「トム・ダウド/いとしのレイラをミックスした男」を観た。
アトランティック・レーベルのエンジニア、トム・ダウドのドキュメンタリー。映画が始まって早々に、矢継ぎ早にコード進行をミュージシャンに指示するトム・ダウドの姿が映され、卓を黙々といじる人というエンジニアに対する固定観念は破られる。アグレッシブで外向的なニューヨーカー。そんな印象だ。彼はエンジニアであると同時に、ミュージシャンと積極的にコミュニケートするプロデューサーであり、知識豊富な音楽家だった。以下、メモ。
1942年から1946年までは、コロンビア大学で原子爆弾の研究を受注され、携わる。
1947年に原子物理学者になることをあきらめ、音楽業界〜アトランティックに入る。
アーメット・アーティガンと共にアトランティックの屋台骨だったトム・ウェクスラーは元々ビルボード誌のライターで、「人種(レース)・ミュージック」という呼称をR&Bに変えた。
プロデューサーのフィル・ラモーンはトムの先輩であり良きアドバイザーだった。
トムはベースを弾ける音楽家でもあり、それまで録音レベルが小さかったベースを大きくすることに貢献した。
ダイレクト・カット、カッティング・マシンでアセテート盤に直接録音する時代で、トムは「教授」と呼ばれる老技師のアシスタントだった。
「録音とミキシングが同時だった」=編集が不可能だったと、アトランティック元社長アーメット・アーティガン。
1948〜49年にスタジオに磁気テープ(オープンリール)が導入される。
当時のレコーディング用の卓はラジオからの払い下げが多く、それらをトムが改良したカスタムだった。
トムはそれまでの扱いにくいノブ(ダイヤル式)をスライド式に変えた。ということはフェーダーを発明したのもトム!?
1950年代、誰よりも早く自宅で8トラックによる多重録音を行っていたレス・ポールという先駆者がいて、トムはスタジオで初めてアンペックスの8トラックを導入。いわゆるダビングが本格的に可能になる。(レス・ポール - Wikipediaによると、アンペックスの8トラックはレス・ポールの全面的協力で1952年に発売された)
8トラックの導入で、すぐにその場で判断する必要がなくなり、「選択」という行為が可能になった。
1967年、イギリスのジョージ・マーティンのスタジオを訪ねるが、彼らはまだ4トラックだったそう。
個人的にはマルチトラック・レコーディングの歴史をなぞるような前半が面白く、サザン・ロック、ブルース・ロックの影の立役者としてのトムを映す後半は少し退屈だった(ハイライトは「いとしのレイラ」の制作エピソードなのだろう)。原爆=マンハッタン計画との関わりは思ったよりアッサリと描かれていて残念。シンセサイザーは元より、テクノロジーをひも解いていくと軍事技術に突き当たる。トムがひとりの人間として音楽と戦争テクノロジーの両方に深く関わっていたというのは、やはり凄いことなのだ。
アトランティックの音を体現したもうひとりの男、アリフ・マーディンの姿が見れたのもうれしい(登場シーンはちょっとだが)。調べたら、2006年に亡くなっていた。憧れの人だった。ブッカー・T&MG'sの演奏、素のアレサ・フランクリンが見れる録音風景も印象に残る。映画のラストで、トムがアーヴィング・バーリンの曲をピアノで弾くのだけれど、なんと良い曲なのだろう。ラグタイムとジャズがシンプルに料理されていて洒脱。黒人音楽を大衆音楽に橋渡し=翻訳したのはモータウンとアトランティック。後者の秘密の一部を確認できた。
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