2007/10/09

Oto.Hito.E.Kotoba 06

ロンリーなシブヤ


アルバローザ。
ソニプラ。
マルキュー。

109とセンター
街で交わされる、
シブヤ式の呪文。

地べたに座りこみ
髪をとかしながら
友情と恋愛の間で
孤独と邂逅の間で
揺れ動く気持ち。

ガングロ=ヤマン
バが登場した時、
反抗ののろしは、
静かに上がった。

彼女たちは社会が
求める女性の形を
真っ向から拒否し
サーファーギャル
の究極のパロディ
すら演じたのだ。

醜くてもいいの。
これが自分なら。
わたしはわたし。

価値観のリバース
は誰かをリバース
させたかもしれず
ようやく欧米流の
ライフスタイルを
自然に身につけた
僕らの本当の姿が
情報の海に溺れる
間抜けなもぬけの
殻であることを、
彼女たちは僕らに
突きつけた。

ようこそ。
狂えるリアル。

2005年の頭、
加藤ミリヤが歌う
「ロンリーガール
」がセンター街を
駆け巡った。

97年のECDの
同曲のアンサー。

さみしいんじゃな
いよひとりが好き
なだけ風がまぶし
いだけ

原曲のサビは残し
ミリヤは10代の
女の子の気持ちを
新しい歌を歌う。

当時のコギャルの
心のギアチェンジ
をECDはこの曲
で訴えている。

マジな話早く立ち
上がれこれちょっ
とシリアスだけど
盛り上がれ

ECDはコギャル
じゃないからその
歌には当事者じゃ
ないがゆえの皮肉
や怒りがあった。
ミリヤは直球だ。

さあそろそろ行こ
うかいらない荷物
は捨ててロンリー
ガール大丈夫だか
ら手を貸そう未知
なる道へ

「立ち上がれ」か
ら「行こうか」へ
この違いは大きい。

ミリヤはこれまで
ブッダブランドと
ECDとUAを曲
中でサンプリング
している。

このベタなまでの
90年代の総括。

宇田川町が輝き、
レコ屋の袋を片手
に歩くのが最先端
だった時代。

そんな季節はもう
ノスタルジーに過
ぎないとミリヤは
言ってるようだ。

つらりつられて、
シブヤの一角で、
ふと立ち止まる時
ロンリーガールは
切なく痛く響く。


●タイトル
ディアロンリーガール
●アーティスト
加藤ミリヤ
●プライス
1,223

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