2008/07/25
Brazilian Love Affair
A Brazilian Love Affair: George Duke
なにをいまさら、な一枚。ジョージ・デュークという人は、時にダサさギリギリのB級ファンク/ディスコを量産していて、その辺もニクめない。「Brazilian Love Affair」は3分ちょっとと5分ちょっとから聴こえるブレイクにカラフルな音色のオカズや鳴りものや楽器のソロが畳み掛けるように入っていて楽しめる。YMOのファーストにも接続される、79年当時のお気楽なフュージョン・ディスコらしい喧噪を伝えている。最近のYMO/HASYMOには、こういうブレイクの愉しみ、それまで流れていた音が突然切断されて、次にどういう音が来るのか予測できないといったダブと言ってもいいブレイクのスリルが失われてしまい(空間ではなく時間、タテ軸ではなくヨコ軸の運動性というか)、高品質だけど退屈なBGMを再生産している節がある。ジョージ・デュークの場合、この曲を作るためにアメリカからブラジルに現実に移動しているわけで、その物理的で肉体的で心理的でもあるトランジションが曲の運動性にまんま息づいていることは想像に難くない。
YMOのような大御所に限らず、ラップトップ上であらゆるコンポジションとシミュレーションが可能な現在ではあるのに、ヨコ軸の運動性が意外に重要視されてない気がするのは気のせいだろうか。コンピュータによる編集がない時代に作られた退屈なフュージョンに見られがちな「Brazilian Love Affair」の方がヨコ軸の展開が豊かに聴こえるという皮肉。もしかしたら、この豊かさや饒舌さは80年代特有のものなのかもしれず。見知らぬ路地を歩くことが脳をリフレッシュさせるように、景色が次々に変わっていく喜びを音楽で知った僕にとっては、ちょっと由々しき問題。それは20世紀的な未来像が次第にぼやけていき、リニアな時間軸が消えていき、タコツボ化というパラレル・ワールドが現前した現在ならではのトピックなのかもしれないのだが、特に検証したわけでもないので、この手のヨタ話はこのへんで。
ところで、リンドストロームが自身のミックスCD「LateNightTales: Lindstrøm」で、トッド・ラングレンのボイスとジョージ・デュークのキーボード、双方の彼岸の彼方へ連れ去るフリーキーなインプロをミックスしていたのには驚いた。まったく異なる文脈で聴かれている本来出会うハズのない音同士を結びつけたこのアイディアは、音による批評としても秀逸だと思う。関係ないけど、このCDの一曲目、Alf Emil Eikの「To You」はオープニングにふさわしい夜明けを感じさせる美しい楽曲でラジオでも使わせてもらった。
YouTube - Brazilian Love Affair - George Duke (Vinyl 12") 1980
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