2008/09/30
DAGODA DE DADA
このブログではほとんどそういう部分を出してないけど、僕はデザイン・ウォッチャーでありデザオタである。
よくデザインとアートは対置される。パブリックなデザインと、パーソナルなアート。社会のために役立つ真面目なデザインと、社会のために役立たないかもしれない不真面目なアート(ここで言う不真面目さとは、あくまで、一般社会に対するカウンターやオルタナティヴというぐらいの意味で、アーティストの姿勢や態度のことを指してはいない)。普段はパーソナルな表現としての広義のアート(含む音楽)に惹かれることが多いが、その対称物としてのデザインを摂取することでアウフヘーベンしてるというか(笑)。
何より、デザインは未来とつながっている。「未来」を「デザイン」するコトやモノにとても興味がある。ご多分に漏れず、アップルは好きだし、スティーヴ・ジョブズのスタンフォード大学の演説には否応なく感動してしまう。そんな単純な人間である。
前置きが長くなったけれど、以前からずっと愛読しているデザイン系ブログ、ココカラハジマルの藤崎圭一郎さんが学生と一緒に作り上げたフリーペーパー、「DAGODA」の制作プロセスを展示する展覧会に行ってきた。会場風景はコチラ。
雑誌を作るというのは試行錯誤と紆余曲折の連続であり、Aを選ぶ代わりにBを捨てる果てのない作業である。それがそのまま会場に展示されている。「DAGODA」のロゴデザイン案を見る。個人的に現行案より好みなものもあった。第一次世界大戦前後にヨーロッパで花開いたダダのマニフェスト文の日本語版を読む。その難解で晦渋でユーモアのある文章にこもった熱量は今の僕なんかには歯が立たない代物だ。こうしたテキストというか「文物」を今の世の中にそのままの形で流通させることは難しい。だから、咀嚼力が必要だ。
そのダダからネーミングを頂いた「DAGODA」は、当たり前だが自然に今の空気を吸っている。藤崎さんが書かれているように、「いまさら展覧会に便器を置いても何のインパクトもないですから」。ザッと読んだ限り、「DAGODA」は、デザインと工学、デザイン・エンジニアリングの可能性を多面的に探っている。
期待していたtakramのインタビューはもう少し突っ込んで欲しかったけれど、「ボディストーミング」「動くもの」「プロトタイプ」「発明」というキーワードに刺激される。100年前の20世紀の帳(とばり)には、エジソンやニコラ・テスラがいたわけで。彼らが一番作りたいのは「こいでいる人がいて、その姿を含めて美しく見える自転車」だそうだ。是非、プルーヴェの自転車よりカッコイイ未来のヴィークルを作ってほしい。
プロダクションI.Gで「攻殻機動隊 S.A.C.」などを手がける脚本家の櫻井圭記氏。彼の話が面白かった。
「(AIBOやASIMOや「攻殻機動隊 S.A.C.」のタチコマの人気は)ヒト型じゃないという点がかなり大きかった」
AIBOもASIMOも目がないのが意外とポイントじゃないかと思う。ギーガーがデザインしたエイリアンがなんでいまだに恐怖のアイコンとして屹立しているのか考えた時があって、「あ、目がないからだ」と気づいてハッとしたことがある。もしエイリアンに目がついていたら、未知の異星人という得体の知れなさ、空恐ろしさはスポイルされただろう。目は感情を生み出す装置だから、目がないことで感情の読めない冷酷さや残忍さが強調される。ロボットの愛くるしさはそれを反転させたものだ。
「(森首相がIT革命をit(イット)革命と読んで笑われたという話を受けて)だって明らかにITはit(イット)と読まれようとしているじゃないですか。つまり何だか分からないけど、何となく時代の“ソレ”という意味合いでね」
例えば、最近、AR(Argumented Reality、拡張現実)という言葉がにわかに注目されている。僕は最初、早合点して、VR(Virtual Reality、仮想現実)って根強いんだなぁと疑問符だったのだが、似て非なるものらしい。iPhoneの革新的アプリとして期待されているセカイカメラなんかもそうで、電脳世界にジャックイン!みたいな古臭いアプローチではなく、その逆で、現実に情報技術の方をスリ合わせる、アジャストするというアプローチ。
「攻殻機動隊 S.A.C.」のSTAND ALONE COMPLEXという副題について。
「他者とつながっていないSTAND ALONEに対して心理的なコンプレックスを抱いている。つまり情報から離脱していることにどことなく引け目を感じているという意味にもなる。そのダブルミーニングがいいじゃないかなということで、そのタイトルになったんです」
ベタな例だけど、YMOのアルバム「SOLID STATE SURVIVOR」が、SOLID STATE=半導体と、硬い状態のSOLID STATEな生存者のダブルミーミングになってる、みたいな。
ヴィトゲンシュタインを引用して人間とロボットの間に線を引くことへの疑わしさを語る櫻井さんの本、「フィロソフィア・ロボティカ ~人間に近づくロボットに近づく人間~」はちょっと読んでみたい。
櫻井さんの記事の隣に、ロボットやサイボーグをサービスの観点から見つめ直すという記事、その隣に「ドラえもんのおもてなし」という記事が来て、その次に神楽坂にあるアグネスホテルをレポートする「おもてなしの現場で」という記事が来るという構成。
あるいは、2020年の世界がどうなっているかを様々なデータの数字で見せていく特集では、男が目をむき出して驚いた顔の写真が増殖していくヴィジュアルで表現。こういった思い切ったアイデアやページネーションは、現在のデザイン誌やサブカルチャー誌ではナカナカできないと思う。
既存のメディアとはまったく関係のない場所で生まれた「DAGODA」。デザイン・オリエンテッドな商業誌に比べるとアートディレクションの洗練度は少々足りないと思うけれど、ガワだけ洗練されていて中身がスカスカよりは全然いい。物腰柔らかな後ろには、ゴツゴツした気骨を感じる。「何だか分からないけど、何となく時代の“ソレ”」を読み取り、真っ直ぐに未来を見つめ一石を投じようとする志の高さが瑞々しい。
*展覧会は終了しており、フリーペーパーも現在のところ再配布の予定はないようです。
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