2008/01/25

高丘親王航海記

澁澤龍彦の「高丘親王航海記」を偶然手に取り読んだ。澁澤の遺作。読んでいて「アレ?こんなに読みやすい文章だっけ?」とビックリした。とても平明で透明な日本語で、難解な感じはまったくない。そのせいか、久しぶりに小説というものを読んだのだが、スッとその世界に入っていくことができた。

高丘親王という平安時代に実在した人物が仏僧となって幼少から憧れつづけた天竺=インドへと向かう話。同じ天竺への旅といっても、多民族国家ならではの血なまぐさいダイナミズムを感じる西遊記とはまったく違う。飄々としていて、南方憧憬を色濃く漂わせながら、バタ臭くなく淡白(それが意外だなと思った大きな要因なのだった)。経験による立体物ではなく、極東に住み、机の上で文物を頼りに西欧の深奥にある摩訶不思議を訪ね歩いた澁澤龍彦の書いた、書き割りのような絵画のような幻想世界。ああ、これは日本人の書いた小説なのだと思う。

エキゾティシズムとアナクロニズムという言葉が出て来て、登場人物たちもそのことについて語り自覚している。しかし、そこに作為が透けるいやらしさはなく、なんともいえない上質なユーモアがある。エキゾティシズムとは、決してたどり着けない彼岸の夢のような、うっすらとヴェールの向こうに見え隠れするもので、実体が現れた途端、消失してしまう類いのものだ。だから、この小説はインターネット時代には成立不可能だろう(僕はいまインターネットと書いて、それがとても馴染みのない言葉のように感じたのだが、これも澁澤効果?)。高丘親王が天竺を目指しながら、そこにたどり着けないのもエキゾティシズムの夢の中にいるからで、彼はマレー半島であっけなく虎に食べられて死んでしまう。パタリア・パタタ姫の予言の通り、虎が一心同体となった彼を天竺まで運んだかどうかは定かではない。

ブックデザインが菊池信義。もうこの表紙以外はありえないだろう?というくらいのドンピシャなジャストなデザイン。鈴木成一が一世風靡する前はブックデザイナーと言えば菊池さんの独壇場の時代があった。僕は23エンヴェロープやラッセル・ミルズのような英国のデザイナーが端正で美麗なジャケットを量産していたのと同じ時代に菊池信義がいたことが誇らしく思える。

解説を書いた高橋克彦のように泣くことはできなかったが、清々しい読後感が残った。澁澤の西欧から日本へという興味の変遷については、「松岡正剛の千夜千冊『うつろ舟』澁澤龍彦」に詳しい。

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