2008/10/09

ブログはツブヤキ

一週間ぶりくらいにエントリーします。しばらく体調を崩してました。

ブログで文章を書く時に、「です・ます」調がいいのか、「である」調がいいのか、いまだに悩みます。Bloggerに移った当初は「です・ます」調で、最近は「である」調でした。

「です・ます」調の方が読み手を意識する上で適度な距離感があって、特に初めてブログを訪れた人に失礼になりにくいと思います。「である」調は断定の度合いが高いので、「エラそうだなぁ」「上から目線で物言うな」と思われやすいんでしょう。

自分の場合、「です・ます」調だとビジネスモードでよそよそしく感じるのと、まずは「自分のために書く」「気楽に言いたい放題に書く」というのが先にあって、その上で誰かが読んでくれたり共感してくれれば、というスタンスなので、ことさら読み手を意識すると変に気負ってしまい書けなくなるのではないか、という恐れが大きいです。

僕にとってブログは書くというリハビリでもあるし、気楽に書けなくなったら、ブログをやる意味もないと思うし。逆に言うと、そういった書くことへの障壁や心理的規制を「です・ます」調というクッションを間に置くことでクリアするという活用法もあるかと思います。

誰かに何かを伝えたい場合に、中身を丸裸のまま送りつけるんじゃなくて、封筒やのし袋や風呂敷や包装紙で気持ちを柔らかく包んで送るというのが日本人らしい繊細なコミュニケーション手法であって、欧米式のディベートで培った自己主張、イコール、英語には「です・ます」調がないということにもつながります。

あと、僕の言語能力の貧しさは棚上げするとして、日本語って語尾の選択肢がホントに少ないですよね。イヤになるくらい。「だ」「である」「〜だと思う」が大半で、あとは疑問形や否定形で変化球をつけるか、「と感じる」「と考える」「という気がする」「〜だろう」「〜かもしれない」ぐらいしかバリエーションがないです。

よく考えてみると、英語には「考える」とか「思う」という意味の言葉がたくさんある。“think, view, intend, expect, judge, imagine, regard, be prudent, consider, think over, reconsider, be ready for...”や“think, believe, feel, regard, expect, imagine, take for, recall, wish, love, wonder, suspect...”などである。日本語で表現しようとすると、いつも「考える」「思う」ばかりで文章が単純になってしまうのも、そのせいだ。(自分で考えることについて〜自主性なんてクソ食らえだ!)

「思う」が並びすぎたら「感じる」や「気がする」を入れようとか、無意識にやってる姑息な文章整形、文章の目鼻立ちを整える作業って空しいなーと思う時がよくあります。その代わり、英語では「i」しかない主語が、日本語では「僕」「私」「俺」「自分」・・とバリエーションがあります。相手との関係をまず意識することで始まる日本語と、関係を意識しない英語のチガイというか、日本語って相手との関わりやコンテキストをとっぱらって自分の意見を述べるということがとても不自由な言語なんだなぁと思います。

「ネット上での「頭のよさ」は、知識や思考力ではなく、構えと作法に表れる。」というTwitterで拾った言葉には頷きます(関係ないけれど、このbokuenさんという人のツブヤキ、ツボです)。ネットのリテラシーって、ほぼ8割方、「構えと作法」、文脈=コンテキストに傾いてるところがあるんじゃないかと。重要視されるのは、内容そのものより、表現の仕方、立ち位置の表明です。ネットで間接的に「つながる」ことがそもそも広大なコンテキスト空間への介入だし、2ちゃんねるの祭りとかブログ炎上ってこともそうです。

ポストモダンがこんな風に日常になるんだなぁというある種の感慨もあったりなかったりしますが。ロラン・バルトが「表徴の帝国」で「東京の中心は空虚だぁ!」(空虚は皇居と韻を踏みましょう)と言ったのも今は昔というかダイナソーのツブヤキです。「表徴の帝国」はちゃんとは読んだことないです。「明るい部屋」は学生時代に読んで感銘を受けました。いま読んだらどうだろうか。

「です・ます」調はどうなんだろう?という話から激しく脱線しましたが、次回からは「である」に戻そうかなと。そういえば、「スカイ・クロラ」のエントリーで一部の表現がキツいと指摘されたので修正しました。やっぱり、「である」だと調子に乗っちゃうんでしょうか・・。

今後もブログで(時に毒にも薬にもならない)ツブヤキやボヤキをしたためたいと思います。よろしくお願いします。

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