2008/07/25

Jackson Conti


Sujinho: Jackson Conti

前作「Yesterdays Universe」で感じた手応えは間違いではなかった。そのアルバムに収録された2曲を含むマッドリブとアジムスのドラマー、イヴァン・コンティによるJackson Conti名義によるブラジル音楽カバー集は、低刺激で、聞き手を脅かすことのない、芳醇な音楽がただただ当たり前のように鳴っている。よく聴けば、相当にネジれてもいるのだが、それを下品にあからさまにはしない。ヒップホップが大人の音楽に脱皮する可能性はこういうところにあるのだろう。もはや革新的な目を剥くような要素はないが、だからこそ、世界的なデフレ、低成長時代であるゼロ年代にジャストフィットしていると言いたくなる同時代性がある。誤解を恐れずに言えば、本作は極上のリラクゼーションを約束するイージーリスニング・アルバムであり、70年代のA&MやCTIレコーズの密室的で控えめなスタジオ録音がストリートワイズに還元されたかのような風合いを持っている。ドラムやパーカッションが常に前景でドタバタと鳴っていて、そこにはまぎれもなくヒップホップの刻印が認められるのだ。

長尺の曲である「Papaia」(まるでプログレかトータスの曲のように聴こえる)や「Segura esta Onda」をはじめ、ジョージ・デューク(本作でもカバーされている)のエントリーで書いたヨコ軸の運動性がどの曲でも遺憾なく発揮されている(だから、僕は先の苦言を喜んで撤回しよう)。例えば、ボサノヴァの定型(リムショットがクラーベのリズムを刻む有名なアレ)を崩したリズムに聴こえる「Waiting On The Cordner」も延々と同じビートが刻まれることはない。オーバーダビングされたウワモノのキーボードと互いに干渉し合いシナジーを起こしながら、刻々とパターンを変えていく。この曲だけではなく、一筋縄ではいかないリズムのコンビネーションがそこかしこに見られる。「ユルいのにドープ」というマッドリブのいつもの流儀で、見事に全体と細部が揺らいでいるのだ。生のミュージシャンとの共同作業だから当たり前じゃないかと思われるかもしれないが、ベストのテイクを1、2小節単位のブレイクビーツとしてループしていくだけのヒップホップをはじめとするプログラミング・ダンス・ミュージックのルーティンからすると、かなりとんでもないことをやっている。そして、実はそれらは綿密に設計されたものというよりは、いい意味で適当にその場のノリでツギハギされている、という気もしてくる。

前にも書いたけれど、ミュージシャンをフィーチャーしたほとんどのクラブ・ミュージックは、生演奏とプログラミングのどちらかに傾き、完全にがっぷり四つを組んだガチンコ勝負というのは、なかなか成立しづらいように思う。これはちょっと考えてみればわかることだ。ミュージシャンにはミュージシャンのプライドがあり、トラックメイカーにはトラックメイカーのプライドがある(そして、いつでも恵まれた十全な制作環境が用意されているわけではない)。どちらも近くて遠い関係なだけに齟齬を生みやすく、また、その齟齬による整理されていない面白さは最終工程のミックスダウンではキレイにのぞかれていることも多い。結局、レコードにしろ、スタジオで録られたものにしろ、生演奏をあくまで素材としてサンプリングして組み立てた曲の方が楽曲的にも音響的にもグルーヴ的にも何倍も面白かったりする。

このように、水と油のような生演奏とプログラミングの関係が、マッドリブの多重人格ソロユニットであるイエスタデイズ・ニュー・クインテットにおいては有機的に絡み合い、なおかつ、出来上がった音は生演奏だけでもプログラミングだけでも得られない質感になっている。これは、やはり(何度でも強調したいが)希有なことだと思う。「Sunset at Sujinho」のアウトロでは、それまでずっと後ろで鳴っていたパンデイロが他の打楽器が退くことにより(もしくはミュートされて)、ソロのように前面に出てフェイドアウトする。ただそれだけのさりげなさだが、ブレイクビーツという概念をミックスで再現してるかのようで、ちょっと感動してしまった(こんなところで感動する自分がおかしいのか?)。

よく、ナントカ音楽とナントカ音楽の融合というキャッチフレーズが使われるけれど、これはもう融解というか、お互いが解け合って何か別のものにトランスフォームしちゃっている。結果として、ヒップホップでもブラジル音楽でもない、パン・アメリカン、汎カリブな謎の仮想音楽のようにも聴こえるし、ヒップホップが時間を巻き戻して(遡行して)民族音楽になってしまったようにも聴こえるところがユニークだ。ハードディスク・レコーディング以降のエディットの魔術であり、マッドリブとはポスト・ヒップホップ時代のテオ・マセロか?(笑)と思わず愚にもつかないことを言いたくなってしまう。スティーヴィー・ワンダー、ウェルドン・アーヴィン、ブルーノート、「Yesterdays Universe」と、過去の音楽(家)を手中に収めてきたマッドリブのひとつの到達点ではないかと思う。機会があれば、イヴァン・コンティの歌も聴こえる「Segura esta Onda」にあふれる至福のムードに一度は浸ってみることをお勧めします。

0 件のコメント: