2009/03/23

グーグル+アマゾン共和制?

少し前に話題になったKindleしかり(*)、インターネット上に架空のアレキサンドリア=世界図書館を作っちゃおうぜ!計画にも受け取れるグーグルのブック検索しかり、出版界を揺るがすグーグルとアマゾンの動きを見ていると、アマゾンは「モノ」=物流&ハードウェアの販売、グーグルは「コト」=情報やデータベースの構築とそれぞれ立脚点や着地点は違えど、人々が行き交う最も情報量/交通量の大きいトラフィックやパイプラインを占有し(占有という言い方がよくないのはわかっているが、傍目からは最早そうとしか見えない)、そこに流れこむ「モノゴト」=平たく言えば、コンテンツ一般を一網打尽にしようという戦略においてほぼ同じじゃないかと、ふと思ったり。

不思議なことに、両者がやろうとしていることは、それほど独創的で革新的でカッティングエッジというワケではなく、むしろ、子供にもわかるような平易で直球勝負なアイディアを、あきれるほどの物量作戦とテクノロジーで無邪気に一点突破しようとしているところに特長がある(実体としての無数のサーバや物流倉庫がその子供じみたミッションを後ろで支えている・・)。グーグルとアマゾン(もしくはアップルその他のグローバル企業)の提言は人類の恒久の普遍の意思(ってナンナンダ?)によって決定されているかのようだ。

それら正論に反対する術を、いまのところ僕らは持ち合わせていない。エコロジーという正論を(正しく)論破するのがむずかしいように。「かつての富裕支配層が世界中の文物を収集し、出版や言論という叡智をコントロールし牛耳っていたのと一体全体どう違うんだい? 国家という枠組みが相対的に弱くなり、企業がそのポジションに置き替わっただけじゃないの?」という素朴な疑問は、「でも、こうすれば、あなたもわたしもみんなハッピーになれるでしょ?」という声の後ろでしぼんでしまう。誰もが等しく分かち合える、シェアできる公共の利益という免罪符的スローガンは強い、というか無敵だ。そんなお題目はいつだって理想でしかなく、現実と果てしなくズレていくのだが。

世界がこうして平準化し再編されていくという大きな流れに抗うことは誰にもできない。グーグル/アマゾンがやろうとしている一種のユニバーサルな公共事業(?)というかエコ・システムについて書いているうちに、なにを書きたいのかよくわからなくなってしまったのでここまで。お粗末。

*=個人的には電子ブックリーダーは印刷物としての本の代用となるにはまだまだ未完成のガジェットだと思う。iPhoneで「豊平文庫」という青空文庫リーダーを試したり、「クーリエ・ジャポン」を読んだりしているが(「クーリエ・ジャポン」には、ボイジャーの「T-Time」というビューア・ソフトが使われている。90年代半ばのマルチメディア全盛時代を知る人なら、ボイジャーという会社が時代をまたいで生き残っていることに感慨を覚えるだろう)、フリックやタップでページをめくるという行為と、印刷物のページをめくるという行為は、脳に与える効果が違う気がなんとなくしている(単に慣れの問題かも)。

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