2008/08/02

Becoming a Cliché


Becoming a Cliché: Adrian Sherwood

エイドリアン・シャーウッドのアルバム「Becoming a Cliché」のライナーノート原稿をアップします。前作「Never Trust A Hippy」日本盤と本作を合わせて執筆しました。どこかでアルバムを手に取ることがあれば、ご高覧いただければ幸いです。


『Becoming A Cliche』の背景

ここ数年のポスト・パンク/ニューウェイヴ再評価や、ニュー・ルーツやテクノ/エレクトロニカを含むダンス・カルチャーのレゲエ/ダブの浸透も含め、ありとあらゆる音源がアーカイヴとしてショーケースに並び、新しい音と古い音が渾然一体となった結果、直線的な未来への道筋が断たれ、その代わりに出現したパラレル・ワールド(もしくはタコツボ的な多元世界)が一種の停滞を感じさせなくはない現在、おそらく、エイドリアン・シャーウッドにとっては、生涯何度目かの充実した安定期にあるのではないだろうか。彼は過去形のリヴィング・レジェンドではなく、そうした古き良きアーカイヴと今の時代の気運や気分を結びつけ、今もなお、不断に前進を続けている。

エイドリアンは13、14歳位からレコード・ショップで働き始め、17歳でロンドン郊外に小さなレゲエ・ディストリビューターを仲間と興す。「最初がクリエイション・レベル、2番目がカリブ・ジェムズというレーベルで、両方とも1975年だ。他にはヒットランというレーベルもやった。4Dリズムからは(エイドリアンの評価を高めた)クリエイション・レベルの『Starship Africa』をリリースした」。1979年にはスリッツと出会いツアーを敢行し、1980年にON-Uをスタートさせる。レゲエ研究家、スティーヴ・バロウの言葉を借りれば、エイドリアンは「レゲエとポスト・パンクとブルースとインディー・ロックの垣根を難なく渡り歩く、本物のエクレクティック=折衷主義者」ということになる。

90年代後半以降、海外はドイツのMaster Recordings(オリジナル・ジャケットに「M」のロゴを重ねたON-Uファンにはおなじみのデザイン)から、日本はBeat Becordsから、国内外で継続的にON-Uの音源がリイシューされ、同時期、ON-Uレーベルのクローズという不運に見舞われながらも、多数のアーティストのプロデュースで危機を乗り越えたエイドリアンが、自身のソロ・アルバム『Never Trust A Hippy』をワールド・ミュージックの総本山であるリアル・ワールドからリリースしたのは2003年のこと。現在は精力的にいくつかのプロジェクトを手がけつつ、一方で、ON-U/タックヘッド/オーディオ・アクティヴの音源をミックスした『On-U Sound Crush』シリーズで、BPMとキックにすべてを委ねる現在主流のDJミックスとは異なる、やはりレゲエに由来するアクロバティックでいながらタイト&ルースで緩急自在なDJプレイを確認することが出来る。今でも、彼がDJする時は、カセットテープとDAT主体でそれにCD-Rが加わるのだ。また、映画『Johnny Was』(2005年)のサウンドトラックの選曲を任され、自身のソロやダブ・シンジケートを始めとするON-Uのカタログからの楽曲とアビシニアンズやイエローマンの名曲がそこでは肩を並べている。

本作『Becoming A Cliche』は、『Never Trust A Hippy』に続くエイドリアンのセカンド・ソロ・アルバムに位置づけられる。「クリシェ=お決まりのやり方で」というタイトルはいかにもエイドリアンらしい。「これは、マーク・スチュアートとの会話の中から出てきたフレーズなんだ。ギャグっぽくて面白かったんでタイトルに持ってきた。30年間のキャリアの中で同じような音を同じ人達と作ってきたから、ありきたりで陳腐になっているんじゃないかという意味でもあるけど、自分では熟したワインのようになってると思ってるよ」。

インスト主体だった『Never Trust A Hippy』に対し、『Becoming A Cliche』はヴォーカル・チューンが格段に増え、ヒネリは効いているものの、ダンスの躍動、生演奏の歯切れの良さ、円熟したまろやかな軽みが際立つ。少なくとも、1958年生まれの人間が作る枯れた音ではない。「今までの自分の歴史を振り返ると、ほとんどインストかサンプリング・ベースの音ばかりで、ヴォーカルを主体にしたアルバムを作って来なかったというのがある。3パートのホーンを入れるのもトラディショナルなレゲエへのリスペクトの表明なんだ。過去のキャリア、現在の自分のスタンス、未来の展望、それらをつなぐコンテンポラリーなアルバムになっていると思う」。


ダブというマジック

全曲のドラム・プログラミングを手がけるジャズワッド(エイドリアンとは15歳の頃からの旧知の間柄)、プロ・トゥールズ(=編集録音ソフト)のオペレーションを含むエンジニアリング担当のニック・コップロウ(元ON-Uのメンバーで、現在は音楽業界を引退しパイロットの学校に行っているとのこと)。基本はこの2人とエイドリアンの共同作業で制作された。まず、エイドリアンがサンプリングやベース・ラインといった基本のアイディアを練り、それを元にMPC3000で実際に打ち込んだデモを作り、次にミュージシャンを呼んで数曲をまとめてレコーディング、その後、トライデント75(=コンソール・デスク)やスプリング・リヴァーブなどのエフェクター、すべてアナログの古い機材を使ってオーヴァーダブ/ヴォイシングの微調整/ミックスダウンを行う。プラグインのデジタル・エフェクトは一切使わない。「ディレイやリヴァーブにプライドがある」と彼は言う。トータルで平均2、3日で1曲が仕上がる。製作期間は約2年。『Becoming A Cliche』のダブ・アルバム『Dub Cliche』は一週間で完成させたという。

かつて、ダブは日夜スタジオで繰り返されるレコーディングの副産物として生まれた。エイドリアンがスタジオでどのように作業を進めていくのかはブラックボックス=彼以外には解き明かされないナゾであり、我々リスナーは、その最終工程を音盤やライヴで確認することは出来ても、その成り立ちや制作のプロセスには踏み込めない。

リアル・ワールドのサイトには、前作収録の「Boogaloo」をライヴ・ミックスする彼の姿を収めたヴィデオがアップされている(http://www.realworldrecords.com/ntah/)。ダブと言うと、無骨で粗野な(それがラフやタフと同義であることは言うまでもなく)ノリ重視の一発芸と思い浮かべがちだが、この映像を見ればそれが間違いではないにせよ、それだけではないことは直ちに了解できるだろう。音の形を整え、時には崩し、そこに強弱や表情を付け加えていく大胆かつ繊細なアーティキュレーションと指さばき。ミキシング・コンソールは楽器そのものとなり、エンジニアはコントロール・フリークとなり、音に真正面から向き合い格闘する。そのプリミティヴな有り様は、しかし、20世紀以降のテクノロジーと70年代以降のダブの誕生なしにはありえなかった光景なのだ。

『Roots Rock Reggae』で、ブラック・アーク・スタジオ内で背筋を伸ばしたタンクトップ姿で卓をさばいていくリー・ペリーとアップセッターズの一種異様なテンションに包まれた録音風景。『The Harder They Come』でジミー・クリフやメイタルズがスタジオであたかもそこが自分の揺るぎない存在を確認するための唯一の空間であるかのように歌い出す場面。あるいは、レゲエの従兄弟でもあるヒップホップに視点を移してみても、『Wild Style』でグランドマスター・フラッシュがターンテーブル上のレコードをおもむろにコスる瞬間、『Scratch』で地下倉庫に積まれたおびただしい量のレコードの山を前にDJシャドウが無言で佇む姿。これらの映画から垣間見えるのは、アンタッチャブルな聖域(手垢にまみれた言葉だが)と呼んでしまいたくなるような、音という目に見えない何かが個人や社会のフレームを飛び越えて生まれ出る場に特有のマジックだ。そして、エイドリアンもそのマジックに取り憑かれたひとりである。


『Becoming A Cliche』の楽曲紹介

「Animal Magic」はリー・ペリーとの共作。タイトルは、60〜80年代にBBCで放送された子供向けのTV番組「Animal Magic」から。動物の鳴き声の物真似で有名になった司会者のジョニー・モリスを、リー・ペリーとエイドリアンの10歳の娘エミリーが真似てふざけたスポークン・セッションを元にしている。「昔なつかしいものと現在の自分の人生や社会にあるものがフィットした時、リメイクしたいという衝動にかられる」というエイドリアンの想いを形にした曲。シタールの艶かしいフレーズは、ダブ・シンジケートの「Ravi Shankar」(アルバム『Tunes From The Missing Channel』収録、1985年)をリサイクルしたものだ。

「リー・ペリーとは、過去、『Time Boom X de Devil Dead』、『From the Secret Laboratory』という2枚のアルバムと、(リイシュー専門のON-Uの姉妹レーベルである)プレッシャー・サウンズで『Voodooism』というコンピレーションを一緒に手がけてきたから、リーとリーの奥さんには信用されている。以前録音をした曲をリーに聞かせてこれを使いたいと言ったら、リーが笑いながらOKしてくれたんでアルバムに入れることにしたよ」。なお、リー・ペリー&ダブ・シンジケートの『Time Boom X de Devil Dead』はON-U諸作の中でもレゲエ・ファンに知られる一枚で、リーのトボけたヴォーカルとトラックの多幸感がミドルテンポで交錯する「Jungle」は「Animal Magic」にも一脈通じる。

「2 Versions Of The Future」は、途中でクラヴィネットとオルガンによるファンキーでソウルフルな演奏がインサートされる。これは70年代にルーガレーターというバンドのメンバーでやはり初期ON-Uを支えたニューウェイヴ系キーボーディスト、ニック・プリタスによるもの。

「A Piece Of The Earth」は、ジャマイカ人シンガー、リトル・ロイのオリジナルのリメイクで、ドラムンベース黎明期のラガ・ジャングルを彷彿とさせるサウンド。前述した『Johnny Was』のサントラにもコンゴ・ナッティやガンジャ・クルーの曲が収録されていたが、「ほとんどのジャングルはレゲエをダブル・スピードにしたようにしか聞こえないが、レゲエのサンプルやベースラインを使った曲はリスペクトしている」とエイドリアンは話す。この曲は、最初にレゲエ・ヴァージョンを作り、それをラガ・ジャングルの先駆けのひとりであったレベルMCが主宰するコンゴ・ナッティに渡してジャングル・ヴァージョンに、最終的にその2つの素材をプロ・トゥールズ上で交互にドロップさせたトラックに、地球上の土地や石油の奪い合いをテーマにしたリトル・ロイによるポリティカルなリリックが乗る。

「Dennis Bovine Pt.1」はエキセントリックなDJ/エンジニア志向のエイドリアンに対し、よりオーセンティックなミュージシャン/プレイヤー志向のデニス・ボーヴェル、UKダブを支えてきた2人による初の共作。「19歳で初めてのレコーディングを行った時のエンジニアがデニスだったんだ」というエイドリアン。デニスは本作のホーンのアレンジを手伝ったり、ダブ・アルバム『Dub Cliche』にも2曲で参加と、影ながら貢献している。

「J'ai Changé」と「You Wander Why」はラヴ・グローサーによるホーンを従えた同トラック上で、チュニジアとフランスの血を引くON-Uの若手シンガーであるサミア・ファラ(彼女は本作のアートワークも手がける)、リー "L.S.K"ケニーがそれぞれマイクを握る、ワン・ウェイ・リディムの曲。同じくラヴ・グローサーによるインスト「The House Of Games」はアメリカのブルースやジャズの翻訳から始まったスカが時空を飛び越えてコンピュータライズドされたダンスホールに出会ったような、ストイックで屹立した音に身震いする。

「Nu Rizla」はグリーン・ティーからリリースされたエイドリアン・シャーウッド名義の10インチ・シングル「Pass The Rizzla」のリメイク。これはもともとオーディオ・アクティヴのファースト・アルバム『We Are Audio Active (Tokyo Space Cowboys)』に収録された「Free The Marihana」のリメイクだから、3度目のリメイクとなる。おそらく、故プリンス・ファーライとはまた違ったヴェクトルで、エイドリアンが最も信望を寄せる「声」だったであろう故ビム・シャーマン。ビムの胸を締めつけられるようなソルティーな声が、「ハッパ吸ってキマろうぜ」という楽観的なマリファナ讃歌であるエイドリアン本人のリリックと感応し合う。「St Peter's Gate」ではリー "L.S.K"ケニーが再びフィーチャーされ、シングジェイ・スタイルで「あるお金持ちの女性が世の中の悲しいことを無視して楽しく生き、死んで天国の門をくぐると、神様に天国の貧民地区に行くように言われた。生きている間は自分のことだけを考えて生きててはダメだ、さもなければ、カルマとして罰が当たってしまう」と歌う。

「J'ai Changé」から「St Peter's Gate」に至る中盤のルーツ・レゲエ寄りの展開に対して、「Home Sweet Home」「Forgive Yourself」「All Hands On Desk」と続く後半3曲の流れは、エイドリアンのアグレッシヴな側面をアピールする。「Home Sweet Home」は、エイドリアンの長年の友人マーク・スチュアートによる「家庭内暴力や幼児虐待に巻き込まれても、黙っていちゃいけない」といういまだ衰えを知らないアジテートとグレゴリアン聖歌のサンプルが静と動で配置される。なお、「Monastery Of Sound」は「Home Sweet Home」のインスト・ダブ・ヴァージョン。アルバム中、最も過激にディストーションがかかったディレイが炸裂する「Forgive Yourself」は、前作でもリズム・プログラミングを担当したレンキーによるトラック。レンキーは2002年にトライバルなハンドクラップの連打でダンスホール界を席巻したDiwaliリディムの創始者。「Stop The Bloodshed」は、イタリア在住のライ・ミュージシャン、Raizのメリスマの効いた歌声がラストを飾る。


『Dub Cliche』

エイドリアンによれば、当初は『Becoming Cliche』を丸ごとダブ・アルバムに仕立てようとしたが、「Two Versions Of The Future」などはいいヴァージョンが出来なかったため、他のプロジェクトで使った曲を組み込むことにしたという。厳密なプランに基づかない、行き当たりバッタリの無計画性や無方向性、イイカゲンさと稚気にあふれるスタジオの現場主義がなんともレゲエ/ダブらしい。

「『Black Board Jungle Dub』のような70年代のクラシックなダブのスタイルを再現したかった」とエイドリアンは話す。強いて言えば、それが「オリジナルもクリシェだから、ダブもクリシェっぽくやってみたかったんだ」という彼の一言に集約される、このアルバムのコンセプトなのだろう。具体的には、元のトラックにエフェクトをその倍のヴォリュームで入れたり、レコードを自分の指で押さえて独特なワウワウ感を出すといったテクニックを使っている。

「Monkey See, Monkey Dub」は「Monastery Of Sound」/「Home Sweet Home」の、「Zoo Time」は「Animal Logic」の、「Moving House」は「House Of Games」の、「J’ai Dubée」は「J’ai Change」の、「Denis Bovine Pt 2」は「Denis Bovine Pt 1」の、「Dubshed」は「Stop The Bloodshed」の、それぞれダブとなっている。この6曲以外、アルバム半数の楽曲は、いづれも『Becoming Cliche』以外の複数の音源を使用している。

「Zoo Time」には、オリジナルの「Animal Logic」にはクレジットされていなかった、エイドリアンの前妻であり、初期ON-Uの重要なコラボレーターだったキーボーディストのキシ・ヤマモトの名前がクレジットされている。彼女がフレーズを弾いたダブ・シンジケートの「Ravi Shankar」もここではよりはっきりと聞こえる。初期ON-Uのフォト・コラージュによるスリーヴ・デザインも彼女の作品によるもの。

「Clichéd Dub Slave」はデニス・ボーヴェルとの共作で、「Denis Bovine」とはまた違ったストレンジでビザールなダブに仕上がっている。「Stepping Crowd」と「Sans Toupée」は、ダンス・フロアの狂騒になだれ込むようなミリタント・ビート/ハード・ステッパーで、ルードボーイやレイヴァーならずとも踊り出さずにはいられないだろう。かといって、冷たく単調な型通りのニュー・ルーツ風にならないところは、エイドリアンの真骨頂というところか。

「Silly Old Dub」は、エイドリアンとカールトン ”バブラーズ” オギルヴィの双頭ユニット、2バッドカードのお蔵入りになった楽曲「Silly Billy」のダブ。さらに、それをポーランドのダブ・アクト、 Activatorがリミックスしたのが「Silly Billy Remix by Activator (Joint Venture Sound System)」。この2曲はオーソドックスでストレートな風合いを持ったダブで一服の清涼剤のように響く。

約10年前、エイドリアンは、プライマル・スクリームのダブ・アルバム『Echo Dek』で、ON-Uを知らないロックの聴衆にその存在を知らしめた。それはどちらかと言えばレイドバックした内容だったが、今回のセルフ・リメイクとなる『Dub Cliche』は、あらゆる音と接続し自分の器の中に取り込んでしまう折衷主義者のエイドリアンらしさが縦横無尽に発揮されている。


「We Are All Post Exotics」

本作は、あからさまなワールド・ミュージック的なサンプリングはやや控え目に(前作では、宗教上の理由により、エイドリアンがリクエストしたリアル・ワールドのサンプルが全部使えないという事情もあったようだ)、全体にまぶされた中近東やインドの香りも結局はどこにも帰属しないルーツを拒絶した架空のジャングル・サウンドとして鳴っていて、エイドリアンの素や核の部分、つまりはどこを切ってもジャマイカの音楽を聞いて育ったイギリス人の矜持(きょうじ)を強く感じさせる内容となっている。

自分の過去を現在と結びつけ、リメイクとリサイクルとリサンプリングを繰り返し、かつて憧れたり共闘したアーティストの音を今のダンスホールのリディムと共にそこに放り込む。それらは、どこまでもヴァージョンでありダブであり、決して完成することはないスパイラル構造となって、パーソナルというにはあまりに果てしない終わりなき旅だ。

僕個人は、ON-Uやエイドリアン・シャーウッドの仕事をことさら神格化するのには抵抗がある。ただ、彼が産み落とした音の今もってまったく色褪せないエネルギー、偶然を必然に変えていく意志の強さには舌を巻くしかない。あるいは、エイドリアンの言うように彼の音は「クリシェ」かもしれない。そして、「新しい」という言葉もそろそろ書き換えの時期に来ている。フェルナンド・アルヴィンというアフリカの現代作家のキャンバスには「We Are All Post Exotics(僕らはみんな異国情緒時代の後に生きている)」と描かれている。

まだ聞いたことがないようなエキゾティックで新しい音は、もはやこの地上のどこにも存在しない。雑誌に載ったブライアン・イーノのインタビューを読んだだけでエイドリアンがアフリカン・ヘッドチャージのインスピレーションを得たのは30年も昔の話だ。2005年に届いたアフリカン・ヘッドチャージの『Vision Of A Psychedelic Africa』はまさにタイトル通り、その出発地点に立ち返ったような初々しく瑞々しい衒いのない作品だった。

「最近のヒップホップにしろ、レゲエにしろ、世界中がチェックしている。テンポが下がればそういう曲ばかりを作る。昔のレゲエに比べるとどれも同じような感じがしてしまうと、前作に参加したスライ・ダンバーと話したよ。でも、今の音は活き活きはしているんだよね」。世の中には退屈なクリシェがあふれている。さまざまなクリシェや慣習や規範の中でがんじがらめに生きていても、細胞は生まれ変わり一秒たりとも同じ瞬間は訪れない。そこに気づいた時、クリシェは消え失せ、エイドリアンの"オーラル・エクスペリメント"は何度でも再生されるだろう。

富樫信也

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