2008/02/07

威張るな!

「人生を<半分>降りる」という本をナナメ読みしていたら(ナナメ読みなので、この本については感想は書けない。悲壮な決意を感じさせるタイトル&ネガティブな内容と、壮健で精気にあふれた野心家な風貌の著者写真を見比べて、その落差に驚いたことは書いておこう)、高橋源一郎が太宰治について書いた文章が引用されていた。「ものを書く人はそれだけで不正義である」。この一言にズキンと来る。ライターという職業についてザックリとあけすけに語っていて、ハンパ者のもの書きである自分の内にわだかまっていたものが氷解。またまた孫引きで恐縮だが、ネットに全文掲載されたページを見つけたのでクリップしておく。ココにも引用文アリ。


「威張るな!」      高橋源一郎  

太宰治の名作数多くあるなかで、ぼくがもっとも好むものは、「斜陽」でも「おさん」でも「トカトントン」でも「女生徒」でも「お伽草紙」でも「右大臣実朝」でも「桜桃」でもなく「親友交歓」というあまり知られぬ作品である。

≪昭和二十一年の九月のはじめに、私は、或る男の訪問を受けた。この事件は、ほとん.ど全く、ロマンチツクではないし、また、いつかうに、ジヤアナリスチックでも無いのであるが、しかし、私の胸に於いて、私の死ぬるまで消し難い痕跡を残すのではあるまいか、と思はれる、そのやうな妙に、やりきれない事件なのである。事件。しかし、やつぱり、事件といつては大袈裟かも知れない。私は或る男と二人で酒を飲み、別段、喧嘩も何も無く、さうして少くとも外見に於いては和気藹々裡に別れたといふだけの出来事なのである。それでも、私にはどうしても、ゆるがせに出来ぬ重大事のやうな気がしてならぬのである≫

戦火で罹災し、津軽の生家に転がりこんでいた太宰の下を訪れたのは、小学校時代の同級生で「親友」と称するひとりの農民であった。確かにその顔に見覚えがなくはないが、印象などほとんどなく、どこが「親友」なのか太宰にはさっぱりわからない。だが、とにかく男が「親友」であると主張しているのだからそうなのだろうと家に上げたら、さあたいへん。酒を呑ませろ、お前の嬶に酌をさせろ、配給の毛布をおれによこせ、と無礼のかぎりを尽くし、文学者おまえの作品はつまらねえぞと悪口雑言あびせかけ、酔つばらったあげく太宰秘蔵のウイスキーを強奪して、男は堂々帰ってゆく。

≪けれども、まだまだこれでおしまひでは無かつたのである。さらに有終の美一点が附加せられた。まことに痛快とも、小気味よしとも言はんかた無い男であつた。玄関まで彼を送つて行き、いよいよわかれる時に、彼は私の耳元で烈しく、かう囁いた。 「威張るな!」≫

この「威張るな!」のひとことには、太宰治という作家が文学に要求していたモラルのすべて凝縮している。だが、どのようなモラルなのか。いったい、この「威張るな!」はだれが、なんのために、だれに向かっていったことばなのか。太宰の書いたものを素直に読むなら、これは、或る作家の下を訪れた傍若無人な男が調子に乗って吐いた暴言である。太宰に悪いところは少しもない。因縁をつけ、ゆすりめいたことをしたあげく、捨てぜりふまで残す。むちゃくちゃだ。だが、太宰はそうは思わなかったことは冒頭の引用にある通り。それどころか、太宰は自分に向かって吐きだされた「威張るな!」を甘んじて受けているようにみえる。いや、それが絶対に正しいと信じてさえいるようにみえる。だが、それは富農出身のインテリたる太宰の貧農への原罪めいた感情の故ではない。

ものを書く人はそれだけで不正義である——作家太宰治のモラルはこのことにつきている。ものを書く。恋愛小説を書く。難解な詩を書く。だれそれの作品について壮大な論を書く。政治的社会的主張を書く。記事を書く。エッセーを書く。そして、文芸時評を書く。どれもみな、その内実はいっしょである。見よう見まねで、ものを読みものを書くことにたずさわるようになって数十年、ちんぴらのごとき作家のはしくれであるぼくがいやでも気づかざるをえなかったのはそのことだけである。もの書くということは、きれいごとをいうということである。あったかもしれないしなかったかもしれないようなことを、あったと強弁することである。自分はこんなにいいやつである、もの知りであると喧伝(けんでん)することである。いや、もっと正確にいうなら、自分は正しい、自分だけが正しいと主張することである。「私は間違っている」と書くことさ.え、そう書く自分の「正義」を主張することによって、きれいごとなのである。もの書く人はそのことから決して逃れられぬのだ。

太宰を訪れた「親友」は、もの書かぬ人の代表であった。それは読者ということさえ意味していない。もの読む人はすでに半ば、もの書く人の共犯であるからだ。もの書かぬ人は、もの書く人によって一方的に書かれるだけである。おまけにそれを読まないものだから、どんな風に書かれているのか知らぬ人である。もの書かぬ人はそのことを本能で知っているものだから、ひどく悲しくて、もの書く人の前に来て悪さをするのである。もの書く人である太宰は、もの書かぬ人の全身を使っての抗議に、ただ頭を下げるだけである。もの書く人太宰は、もの書くことの「正義」という名の不正義を知る数少ない作家である。だから、もの書かぬ人の乱暴狼籍(ろうぜき)にも文句をいわない。文句をいわれないから、もの書かぬ人はいっそう惨めな気持ちになる。「馬鹿帰れ!」とか、「お前は親友でもなんでもない!」とか、「ふざけるな!」とかいわれたなら、そのもの書かぬ人は救われる.のである。もの書く人が、単なるカッコつけの、正義面した、インチキくさい野郎であることが暴露され、そのことによってもの書かぬ人は安堵することができるからだ。だが、太宰はもの書かぬ人のいうことに唯唯諾諾と従うばかりである。そして、そのすべてを太宰が書くであろうことをもの書かぬ人も太宰も知っているのである。

では、なにも書かねばいいのか。それでは、もの書かぬ人を拒んだことになる。では、書けばどうなるのか。それでは、もの書く人がもの書かぬ人に対して作家個人の「正義」を押しつけたことになる。どちらを選んでも、救いはないのか。いや、ひとつだけあるのだ。それが、「威張るな!」のひとことである。もの書く人ともの書かぬ人は不倶戴天の敵同士である。そして、ふだんはそのことに気づかぬふりをしているのである。だが、「親友交歓」の中で、もの書く人ともの書かぬ人はそのことに徹底的に気づくのである。馬鹿なのはもの書く人の方である。なにをしていいのかわからぬのである。だからもの書かぬ人は先に「威張るな!」といったのである。それは「わかった」ということなのだ。「お前の立場を理解した」ということなのだ。「この溝は超えらぬ。だから、お前はいつでもその不正義を行使するがいい。おれは死ぬまで、お前のやることを見ているぞ」といっているのである。そのことをもの書く人にいえるのは、もの書く人の敵だけである。敵だけが「親友」になれるのだ。

ぼくたちは、その「敵」のことを「他者」ということばで表現している。そして、その敵に寄せる思いを、「他者への想像力」と呼んでいる。おのれの「正義」しか主張できぬ不遜なもの書きの唯一のモラルは「他者への想像力」である。だが、そのいいかたはすでにきれいごとであろう。必要なのは「威張るな!」のひとことである。最低のもの書きのひとりとして、ぼくはそのことを烈しく願うのである。文芸時評を読んでくださったみなさん、ありがとう。今回で終わりです。また、どこかでお会いしましょう。さよなら。 (「文学じゃないかもしれない症候群」所載 [朝日新聞社 1992年])


何かを書くということはこういうことで、こういう怖さを認識してないと書けない。僕がこのブログでエラそうにキレイゴトを垂れ流して、それをたまたま読んだ誰かを傷つけてしまうという可能性だってそうなのだ。言葉って厄介だ。それを重々胆に命じよう。

0 件のコメント:

コメントを投稿