昨年末、シスコが実店舗を閉鎖して通販オンリーになり、イエローが今年前半に閉店する。東京のレコード屋とクラブを代表する2つが消えてしまうわけで、クラブ・ミュージックやダンス・ミュージックを享受してきた誰もがある種の感慨にとらわれるように、僕も「90年代は終わったのだ」とゼロ年代末にようやくハッキリと認識させられたのだった。もちろん、ゼロ年代に入ってから、その兆候はあった。10年単位で時代を括ることはもともとナンセンスな識別法だし、少しづつ変化していたことに、ある日突然「そうだったのだ」と気づかされるということなのだろう。
渋谷では、自分が知る限りでも、ここ数年で、「バナナ・レコーズ」(公園通り沿い、今のGAPの向かい側)、「スタイラス(STYRUS)」(東急本店と井の頭通りを結ぶ通り、プロダクト・デザイナーの吉岡徳仁が内装を手がけた、ガラス張りの小ギレイな店)、「マンハッタン・レコーズ・ハウス」(同ヒップホップ店の隣、自分は足を踏み入れたことがない)、「スパイス・レコーズ」(クアトロの何軒か先)、映画音楽専門店の「すみや」(青山通りと六本木通りが交差するところ)が閉店している。豊富な中古を中心に扱う「ディスク・ユニオン」が、結果的に新譜中心の輸入レコード屋に比べて安泰で息が長いという印象もある。
僕にとって、デトロイト・ハウスをいち早く紹介した「バロン・レコーズ」(タワーの近く、昔ビームスが入っていたビルのそば)、エレクトロニカ中心に、ハウス、ブレイクビーツ、アブストラクトとオールラウンドに渋く揃えていた「デモデ・レコーズ(Demode Records)」(センター街の端、同ビルにMUROの「SAVAGE」がある)、マンハッタン系列の「HOT WAX」(「シスコ・テクノ」の上、隣の「マンハッタン3」も同時期に閉店)がなくなったあたりで、渋谷宇田川町レコ村から少しづつ足が遠のいていった。この3店は個人的にも思い出が深い。レコ屋の店員さんと仲良くなって会話を楽しみながら情報交換する、ということが生活の中心だったのもこのあたりまでだった。すでにそこから10年近く経つのだと思うと時の流れは恐ろしい。そういえば、「ラフ・トレード(Rough Trade)」(西新宿の店を畳んで、レコ屋村から離れたキャット・ストリート沿いに店を構えた、いつ行っても閑散としていた)もあった。
さかのぼると、「タワー・レコーズ(Tower Records)」(最初は宇田川町の一番ひっこんだところ、現サイゼリアがある場所にあった)、「WAVE」(クアトロがビル丸ごとWAVEで、さらに公園通りに面した「WAVE渋谷ロフト館」もあった)、「HMV」(現在のセンター街入り口に移転する前は、同じ通りの奥、旧ブック・ファーストの隣のパチンコ屋の場所にあった)、ハウスとヒップホップとテクノに分裂する前の「シスコ(CISCO)」(ヒップホップ店があった場所、クボタタケシがバイヤーをやっていた)、「シスコ・ロック・オルタナティブ店」(センター街のABCマートの斜向かい、正式な名称は忘れた、「ONSA」の庄内さんがバイヤーをやっていた)、「DMR」(現在地の近く、今は漫画喫茶が入っている角のビルの地下にハウス、ヒップホップ、ジャズの3店舗)、「HOT WAX」(センター街の突き当たり、古くからある喫茶店が一階にあるビルの地下)、それら大手の輸入レコード屋とは別に、イギリス人のジェームズ・P・ヴァイナーが作ったセレクト・ショップ系レコード屋の走りだった「Mr.BONGO」(井の頭通り、派出所の近く)。「渋谷系」と一括りにされてしまいそうな、90年代中期の渋谷レコ村の地勢図は、大まかに言うとこんな感じだった。
僕がテクノ専門誌「エレキング」で渋谷特集のライターをやらせてもらったのもこの頃で、DMR社長の岡本さん、まだ代官山にスタジオがあった渋谷FMの能登さん、Mr.BONGOの栗原大さんらに取材した。DMRがインテンショナリーズの内装デザインでお洒落にリニューアルし、「エサ箱」(と呼ばれるレコードが詰まった箱)がなくなって面出しオンリーになった頃、「ボンジュール・レコーズ」や「スパイラル・レコーズ」といったセレクト・ショップが頭角を現した頃から、何かが変質していったのだと思う。渋谷の風景はあの頃から大きく変わったかというと一見そうでもない。でも、平板な商業主義が跋扈(ばっこ)するストリートを抜け、ケモノ道のように点在するレコ屋を攻めていく、レイヤーとしてのシブヤはもうあまり可視化できない自分がいる。若い音楽ファンにはまた別のレイヤーが見えているのだろう。
今では信じられないかもしれないが、クラブと同様、レコード屋も一種の通過儀礼の場所だった。店員の態度はコワモテで、概ねフレンドリーとは言いがたく、馴染みのDJや客とパンピーの客ではあからさまに対応が違い、自分も随分と痛い目にあったものだった。普通に話せるようになるまでにはそれなりのエネルギーと時間とコストが必要だった。それでも、ネットショップで自分の好みが勝手に推測されて、似たような曲ばかりが無味乾燥に並ぶ便利さよりは、実店舗で買う不自由さの中に発見が潜んでいることの方が豊かだと思う。
ジャンルは違うが、裏原系のストリート・ファッションと独立系レコード屋は時期的にシンクロしている。どちらもアンダーグラウンドでローカルな情報発信基地で、裏原系が今、昔日の繁栄を失って衰退してきているのとレコード屋の撤退は、どこかでシンクロしているハズだ。トンガっていてアングラで独自のリテラシーで読み解いていく90年代的「カッコイイ」が、ゼロ年代は趨勢でなくなったということだと思う。
何はともあれ、数多(あまた)の音楽を教えてくれたこれらのレコード屋には改めて感謝したいと思う。
*DJ Drez X AzzurroのミックスCD「Flying Humanoid」を聴きながらこの文章を書きました。固有名詞などなるべく正確になるよう努めましたが、間違いがあるかもしれません。
リンク:「Oto.Hito.E.Kotoba 39 アフターアワーズ」
リンク:「Oto.Hito.E.Kotoba 06 ロンリーなシブヤ」
1 件のコメント:
新宿liquidroomが閉鎖してからcisco閉店、イエロー閉鎖まで早かったですね。。。
時の流れか。。。
本当に良質と呼べる物が残ってるいるのか?
残念な時代です。
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