舞踏家、振付師、女優として幅広く活動されている俵野枝さんが、先日「progresso 9#」@FIAT SPACEで発表した新作のダンス「Burning Inside 2010 - Short Version - 」のサウンド編集と一部の選曲を担当させていただきました。
野枝さんとのお仕事は、これで3度目になります。前回の覚え書きはコチラ。今回は、季節が近づいては過ぎ去っていくイメージを5分間のイントロで表現したいということで、春(川のせせらぎ、鳥)、夏(蝉、祭り囃子、花火、雷雨)、秋(カラス、稲穂の揺れる田園)、冬(除夜の鐘、木枯らし)をそれぞれの季節を表す楽曲とサウンド・エフェクトで構成しました。
前半のパートでは主人公の女性を「黒髪」という地唄舞の曲で具象的に描写し、後半のパートではその内面を野枝さんからのリクエストで坂本龍一の曲をミックスして抽象的に描写するという形になりました。1年くらい前に、坂本龍一の曲をいくつか焼いて渡していたのですが、まさか本当に使うことになるとは思わなかったです。
野枝さんには坂本も含むわりとリリカルなピアノの曲も聴いてもらったのですが、彼女のダンスそのものがウェットな要素が強いので、センチメンタルな音だとトゥーマッチになる、感情を抑えたフラットな音の方が強弱がついていいと言われ、なるほどと思いました。
ココからちょっと脱線します(↓)。
坂本の曲というのは、彼の理論武装や高度な作曲術うんぬんといった批評家が好みそうなレイヤーではなく、もっと素朴でベタな次元で現代人が抱える虚無=エンプティネスをすくい上げるところがあって(「戦メリ」とか「エナジー・フロウ」とかまさにそうですよね)、アンビエントの自浄作用とかいうとカッコイイけど、、坂本をここまでポピュラーにした良くも悪くも「癒し」という言葉にも通じる回路って改めて強いなと思うわけです。
これはシニカルに言ってるのではなく、癒しやセンチメントって野暮にも下品にもなりやすいし、私小説やケータイ小説などワタクシゴトの領域に向かいがちなのですが、坂本の曲はそういうベタついた感情を排除というか濾過していて、都会人を気取る(?)僕やあなたが心地よく浸れるだけの上質な天然素材やミネラルウォーターのような安全地帯を担保できるのです。
なんだか書いてるうちにイヤミな文章になってますが(汗)、ナンダカンダと20年くらい坂本さんの曲を愛憎込みで聴き続けていて、様子を見てはこっそりカフェでかけたりしますし、下世話に言えば、主張が控えめで使いやすくシーンを問わない彼の曲はツールとしても優れていると思います(あくまでDJ的な視点です。ファンから怒られそう)。
脱線終わり(↑)。
当日の公演は行けなかったのですが、かなりリアクションがあったそうで一安心しました。ラストに沢井忠夫という箏(琴)奏者の「鳥のように」という曲(野枝さんの選曲)が使われてるんですが、その沢井さんの息子さんに指導を受けている奏者の方が偶然お客さんで来ていたというサプライズもあったようです。「鳥のように」を編集中に何度も聴きましたが、日本の伝統音楽に明るくない僕でも素直にカッコイイ!と思える、モダンでエモでちょっとプログレやサイケの匂いも感じなくはない楽曲です。さらに、沢井忠夫がジャズやクラシックにも越境していた音楽家だと知り、そのまったく古びない自由な音楽をちゃんと聴いてみたいと思いました。
Playlist
Intro
River Walk (天気雨) - Hajime Yoshizawa, GoRo
ぼくのかけら (with ダンスリー) - 坂本龍一
Amb - Rafael Toral
Mix
glacier- 坂本龍一
tama- 坂本龍一
国防総省 - 坂本龍一
2010/10/04
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