2008/08/08

赤塚不二夫、すべてを肯定する哲学

赤塚不二夫が亡くなった。

自分が物心ついて漫画に夢中になった時には赤塚不二夫はすでに巨匠で、山上たつひこの「がきデカ」と鴨川つばめの「マカロニほうれん荘」が絶大な人気を博していて(両方とも「少年チャンピオン」の連載だった、当時の「少年チャンピオン」って影響力あったんだなと思う、意識は全くしてなかったが)、2人の破壊的なギャグの圏内から逃れることは当時のアベレージな地方在住の子供である僕には不可能な話だった。どっちかと言えば、ライトでスタイリッシュで音楽やサブカルネタに秀でた「マカロニほうれん荘」の方が性に合い、偏愛していたように思う。「がきデカ」の一種異様な笑いは好きというより異物としての何かだった。

「がきデカ」がいつの間にか視界からフェイドアウトしていき(周知の通り、山上はギャグ漫画を描かなくなる)、「マカロニほうれん荘」が終わって、その続編である「マカロニ2」のあまりのつまらなさ、つげ義春化というか(?)青春を謳歌した人が一気に老け込んでしまったような作風の変化にガッカリしたというよりも愕然としたことは今でもよく覚えている。ギャグ漫画家とはなんと短命で才能を燃え尽きさせる過酷な職業なのだろうと思春期に心に刻んだものだった。鴨川つばめの失速を受けて、彼の影響がモロだった江口寿史が単なるギャグ漫画家からニューウェイヴな絵を武器にイラストレーションも描ける漫画家へとシフトしていったのもよく覚えている(両者の関係を確認したわけではないけれど、たぶんそうなのだと思う)。

だから、当時も今も僕にとって赤塚不二夫という存在は手塚や石森や藤子と同じく巨大すぎて、影響うんぬんを語れるようなところに始めからいないというか。そんな僕も後期「天才バカボン」のアヴァンギャルドでシュールな実験はなんだかよくわからない体験として記憶に残っている。作者名を変えたり、見開きでバカボンとパパの顔がひたすらアップになってるだけだったり、もはや笑えない領域まで果敢に突き進み、ギャグ漫画という形式を使ってやることをやりつくした凄み。いくらビッグネームとはいえ、漫画全盛期とはいえ、相当に無茶なパフォーマンスだったのではないだろうか。赤塚という人はつまるところ、異端の人だったのだと思う(そして、ギャグというのも、突き詰めると異端の人からのメッセージなのだ)。

今回のエントリーを書こうと思ったのは、タモリの弔辞を聞いたからだ。実に無駄のない簡潔な言葉(と声)で、ありがちな故人を偲ぶ凡百なノスタルジーに陥らず(あるいはそれをも包含しつつ)、人物や時代を語る的確で見事な批評となりえている。「これでいいのだ」が赤塚によるすべてを肯定する哲学であること(そして、それがいかに強靭なものであるのか)が、こちらにもストレートに伝わってきてじ〜んとしてしまった。赤塚をキーワードにネットをさまよってたどり着いたのが、「京都生まれの気ままな遁世僧、今様つれづれ草」というブログの「天才バカボン」はインド哲学/仏教をルーツに持つという話。「バカボン」は「バガボンド」から来ているという説もあり、どちらが正解かはわからないが(また、正解などないのだろうが)、驚くと同時にすっと胸に入って納得できた。

赤塚不二夫さん葬儀 タモリさんの弔辞全文 (1/3ページ) - MSN産経ニュース
YouTube - タモリ 赤塚不二夫さんへ 弔辞

追記:タモリが読んだ弔辞の紙は白紙だったらしい。タモリ渾身のギャグだったんだなと。

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