギブソンは文学的想像力を駆使して、コンピュータがガジェットとなって日常に溶け込んでいる未来を幻視した。彼の作品は数を重ねるごとにSF小説としてのインパクトを失っていき、未来を舞台に移し替えただけのピカレスク・ロマンや犯罪小説の様相を呈していった(それは小説として面白くなくなっていった、ということを意味してはいないのだが)。壮大なアイディアでうならせるタイプのSFではなく、未来社会のディティールをかつてなかったリアリティと筆力で活写するのがギブソンらしさ。いま読むと多分にマンガやアニメっぽくもあり、一方で日本をことさらエキゾチックに描き出したその世界を、子供向けアニメーションとして見事に再生・変換させたのが、磯光雄監督の「電脳コイル」だと思う。
「電脳コイル」は、欧米生まれのバタくさいサイバーパンクをドラえもんやサザエさんの住む身の丈の日常と直結させてしまう。その発想がまず斬新だ。等身大のキャラクターと、塀や電柱や路地や神社が迷路のようにうずまく昭和ノスタルジーな町。まっくろくろすけやもののけを思わせる電脳ペットやイリーガルと呼ばれる古い電脳空間に生息する怪物、あるいは主人公が姉妹という設定は「トトロ」そのもの。ジブリが看板にする安全で共同体的なイメージ群が、ここでは最先端のユビキタス社会と違和感なく接合される。ファッションやアートと共に語られることが多かったサイバーパンクは、それゆえに風化も早かったが、こんな形で嫌みなくローカライズされて再現されるとは予想もしなかった。
電柱やブロック塀やトタン屋根のある空間というのは、日本人の脳内にサブリミナルに存在する原風景だと言えるだろう。デザイナーズマンションに住んでも、ケータイを使っても、そのヴァーチャルな空間は記憶に消しがたくそこにある。過去も現在も未来も個人の記憶すらもユビキタスに偏在し、接続可能で代替可能。ネットワーク上ではアップデートもデリートも瞬時で、そこでは存在そのものが耐えられない軽さになり、一枚の写真に特別なオーラを感じるといったことが不可能になってしまう。セカイ系うんぬんを取り沙汰しなくても、大文字の世界と個の世界、マクロとミクロ、アッチとコッチがダイレクトにつながっているという感覚はもはや当たり前のものであり、「電脳コイル」はそうした時代背景を踏まえ、20数年前のサイバーパンクが先送りして見せた未来社会をリデザインしている。
そういえば、サイバーパンク隆盛の頃、「電脳」という言葉はちょっとダサくて気恥ずかしい気がしたが、あえてこの言葉を正面から使うところに、「電脳コイル」を制作する側のスタンスが感じられる。講釈はともかく、第一話の「フォーマットしてます」という巨大な壁からデンスケやオヤジといった電脳ペットが逃げるという絵ヅラが素晴らしい。未来からやってきたロボットがまったくスタイリッシュさを欠いた扁平足のネコ型だったという、ドラえもんが作り出した未来に対するお茶の間感覚。その親しみやすいルックの裏には、今さらながら優れた批評性と普遍性があったのだと改めて思う。
「電脳コイル」の描く電脳世界は、回を追うごとに都市伝説やホラーと絡めた「異界」として主人公たちと僕たち見る者に認識されていく。その皮膚感覚はとても原始的かつ生理的で抗いがたく、意識と無意識、こころとからだの間にあるグレーゾーンに真っ向から踏み込んでいる。最後に、磯光雄監督の公式サイトにあった彼の言葉を引用しよう。
子供の遊び場とフィクションの世界には通づる部分があって、親の、あるいは整合性の目の行き届かない薄暗がりにワクワクする何かが宿るような気がします。いずれも存続しにくいものになりつつあります。その意味で、「電脳コイル」は失われた風景、失われたジャンルを扱っているのだと自分では考えています。これは企画の一番初めから変わっていない気持ちです。ちょっとだけささやかな抵抗を続けていこうと思います。(磯光雄)
サイバーパンクを世に知らしめたウィリアム・ギブソンには「ヴァーチャル・ライト」という、メガネを通して電脳世界を体感するという作品がある。ギブソンは文学的想像力を駆使して、コンピュータがガジェットとなって日常に溶け込んでいる未来を幻視した。彼の作品は数を重ねるごとにSF小説としてのインパクトを失っていき、未来を舞台に移し替えただけのピカレスク・ロマンや犯罪小説の様相を呈していった(それは小説として面白くなくなっていった、ということを意味してはいないのだが)。壮大なアイディアでうならせるタイプのSFではなく、未来社会のディティールをかつてなかったリアリティと筆力で活写するのがギブソンらしさ。いま読むと多分にマンガやアニメっぽくもあり、一方で日本をことさらエキゾチックに描き出したその世界を、子供向けアニメーションとして見事に再生・変換させたのが、磯光雄監督の「電脳コイル」だと思う。
「電脳コイル」は、欧米生まれのバタくさいサイバーパンクをドラえもんやサザエさんの住む身の丈の日常と直結させてしまう。その発想がまず斬新だ。等身大のキャラクターと、塀や電柱や路地や神社が迷路のようにうずまく昭和ノスタルジーな町。まっくろくろすけやもののけを思わせる電脳ペットやイリーガルと呼ばれる古い電脳空間に生息する怪物、あるいは主人公が姉妹という設定は「トトロ」そのもの。ジブリが看板にする安全で共同体的なイメージ群が、ここでは最先端のユビキタス社会と違和感なく接合される。ファッションやアートと共に語られることが多かったサイバーパンクは、それゆえに風化も早かったが、こんな形で嫌みなくローカライズされて再現されるとは予想もしなかった。
電柱やブロック塀やトタン屋根のある空間というのは、日本人の脳内にサブリミナルに存在する原風景だと言えるだろう。デザイナーズマンションに住んでも、ケータイを使っても、そのヴァーチャルな空間は記憶に消しがたくそこにある。過去も現在も未来も個人の記憶すらもユビキタスに偏在し、接続可能で代替可能。ネットワーク上ではアップデートもデリートも瞬時で、そこでは存在そのものが耐えられない軽さになり、一枚の写真に特別なオーラを感じるといったことが不可能になってしまう。セカイ系うんぬんを取り沙汰しなくても、大文字の世界と個の世界、マクロとミクロ、アッチとコッチがダイレクトにつながっているという感覚はもはや当たり前のものであり、「電脳コイル」はそうした時代背景を踏まえ、20数年前のサイバーパンクが先送りして見せた未来社会をリデザインしている。
そういえば、サイバーパンク隆盛の頃、「電脳」という言葉はちょっとダサくて気恥ずかしい気がしたが、あえてこの言葉を正面から使うところに、「電脳コイル」を制作する側のスタンスが感じられる。講釈はともかく、第一話の「フォーマットしてます」という巨大な壁からデンスケやオヤジといった電脳ペットが逃げるという絵ヅラが素晴らしい。未来からやってきたロボットがまったくスタイリッシュさを欠いた扁平足のネコ型だったという、ドラえもんが作り出した未来に対するお茶の間感覚。その親しみやすいルックの裏には、今さらながら優れた批評性と普遍性があったのだと改めて思う。
「電脳コイル」の描く電脳世界は、回を追うごとに都市伝説やホラーと絡めた「異界」として主人公たちと僕たち見る者に認識されていく。その皮膚感覚はとても原始的かつ生理的で抗いがたく、意識と無意識、こころとからだの間にあるグレーゾーンに真っ向から踏み込んでいる。最後に、磯光雄監督の公式サイトにあった彼の言葉を引用しよう。
子供の遊び場とフィクションの世界には通づる部分があって、親の、あるいは整合性の目の行き届かない薄暗がりにワクワクする何かが宿るような気がします。いずれも存続しにくいものになりつつあります。その意味で、「電脳コイル」は失われた風景、失われたジャンルを扱っているのだと自分では考えています。これは企画の一番初めから変わっていない気持ちです。ちょっとだけささやかな抵抗を続けていこうと思います。(磯光雄)
RadioSoundPainting 200710
Radio Sound Paintingのブログに10月放送分のプレイリストを掲載しました。
Usual Morning Sun - DJ Amagumo
Easelのブレイクビーツ・コンピレーション、「Beats Architecture」の中からDJ雨雲の曲。日光浴のような音のシャワー。体を温めてくれる人肌のサンプリング・ミュージック。平凡な日々のサプリメント。オープニングに合うなと思ってセレクトしました。こういったメロウネス、今までもよくあったようで、やっぱり2000年以降の音の選び方、切り方です。EaselからのReminderの新作、前作の「Now I Disappear」や新作の「Days Of Awe」のようなこの人独自のダブは耳に残りますが、今回は紹介できず。
The People - Common Feat. Dwele
以前にRSPでも紹介したリリー・アレンとやった「Drivin' Me Wild」、ジェイディーのトラックを使った「So Far To Go」と悩んで、この曲に。コモンはまったくズルイです。コアなリスナーからのプロップもしっかりゲットしながら、商業的にも成功しているという理想的なスタンス。カニエ・ウエストのプロダクションは格段によくなっていて、声ネタのイン/アウトの配置とタイミングが素晴らしい。ほとんどの曲でクレジットされているキーボーディストの力も大きいのではと推測(カニエの本人名義のアルバムでは、ミュージシャンの数もビックリするくらい多く、潤沢な予算を使って贅沢なことやってます)。ブレイクビーツの骨格は残しながらポップミュージックに寄り添うという最良の例でしょう。
Only For U - Soloal One
オリーブオイルの新作は、前作より意図的にトリッキーで複雑なプログラミングをやめて、もっと太いストレートな方向に行こうとしているのがわかります。エレクトロニックな曲は、往年のエイフェックスやミュージックを聴いているような錯覚に陥りました(ごめんなさい)。渋谷FM制作の栗田さんが「こういうブレイクビーツがもっと聴かれるようになればいいのに」と言ってくれて、昔からこんな曲ばかりを飽きもせずにかけてきた自分って・・・とやるせなくなったり励まされたりしました。
Beats Mistake - Kim Hiorthoy
デザイナーが作るグラフィカルな宅録ミュージック。と、言い切ってしまいましょう。この曲は特にかわいらしくスリリングな展開で、タイトルに偽りなし。ミステイクを曲の中に引き入れられるかどうかは、その人の器です。そういう豊かさを持った佳曲です。
40 Seconds (Dusk) - Yuji Oniki
前から紹介したかったオニキさん。なんとも大らかな叙情性が魅力です。オープンにチューニングされたアコギの響きはエバーグリーン(もしかして死語)です。勝井佑二さんのバイオリンも効果的です。アメリカ育ちの日本人が持つストレンジャーな視点があぶりだされているような気がしますが、それは後づけでしょう。こういうオーセンティックな風味の曲が自然に生まれてくるのもパラレル・ワールドな2000年代だなと思うわけです。
The Big Vacation - The Red Krayola With Art & Language
レッド・クレイオラの新作は思いのほかポップで聴きやすく、シカゴ勢のバックアップも相変わらず見事です。女性ヴォーカルのやわらかさが沁みます。この力のヌケ具合は学びたいところ。この曲や「Forty Thousand Words On A Chair」にはラヴィン・スプーンフルみたいなトボけたレイドバック感が漂っていて、グリニッジ・ヴィレッジ・フォークという忘れかけていた言葉を思い出しました。こういう小難しいことを言うオジイサンにはいつまでも元気でいてほしいものです。
Body Snatchers - Harry Hosono & The World Shyness
RSPで最もオンエアされているアーティストのひとり、ホソノさんの新作です。UAとのデュエットや往年のファンにはなつかしい「スポーツマン」と迷って、一番意外だったこのセルフカバーをピックアップしました。あのレトロ・フューチャーなやりすぎのエレクトロ・ヒップホップがフォークに化けています。何の違和感もないところが恐ろしい。原曲が収録されている一般的には評価の低い(?)「SFX」、個人的には思い出深いアルバムです。83、84年頃のあの空気、なんだったんでしょう。そんなどうでもいいノスタルジーは明後日にうっちゃらかって、最近のUAをプロデュースしている内橋和久さんのプロダクションがとても好きであることを告白します。
A Beautiful War - Robert Wyatt
脱帽です。おそらく最近聴いたアルバムの中で最もグッときた素晴らしい一枚でした。ワイアットは世界一の宅録マスターだと勝手に思っています。インティメイトな空気に込めた計り知れないエモーションの容量。この曲はイーノとの合作で、タイトルと裏腹にどこまでも牧歌的で(あ、禁断の言葉を使ってしまった)「I'll be free」という言葉が切ない。ロキシー・ミュージックを思わせる(フィル・マンザネラが関わっているので当たり前か)「You You」のハーモニーとコードの流れが一番のお気に入りですが、最後のスパニッシュの曲も目の前の景色を突き破るアンビバレントな破壊力があります。あらゆるスタイルがコピーされるのに、誰もワイアットのような深さとテンションに到達できない。なぜなんだろうと考えないと、ただ偉人を称揚するだけで終わってしまいます。その人の思想が政治的かどうかは問題ではなく、音楽そのものが構造としてエクスキューズになっている気がします。とにかく、小賢しさとは最も遠い音楽です。
November - Yossy Little Noise Weaver
元デタミネーションズのメンバーによる、優れたミュージシャンシップにあふれた完成度と自由度の高い音楽です。しっとりしたダブのコレを選びましたが、ジャッキー・ミトゥの「Oboe」の秀逸なカバー(原曲の朗らかさが完璧に再現されている)、ニューウェイビーな女性ヴォーカル入りの「Room」とも迷いました。宅録的なチープな打ち込みの音色と音場感、そこはかとないユーモア。きわめてラジオ・フレンドリーでもあり、6畳の狭いリビングで日本人が培ってきた精神性みたいなものともちょっとだけ関係あるのかもしれません。ないのかもしれません。結局、自分がそういう音楽にどうしても惹かれてしまうということなのかもしれません。なかなか自身の嗜好からは逃れられません。惰性ではないと信じたいのですが。
Best In Me feat.Yukalicious - Masaki Sakamoto
この人の別名儀の処女作はありがちなエレクトロニカのひとつにしか聞こえず、こんなに才能ある人だとは気づけませんでした(失礼)。アトムハートとの合作はあえて避けて、耳通りのよいヴォーカル曲を選びました。エレクトロニックなトラックに大人っぽいユカリシャスの声というのがありそうでない感じです。Yossy Little Noise Weaverとも感触が近いので並べてみました。こういう楽曲をただセンスがいいとかオシャレとかだけ称していては先に進めないので、それにふさわしい言葉を与えてあげないとと思います。ライナーノーツで岡村詩野さんがエリアーデの名前を挙げて、坂本昌己さんの音楽をシャーマニズム、アニミズムととらえて書いていたのにドキッとしました。
Bird Flu / Boyz / XR2 / World Town / Big Branch (Edit) - M.I.A.
クールダウンしていった後に、M.I.A.です。新しいです。個人的に、いま、一番血が騒ぎ肉踊る音楽です。リズムの面白い部分をブツ切りエディットしてみました。M.I.A.については、後日、詳しく書きたいと思います。
Polyrhythm / Seventh Heaven (Edit) - Perfume
渋谷FMでかけていいのかなとためらいつつも、オフザケでなくドマジメにかけました(インスト部分を多めにエディットしてあります)。「Polyrhythm」はごく一部だけれどポリリズムを用いたり、メロディやフックの組み立ても実に計算されていて、中田ヤスタカの職人的なプロデュースワークがうかがえる楽曲です。リリックもエコロジーを引用しながら、繰り返すことの切なさと愚かしさ、生きることは繰り返しであるという誰もが逃れられない現実のありようをうまく言い当てています(ちょっとホメ過ぎか?)。お茶の間で聴くべきポップスとしては先鋭的であり、そして、ポップミュージックの構造の中でしかなしえない「いま」の風景があります。渋谷センター街で女子のざわめきをサンプリングして、というようなとってつけた時代感(そういうものも好きですが)とはまったくベクトルが違うところがいいのです。「Seventh Heaven」はエンディングに似合う曲調だったのでくっつけてみました。もちろん、ラリー・レヴァンとグウェン・ガスリーによる至高の名曲「Seventh Heaven」とはなんら関係ありません・・・。
Usual Morning Sun - DJ Amagumo
Easelのブレイクビーツ・コンピレーション、「Beats Architecture」の中からDJ雨雲の曲。日光浴のような音のシャワー。体を温めてくれる人肌のサンプリング・ミュージック。平凡な日々のサプリメント。オープニングに合うなと思ってセレクトしました。こういったメロウネス、今までもよくあったようで、やっぱり2000年以降の音の選び方、切り方です。EaselからのReminderの新作、前作の「Now I Disappear」や新作の「Days Of Awe」のようなこの人独自のダブは耳に残りますが、今回は紹介できず。
The People - Common Feat. Dwele
以前にRSPでも紹介したリリー・アレンとやった「Drivin' Me Wild」、ジェイディーのトラックを使った「So Far To Go」と悩んで、この曲に。コモンはまったくズルイです。コアなリスナーからのプロップもしっかりゲットしながら、商業的にも成功しているという理想的なスタンス。カニエ・ウエストのプロダクションは格段によくなっていて、声ネタのイン/アウトの配置とタイミングが素晴らしい。ほとんどの曲でクレジットされているキーボーディストの力も大きいのではと推測(カニエの本人名義のアルバムでは、ミュージシャンの数もビックリするくらい多く、潤沢な予算を使って贅沢なことやってます)。ブレイクビーツの骨格は残しながらポップミュージックに寄り添うという最良の例でしょう。
Only For U - Soloal One
オリーブオイルの新作は、前作より意図的にトリッキーで複雑なプログラミングをやめて、もっと太いストレートな方向に行こうとしているのがわかります。エレクトロニックな曲は、往年のエイフェックスやミュージックを聴いているような錯覚に陥りました(ごめんなさい)。渋谷FM制作の栗田さんが「こういうブレイクビーツがもっと聴かれるようになればいいのに」と言ってくれて、昔からこんな曲ばかりを飽きもせずにかけてきた自分って・・・とやるせなくなったり励まされたりしました。
Beats Mistake - Kim Hiorthoy
デザイナーが作るグラフィカルな宅録ミュージック。と、言い切ってしまいましょう。この曲は特にかわいらしくスリリングな展開で、タイトルに偽りなし。ミステイクを曲の中に引き入れられるかどうかは、その人の器です。そういう豊かさを持った佳曲です。
40 Seconds (Dusk) - Yuji Oniki
前から紹介したかったオニキさん。なんとも大らかな叙情性が魅力です。オープンにチューニングされたアコギの響きはエバーグリーン(もしかして死語)です。勝井佑二さんのバイオリンも効果的です。アメリカ育ちの日本人が持つストレンジャーな視点があぶりだされているような気がしますが、それは後づけでしょう。こういうオーセンティックな風味の曲が自然に生まれてくるのもパラレル・ワールドな2000年代だなと思うわけです。
The Big Vacation - The Red Krayola With Art & Language
レッド・クレイオラの新作は思いのほかポップで聴きやすく、シカゴ勢のバックアップも相変わらず見事です。女性ヴォーカルのやわらかさが沁みます。この力のヌケ具合は学びたいところ。この曲や「Forty Thousand Words On A Chair」にはラヴィン・スプーンフルみたいなトボけたレイドバック感が漂っていて、グリニッジ・ヴィレッジ・フォークという忘れかけていた言葉を思い出しました。こういう小難しいことを言うオジイサンにはいつまでも元気でいてほしいものです。
Body Snatchers - Harry Hosono & The World Shyness
RSPで最もオンエアされているアーティストのひとり、ホソノさんの新作です。UAとのデュエットや往年のファンにはなつかしい「スポーツマン」と迷って、一番意外だったこのセルフカバーをピックアップしました。あのレトロ・フューチャーなやりすぎのエレクトロ・ヒップホップがフォークに化けています。何の違和感もないところが恐ろしい。原曲が収録されている一般的には評価の低い(?)「SFX」、個人的には思い出深いアルバムです。83、84年頃のあの空気、なんだったんでしょう。そんなどうでもいいノスタルジーは明後日にうっちゃらかって、最近のUAをプロデュースしている内橋和久さんのプロダクションがとても好きであることを告白します。
A Beautiful War - Robert Wyatt
脱帽です。おそらく最近聴いたアルバムの中で最もグッときた素晴らしい一枚でした。ワイアットは世界一の宅録マスターだと勝手に思っています。インティメイトな空気に込めた計り知れないエモーションの容量。この曲はイーノとの合作で、タイトルと裏腹にどこまでも牧歌的で(あ、禁断の言葉を使ってしまった)「I'll be free」という言葉が切ない。ロキシー・ミュージックを思わせる(フィル・マンザネラが関わっているので当たり前か)「You You」のハーモニーとコードの流れが一番のお気に入りですが、最後のスパニッシュの曲も目の前の景色を突き破るアンビバレントな破壊力があります。あらゆるスタイルがコピーされるのに、誰もワイアットのような深さとテンションに到達できない。なぜなんだろうと考えないと、ただ偉人を称揚するだけで終わってしまいます。その人の思想が政治的かどうかは問題ではなく、音楽そのものが構造としてエクスキューズになっている気がします。とにかく、小賢しさとは最も遠い音楽です。
November - Yossy Little Noise Weaver
元デタミネーションズのメンバーによる、優れたミュージシャンシップにあふれた完成度と自由度の高い音楽です。しっとりしたダブのコレを選びましたが、ジャッキー・ミトゥの「Oboe」の秀逸なカバー(原曲の朗らかさが完璧に再現されている)、ニューウェイビーな女性ヴォーカル入りの「Room」とも迷いました。宅録的なチープな打ち込みの音色と音場感、そこはかとないユーモア。きわめてラジオ・フレンドリーでもあり、6畳の狭いリビングで日本人が培ってきた精神性みたいなものともちょっとだけ関係あるのかもしれません。ないのかもしれません。結局、自分がそういう音楽にどうしても惹かれてしまうということなのかもしれません。なかなか自身の嗜好からは逃れられません。惰性ではないと信じたいのですが。
Best In Me feat.Yukalicious - Masaki Sakamoto
この人の別名儀の処女作はありがちなエレクトロニカのひとつにしか聞こえず、こんなに才能ある人だとは気づけませんでした(失礼)。アトムハートとの合作はあえて避けて、耳通りのよいヴォーカル曲を選びました。エレクトロニックなトラックに大人っぽいユカリシャスの声というのがありそうでない感じです。Yossy Little Noise Weaverとも感触が近いので並べてみました。こういう楽曲をただセンスがいいとかオシャレとかだけ称していては先に進めないので、それにふさわしい言葉を与えてあげないとと思います。ライナーノーツで岡村詩野さんがエリアーデの名前を挙げて、坂本昌己さんの音楽をシャーマニズム、アニミズムととらえて書いていたのにドキッとしました。
Bird Flu / Boyz / XR2 / World Town / Big Branch (Edit) - M.I.A.
クールダウンしていった後に、M.I.A.です。新しいです。個人的に、いま、一番血が騒ぎ肉踊る音楽です。リズムの面白い部分をブツ切りエディットしてみました。M.I.A.については、後日、詳しく書きたいと思います。
Polyrhythm / Seventh Heaven (Edit) - Perfume
渋谷FMでかけていいのかなとためらいつつも、オフザケでなくドマジメにかけました(インスト部分を多めにエディットしてあります)。「Polyrhythm」はごく一部だけれどポリリズムを用いたり、メロディやフックの組み立ても実に計算されていて、中田ヤスタカの職人的なプロデュースワークがうかがえる楽曲です。リリックもエコロジーを引用しながら、繰り返すことの切なさと愚かしさ、生きることは繰り返しであるという誰もが逃れられない現実のありようをうまく言い当てています(ちょっとホメ過ぎか?)。お茶の間で聴くべきポップスとしては先鋭的であり、そして、ポップミュージックの構造の中でしかなしえない「いま」の風景があります。渋谷センター街で女子のざわめきをサンプリングして、というようなとってつけた時代感(そういうものも好きですが)とはまったくベクトルが違うところがいいのです。「Seventh Heaven」はエンディングに似合う曲調だったのでくっつけてみました。もちろん、ラリー・レヴァンとグウェン・ガスリーによる至高の名曲「Seventh Heaven」とはなんら関係ありません・・・。