「100円ショップが出来てから日本はダメになった」と、先日、知人が漏らしていた。Wikipediaによると、100円ショップの歴史は1991年にダイソーが最初の店舗を開設して始まった。バブルが弾けるのと同じタイミングというのは象徴的かも。100円ショップですぐ連想するのはブックオフの存在。ブックオフの直営1号店は1990年だから、100円ショップと同時期だ。
書店における新刊書のサイクルが速くなって、ちょっと前にリリースされた本を書店で見つけるのが難しくなったと言われる。本の中身にまったく拘らず買い取りを行うブックオフがそうした新刊書を古書として救済し、再び手に入れやすい状況を作っているという皮肉。高級アパレルとユニクロやH&Mといったファストファッションを同じひとりの人間が活用するという光景もいまでは当たり前になったし、むしろ、賢い消費者像として一般に認められてる節もある。ところで、先日のカタカナ外来語の話につながるけれど、なんで「ファーストファッション」じゃなくて「ファストファッション」なんだろう!?
便利だから、というバリュー志向の「ファーストネイション」が街を覆い尽くす。それに対するアンチテーゼやカウンターとしての消費動向がスローフードやスローライフだったりするのだろう。スローライフの主張は正論だけれど、感度が高い消費者を煽るマーケティングに成り下がってるところがいただけない。僕はどちらも諸手を挙げて賛成するという立場ではないので、どっちつかずで中途半端、それぞれをイイとこ取りして、100円ショップもコンビニもファーストフードもブックオフもユニクロも使う、自堕落な一生活者に過ぎない。
そういえば、リチャード・リンクレイターの「ファーストフード・ネイション(Fast Food Nation)」のプロデューサーがマルコム・マクラレンだというのを今頃になって知った。自分は最近流行ってるグローバリズムや新自由主義を斬る!的なこの手の映画にあまり食指が動かないのだけれど、マイケル・ムーアが先鞭をつけたこの流れ、柳の下のドジョウを狙うジャーナリスティックな告発映画が多過ぎて、観る前にお腹いっぱいになっているのかも(「ダーウィンの悪夢」は面白かった)。この2人の組み合わせなら観たいなと思う。
麻生太郎が自民党総裁になった。この人は祖父である吉田茂をリスペクトしてるらしいが、端から見ても人としての器量がまったく違うと思うのだがいかがなものか。吉田茂は癇癪持ちの頑固者であり、また洒脱かつ辛辣なユーモリストだった。「日本としては、なるべく早く主権を回復して、占領軍に引き上げてもらいたい。彼らのことをGHQ (General Head Quarters) というが、実は “Go Home Quickly” の略語だというものもあるくらいだ」と冗談を言った逸話など、昭和の愛すべきカッコイイ頑固親父であり、作家・吉田健一を生んだ人となりをよく伝えている。
翻って、麻生太郎はこういう人物である。
要するにアキバの若者たちが、喝采しているローゼン閣下とは、口のひん曲がった「封建領主」のことなのだ。少なくとも、麻生が言っている「ニートはニートらしく」というメッセージと野中広務を指して「部落出身者を日本の総理にできないわなあ」と貶めた差別発言とは、ポジとネガ、コインの裏表のような関係にあることを知っておく必要があるだろう。そして、「○○らしく生きる」とは、部落に生まれ、「自助努力」こそが、差別を撲滅する唯一の道と信じ、差別に甘んじる同じ部落の人々とも激しく闘ってきた野中広務が最も憎んだ、奴隷の思想に他ならない。(カトラー:katolerのマーケティング言論)
国家の宰相が優れた倫理観とヒューマニズムを持ち人々に尊敬され愛される父のようなヒーローのような存在である必要はまったくないと思う。いや、むしろ、危険ですらある。「ザ・ワールド・イズ・マイン」で清濁合わせ飲む大器として描かれる由利首相はマンガだからありえる存在であって、現実だったら各所から非難ゴウゴウ、日本がいま以上に悪い方に傾くのは目に見えている。一国の宰相となるべき人が妙に若者に媚びたり「スローライフ」といった口当たりのいい言葉を威勢よく吐き出す時は、額面通りに受け取らない方がいいと思う。ダブルスタンダードの可能性が高いからだ。吉田茂のように、国を背負うことが必然的に抱え込む矛盾の大きさを苦渋に満ちたユーモアで表現するというのならまた話は別だが。
追記。
僕は麻生太郎も吉田茂も直接知っているわけではないので、この比較は恣意的でバイアスがかかっている可能性はある。
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