2008/01/22

Anton Corbijn, Control

 ジョイ・ディヴィジョンのイアン・カーティスを描いたアントン・コービンの映画「コントロール」の試写を見に行きました。このタイトルは皮肉が効いていて、そして、映画の核心をついたタイトルです。イアンは私生活も音楽の仕事も自分の心も身体もコントロール=制御できなくなる。その結果としての自殺という終止符。痛ましいですが、映画はそれをひとつの必然として描きます。僕はMTV世代でニュー・オーダーの「Bizarre Love Triangle」のPVでときめいていたようなヤツなんで、ジョイ・ディヴィジョンは当時、少し遠い存在でした。改めて当時の息吹を忠実に再現してるかのようなこの映画で観ると、物事がシンプルだった時代がすごく羨ましくもあり、いまとの断絶を感じたりします。みんなバカをやめて賢くなって、ある種の抑止力のようなものが働いている現在。音楽もその他のカルチャーもカジュアルに生産・消費されるアイテムに成って、それは一面から見るととてもいいことだと思います。ファクトリーとマッドチェスターを描いた「24 アワー・パーティ・ピープル」はだいぶ前に見たので印象も薄れてますが、映画としての水準はそれほどでもなかった気がします(監督のマイケル・ウィンターボトムは「CODE46」も観ましたが、こちらもイマイチだった。相性が悪いのか?)。

「コントロール」は70年代末の時代の空気をひとりのミュージシャンに的を絞って描き出すことに成功していると思います。アントン・コービンは、変にアート志向に陥ることなく、また、写真家としてのキャリアをこれ見よがしにすることなく(時折、ハッとする美しい構図が現れますが、さりげなく映画に溶け込んでいます)、あくまで直球でストレートに音楽映画、青春映画、恋愛映画、その総体を作り上げていることに好感を持ちました。ギミック的な遊びもほとんどなく、催眠術をかけられたイアンの周りをカメラがグルグル回る中、台詞が音楽とシンクロするシーンにソレを感じた程度。街を歩くイアンを遠目からとらえたファーストカットから、「あ、この映画に身を任せても大丈夫だ」という思いは最後まで裏切られませんでした。対象との距離の取り方が好ましく、謙虚な姿勢を感じ取りました。

音楽の使い方は本当によくて、しつこすぎず、あっさりしすぎず、映像とのバランスやリンクの仕方もちょうどいい加減でした。セックス・ピストルズやデヴィッド・ボウイのライブでは、あえて彼らの姿を見せず演奏シーンを省略するというのも潔い。ジョイ・ディヴィジョン自身のライブのシーンは素晴らしい。彼ららしい直情的でミニマルな音が鳴りはじめた「Transmission」が演奏されるところでは浮き足立ちました(サントラには、イアンを演じたサム・ライリーらが演奏したヴァージョンが収録されています)。「Love Will Tear Us Apart」と「Isolation」が続いて流れるシーンではバンドと恋愛双方でアウェイになっていく主人公の心の動きとうまくシンクロした使われ方がされています。あとマネージャーのキャラが秀逸。こんな人いるよなぁ。トニー・ウィルソンは、ただのいかがわしい業界オヤジではなく、愛すべき人。サマンサ・モートンは美人とは思えないんだけれど演技は上手い、全体を締めています。

時代から逃れることは誰もできない(それは死から逃れられないということと同一であり)という不問律。モノクロームの贅肉を削ぎ落とした映像の中で、青臭い「若さ」がもんどりうっている。その「若さ」の様態は笑っちゃうほどノスタルジーの領域にありながら、こんな風にメディアによる回顧が可能であり、いまを生きる人にも訴求できる力がある。これはひとつの希望だなと思うのです。表面的には悲しい映画ですが、僕はとてもポジティブに受け止ることができました。

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