2009/02/24

最近読んだマンガのこと

前にエントリーした『へうげもの』でチェックするようになった『週刊モーニング』で、諸星大二郎の『西遊妖猿伝』と望月峯太郎『東京怪童』。『西遊妖猿伝』は末梢神経をチクチクと刺すようなオーバードーズ気味の今の漫画にはないゆったりとした展開、時間感覚が心地よい。「リア・ディゾン」が台詞に出てくるのにはたまげた(秋まで連載延期らしい)。『東京怪童』は、望月が真正面から現代に挑戦していて、ディティールの描写に力点を置くあまり、物語の展開がグダグダになってしまわないかとファンとしてはヤキモキ。

福島聡の『機動旅団八福神』をまとめ読み。

ガンダムやエヴァやパトレイバーのような日本のロボット・アニメの系譜を参照しつつ、自由な翻案を行っていて面白かった。未来の日本が中国の属国になっていてアメリカと戦争をしているという、いわゆる歴史改変SFだがヒネり具合が素晴らしく、人を食った描写にどうしても黒田硫黄の色濃い影響を感じる(特に、日常に非日常を挿入/接続させる手つき、女性キャラの扱いなど)。主人公の名取はのび太のパロディだし、ロボットというかパワードスーツは原爆にも耐えうるが、刃で簡単に裂けるという間抜けっぷりなど、各種アイテムはありがちなのにハズシが効いている。超能力者のラテン系の女の子が聴いているのはなぜかトオル・タケミツ。読後感はヘヴィー。

いろんな読みが可能だけれど、主人公の女の子、頭は弱いが超絶的な身体能力を持つ半井(なからい)が仲間やアメリカ軍の超能力者を圧倒してしまうところに(って書くとこれもありがちな設定みたいだが・・)、頭デッカチな思想やロジック、男性原理から跳躍しようとする・・・なんかうまく書けないな。戦闘美少女とかそういうことじゃなくて。

空間コミックビーム:漫画家に訊く! 〜ぶっちゃけそのへんどうなんスか!〜 第10回 福島聡さん part.1


素朴な疑問として、日本のSFマンガやアニメってどうして人がやたらとバタバタと死ぬのだろうか? 敗戦の記憶などない世代にも受け継がれる特異なDNAというか、戦時下の限定的サバイバル状況を召還してしまいがちなハルマゲドン指向の心性ってなんなんだろう。

『GANTZ』も『バイオメガ』も『ディエンビエンフー』も男の子が好むようなエロとグロと大量殺人を圧倒的な画力とゲーム的想像力で描いていて、それが商品としての価値に結実してるわけだからそれでOKなんだろうけど(僕からすると、『GANTZ』はまんま『幻魔大戦』だし、『バイオメガ』の後半は『ナウシカ』に見えてしまう)。そうした同時代性はともかく、「どう描くか」という表現手法がマックスまで洗練された結果、「なにを描くか」という部分が空洞化しちゃってるような気もしなくはない。

だからか、上に挙げたマンガ家に比べ、(あくまで僕自身の狭い好みや感覚で)失礼ながら相対的に表現=絵が洗練されてないように見える岩明均の『ヒストリエ』には、逆に骨太な物語の面白さが際立っているように感じる。失礼続きで言うと、諸星大二郎もこっちのカテゴリーに入ると思う。今さらだけれど、『寄生獣』も読んだ。発表当時に読んでいなかったのが悔やまれるが、時代性というのを抜きにして成立しうる傑作。デビルマン・チルドレンとしては、『ワールド・イズ・マイン』と双璧の完成度かと。あとは、『海獣の子供』を読み始める。言葉にするとロハスやニューエイジの一言で終わってしまいそうな五十嵐大介の微細で繊細な表現力はやっぱり凄いな。似たような資質を持っている松本大洋に僕が不満に思っていた部分(主に地に足をつけたリアルな生活が描かれているかどうか)がちゃんとクリアされている。

以上、感想の書き散らしでごめんなさい(ちなみに、基本的に好きな作品・作家しか取り上げていません)。

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