2008/09/11

ちがうより、おなじがいい

Blog Action Dayと「共感のグローバル」 - Tech Mom from Silicon Valleyという記事を読んで、ああそうなんだとずっとモヤモヤしていたことがスッキリした。この記事は「若者は海外旅行をしなくなった」という現象の考察で、昔のように違いやエキゾチシズムを求めて(人生に揺さぶりをかける強烈な強度を求めて)、目的を持たずにあてどなく旅するということが、インターネット時代のいまは難しいというハナシである。

あなたとわたしは違う、ことよりも、あなたとわたしは同じ(似ている)、ことの方が選ばれる時代。異質なものを求める指向から、同質なものを求める指向へ。知らないことを前提とした未知数の可能性よりも、知っていることを前提とした可能性へ。大雑把に括るとこういう大きな流れがあって、それがカルチャーのタコツボ化・島宇宙化の進行、同質のコミュニティ内で充足し(いわゆる、マッタリ)、異質なコミュニティの衝突によるダイナミズムが失われてしまうということにつながる。

「エキゾチシズム」はいわば「出会い頭」のショックであって、「旅行」としては楽しいけれど、それが何か生産的な活動につながるためには、そのショックを消化するための長い時間がかかる。何かを感じても、自分は何からアクションを起こすべきなのか、方向性がはっきりわからない。

昔の旅は費用対効果がハッキリしてなくて、手続きやプロセスが面倒で無駄が多くハードルも高くて、プロセス自体に意味や価値があってその結果はブラックボックスだった。旅とはかつてそういうものだった。もちろん、その傍らにショッピングやビジネスやツアーコンダクターによるパッケージングされた観光など、あらかじめ目的が定まった予定調和的な旅があって、両者は同じ旅でもベクトルが真逆。

いまのインターネットやグローバリズムの時代は、プロセスよりも結果重視で生産性重視、成果主義である。無駄を回避して、できるだけ正確に素早く目的にアクセスすることが求められている(グーグルが検索を武器に世界の覇者となったように)。世界遺産とかファスト風土化とかも、全部つながっている。

異質なコミュニティの衝突によるダイナミズムが本来のカルチャーの醍醐味であるという問題設定、「ヒップホップでもポストパンクでもコンピュータでもなんでもいいけど、あるムーブメントが生まれた時の混沌としたエネルギーや初期衝動や野蛮なダイナミズムってやっぱりサイコーにクールじゃん」的な価値観が、最近何を観たり聴いたり体験しても「つまらない」と思ったり、なんとなく停滞感を感じるということにつながる。

でもどうなのかな。(僕のような人間がヘンにこだわっている)そういう問題設定や価値観を一度取っ払ってみて世界を見ることは大事かもしれない。おもしろいことは実はいつでもどこでも転がっているし、おもしろいこと自体の質、クオリティは昔から変わってはいないのだけれど、それを取り巻く世界の様相やアプローチの仕方は変わってきている。

異質から同質へ。ちがうことより、おなじことへ。うーむ。そうか。そういうことか(いまさらだけど)。

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