2007/10/09

Oto.Hito.E.Kotoba 05

空を見上げれば塔


渋谷の公園通りを
のぼっていくと、
国立代々木競技場
が目前に現れる。

優美な曲線を描く
巨大なコンクリの
塊はブラジリアの
ような近未来都市
の廃墟みたいだ。

でも同時に思う。
ヒトよりケンチク
の方がエバってる
よなぁと。

これを建てたのが
東京都庁で有名な
丹下健三。

大阪万博のお祭り
広場も彼の作品。
その真ん中に太陽
の塔を建てたのが
岡本太郎だ。

建築家と芸術家は
広場の屋根を太陽
の塔が突き破るか
どうかで、激しい
火花を散らした。

まさにガチンコ。

結局、岡本太郎が
勝ち、塔はすっく
と空に伸びた。

大阪万博の映像は
今見てもエグイ。

サンダーバードや
ウルトラマンらの
特撮を力技で現実
化しちゃった的な
トンデモ建築群は
大人のファンタジ
ー=妄想の世界。

日本の活力がモリ
モリあふれていた
その夢のあと。

愛知万博はコレに
比べれば、器も志
も小さすぎる。

それはさておき。

100年経てば、
ランドマーク建築
は廃墟になる。

ゴジラは東京タワ
ーを倒し、キング
コングはNYCの
摩天楼に上った。

21世紀のランド
マークを壊すのは
もしかしたら地球
そのものかも?

ニューオーリンズ
のハリケーンは、
地球沈没化の前兆
だと言われてる。

ニューオーリンズ
は奴隷貿易の拠点
で、白人の音楽と
黒人の音楽が衝突
し、ジャズが誕生
した20世紀音楽
の処女地だ。

言ってしまえば、
グラウンドゼロ。

ガンボシチューの
ようにグツグツと
煮えた混血音楽が
サッチモの人肌の
ジャズがこの地で
生まれた。

そこが水没した。
偶然にしては出来
すぎのシナリオ。

この文明が無限に
続くことはないと
いう漠然とした、
でも確かな兆し。

J.G.バラード
のSF小説「沈ん
だ世界」を思い出
してしまう。

100年後の沈没
した廃墟の世界で
鳴ってる音をまだ
誰も知らない。

僕らはもうそこに
は生きていない。

ノーライフ
ノーミュージック


●タイトル
ドクタージョンズガンボ
●アーティスト
ドクタージョン
●プライス
1,279yen

Oto.Hito.E.Kotoba 04

音のデザイニング


デザインは世の中
にあふれている。

iPodと携帯と
スニーカーで手軽
にデザイン生活。
洋服も家具も建築
も全部デザイン。
誰かの顔やカラダ
も全部デザイン。

20世紀のモダン
デザインの歴史に
必ず登場するドイ
ツのブラウン社の
デザイナー、ディ
ーターラムスは、
「必要な時はすぐ
そばにあって、い
らない時には目立
たない姿をしてい
る」とその哲学を
語っている。

すぐそばにあって
すぐ「使える」。

それ以上でも以下
でもない。

簡潔に完結。

グッドデザインと
はそういうもの。

音楽もデザインで
いいじゃないか。
そう考えたりする
今日この頃。

そこで唐突だが、
ミッシーエリオッ
トなのだ。

この人はルックス
やPVの印象から
フリークスという
イメージが強い。

僕はこの人は新し
いスタンダードだ
と思っている。

ECDの「マス対
コア」じゃないが
90年代はメジャ
ー=地上とアンダ
ーグラウンド=地
下が対立項として
描かれてきた。

地下はイカしてて
地上はセルアウト
そうなってた。

21世紀で911
以降なんだから、
そろそろ旧体制は
終わりにしよう。

地下でも地上でも
イイものはイイ。
要は突き抜けてる
かどうかが問題。

メジャーが最もプ
ログレッシヴで突
き抜けてる。

そんな逆説を成立
させたひとりが、
ミッシーだろう。

ムダがない。
スポーティ。
フィジカル。
ミニマル。

前2作から最新作
まで最高のレシピ
で作ったポップな
デザインが並ぶ。

シングル「ルーズ
コントロール」は
サイボトロンの「
クリア」というエ
レクトロの名曲を
使っている。

ピコピコ鳴ってる
電子音がそれだ。

これはデトロイト
テクノの元になっ
た曲だ。でも彼女
はたぶん「この音
が気持ちイイ」か
ら使っただけ。

ポップには「ポン
と弾ける音」とい
う意味がある。

炭酸水みたいにそ
こに意味はない。

ミッシーの音楽は
徹底的に無意味な
グッドデザイン。

無意味って潔い。


●アーティスト
ミッシー・エリオット
●タイトル
ザ・クックブック
●プライス
2,580円

Oto.Hito.E.Kotoba 03

エレクトリック魂


100年前、雷を
制御し、電気の力
で地球を真っ二つ
に割ろうと考えた
ニコラテスラ。

ニュートンの影に
埋もれた彼の巨大
な想像力は今また
注目されている。

シンセの父であり
物理博士でもあり
音と科学の橋渡し
をしたボブモーグ
はテスラのように
マッドサイエンテ
ィストを演じたり
はしなかった。

映画「MOOG」
で見る彼の素顔は
ほがらかな紳士。

テルミンの製作者
として出発した彼
は、実直な研究者
タイプだった。

そのモーグが8月
末に亡くなった。

彼のキャリアは、
華々しい成功とは
無縁だった。

モーグ・シンセは
昔も今も高価だ。
ごく一部の音楽家
がそれを使って、
60〜70年代の
電気羊の夢のよう
な時代を描いた。

その後は・・・。

会社は売却され、
MOOGの商標を
取り戻したのは、
晩年のこと。

機械技師でありな
がらダブを作った
キング・タビーと
通じ合う部分も。

ポピュラー音楽の
世界でこんなに愛
された非音楽家も
いないだろう。

アメリカの根っこ
にあるのは不屈の
パイオニア精神。
モーグもそのひと
りに違いない。

太くて、明るくて
カラフルな音。

モーグ・シンセを
使った曲を聞くと
微笑みたくなる。

摩訶不思議な電気
エネルギーをモノ
にしようという、
子供のような心を
感じるから。

モーグの人柄が、
楽器に反映され、
楽曲に反映され、
エネルギーは伝達
され、受け渡され
カタチを留める。

エネルギーという
ドイツ語を日本に
紹介したのは手塚
治虫。閑話休題。

昔、細野晴臣は、
ゲルニカの曲で、
「ネガティブを吸
い込み、ポジティ
ブを吐き出す」と
歌詞に書いた。

何かをアウトプッ
トするには、心身
共にヘルシーでい
なくちゃ、ね。

モーグ氏の笑顔を
見るとそんなこと
を考えるのだ。


●タイトル
MOOG(DVD)
●プライス
3990円

Oto.Hito.E.Kotoba 02

SWとディスコ2


ディスコの典型的
なヴィジュアルと
言えば、エアブラ
シを使ったリアル
でファンタジック
なイラスト。

アースウインド&
ファイヤーのジャ
ケを手がけた長岡
秀星などが有名。
これもクールでS
Fちっくな未来派。

ディスコの時代の
少し前、現代美術
の世界でも、ハイ
パー・リアリズム
という写真のよう
にリアルな絵画が
流行した。

ホントかウソか、
虚実の狭間のイリ
ュージョン。

これらの流れも、
ホコリやヨゴレや
サビも含めた生活
感を画面に定着さ
せて、それまでの
SF映画にはない
リアリティを獲得
したSWの世界観
を思わせる。

と、ここまで来る
とややこじつけっ
ぽいかな?

実はSWシリーズ
のヴィジュアルに
大きく貢献したラ
ルフ・マッカリー
という人がいる。

ジョージ・ルーカ
ス監督の頭の中に
あったイメージを
コンセプト・ペイ
ンティングで具体
化した凄い人で、
彼の絵もまたエア
ブラシ系のリアル
イラストレーショ
ンなんだ。

同じエアでもそれ
らとは対極のエア
ロゾール・アート
=スプレー缶によ
るグラフィティが
ヒップホップと共
に台頭するのは、
SWが登場して間
もない80年代。

ヒップホップの「
過去に存在する音
を盗んで再利用す
る」というサンプ
リングという手法
もルーカスはSW
で体現している。

ルーカスは、基本
構想は昔のアメコ
ミ「フラッシュ・
ゴードン」から、
C−3POは「メ
トロポリス」のロ
ボット=マリアか
ら、ジェダイ騎士
団やダース・ヴェ
イダーのイメージ
は黒澤明からと、
古今東西の映画を
サンプリングして
悪い言い方をすれ
ばバクって、SW
ワールドを作り上
げたのだった。

SWはディスコの
隆盛と衰退から、
ヒップホップの誕
生までをまたぐ時
代のど真ん中で、
時代の空気を吸収
しエッセンシャル
に昇華した。

偶然もまた必然。

化学反応は起こる
べくして起こる。

今回はSWをネタ
に大風呂敷を広げ
てしまったけれど
こんな風に音楽の
向うに見える景色
を探ったり、音楽
と音楽以外をつな
げていくというの
が、このコラム。

少しでもなにかを
感じてもらったら
ウレシイ。

Oto.Hito.E.Kotoba 01

SWとディスコ1


スター・ウォーズ
が完結した。

SWでルーク・ス
カイウォーカーが
使うフォースの決
まり文句は「考え
るな、感じろ」。

ロジックではなく
フィーリング。
「Feel」とは
ダンス・ミュージ
ックの合言葉だ。

SWの初公開年は
1977年。日本
公開は1978年
で世間はディスコ
で浮かれていた。

SWのポスターで
ライトセイバーを
高々と振りかざす
ポーズと「サタデ
ー・ナイト・フィ
ーバー」のジャケ
のポーズはなぜか
シンクロしてる。

当時、SWのテー
マをディスコ風に
アレンジしたミー
コの曲がチャート
一位になる。

アッパーで軽薄で
お気楽な快楽主義
のディスコ音楽は
冷戦やベトナム戦
争で暗く沈んでい
た70年代の世相
をB級フレーバー
の単純明快なファ
ンタジーで吹き飛
ばしたSWと、実
は根っこでつなが
ってると思う。

ミラーボール、ネ
オンサイン、フロ
アライト。ディス
コはチープでシャ
イニーな光り物で
未来を演出した。

ジョルジオ・モロ
ダーのピコピコな
ミュンヘン・ディ
スコやクラフトワ
ークのテクノも同
時代。これら欧州
産のクールで未来
派なサウンドが、
ディスコのスパイ
スとして重要な役
割を演じたのは、
ご存知の通り。

ディスコと言えば
今も昔も汗ダクダ
ク体臭ムンムンの
ホットなものと相
場が決まってる。
でも、その一方で
はクールで冷たい
未来感覚も並行し
てあったワケで、
SWはその空気を
偶然に拾い上げた
んじゃないかな?

Oto.Hito.E.Kotoba 00

2005年から2006年にかけて、携帯サイト「CoolSound」内のウェブマガジン、the DISK DININGに毎週掲載させていただいたコラム、「オトヒトエコトバ」をアップします。タテ8文字の空間をスクロールさせて読むという携帯サイトのインターフェイスに戸惑いつつも、随分と好き勝手に遊ばせてもらいました。いま読むと、800字のテキスト+画像一枚+CDアルバム一枚+タイトルという限定された中に、気恥ずかしくなるほどに妄想とおバカな世迷い言、戯れ言を詰め込んでいます。そういう時期だったのか、今となってはまったく思い出せません。こういう機会を与えてくれた制作の武藤さんには感謝です。

Evangelion

映画「エヴァンゲリオン」を観た感想です。


映画「エヴァンゲリオン」を観た。テレビも最初の劇場版も見てないので初見である。当時、サブカル雑誌を中心に「エヴァ」がもてはやされ、庵野秀明のインタビューを読んだり、周辺情報にはそれなりに接していたけれど、作品そのものにはコミットしなかった。たまたま、なのかもしれないが、実は積極的に拒んだというのが本当のところ。その頃は音楽に夢中だったし、カッコよく言えば、日本という風土に内向していって得られる強度よりも、音楽の持つ開かれたコミュニケーションの強度に夢中だった(それもまたタダの幻想なのだろうけれど)。強度の種類や方向性がチガウ。これは、少なくとも当時の自分にはとても大事なことで、必要な「選択」だった。それ以前に、貞本義行のキャラデザインに馴染めなかった。

庵野に関しては、ダイコン・フィルム時代の「愛國戰隊大日本」「帰ってきたウルトラマン」をはじめ、「マクロス」「オネアミスの翼」「ナウシカ」と、特殊アニメーターとしてメキメキ腕を上げていった姿をリアルタイムで追っていたのだった。その前後からアニメに興味がなくなってしまい、「ナディア」や「トップをねらえ」は見ていない。「ナウシカ」のおぞましくも魅力的な巨人兵の描写は、パブリックな劇場映画で無意識の具現化を行った「明るい80年代」における負の表現としてのマイルストーンだと思う。だから、「エヴァ」における生理的に気持ち悪いとされる描写の数々も、既視感と共に庵野らしさとして素直に受け入れることができた。

エヴァ初号機は、私見ではギーガーの「エイリアン」の造形、 尖った頭部、猫背、痩せているという現代的な異形の悪魔の最もポピュラーなフォルムに、あるいは「デビルマン」も忍ばせつつ、ロボットアニメの文脈にデモーニッシュな強度を落とし込んでいる。また、使徒のアブストラクトな造形も特撮からの影響が強い。もっと言えば、「ウルトラマン」で成田了がヨーロッパのシュールレアリスムを参照しながら作り出した怪獣のエッセンスそのものだと思う。彼らが子供向け番組で子供に媚びることなく第一級の仕事をしたことに対して、庵野はオタク第一世代らしい自己を形成してきたアニメ・特撮史のサンプリングでオマージュを捧げている。こうした指摘はいまさらなんだろうけど、パンフを読むと、庵野は特撮のイビツなリアリティに自覚的で、今回の映像表現でもそこにこだわっていたことがわかる。その反面、死海文書やキリスト教など設定に散りばめられた謎掛けは衒学的=ペダンティックなお遊び以上ではなく、意味ありげなだけで浅薄な印象はぬぐえない(「スター・ウォーズ」に通じる類型的神話の商業作品への転用)。

第三新東京市という使徒を迎え撃つために作られた要塞都市に使徒がどこからともなくやってくるという設定のご都合主義そのものの閉鎖性、虚構性、ゲーム性。「エヴァ」がロボットアニメの系譜の中に確信犯的に準備された鬼っ子であることを考えるとこの設定もうなづけるが、オトナになってしまった僕にはこの世界がどこまでも閉じているという閉塞感にいらだちを覚える。登場人物の多くが、(中学生が主人公だから仕方ないにしても)保護者・被保護者という一種の血縁関係にあるのも息苦しい。そこでは、少年の成長というビルディングス・ロマンの要素もとってつけたようで、つまりは本当の「他者」はどこにも存在せず、「他者」というべき使徒も最初から仕組まれていてお膳立てされていたということでは、やはりゲームの世界から現実には飛び立てない。「エヴァ」を形づくる世界観や心理描写の幼稚さ、世界を構成する関数のあっけないほどの少なさ、全体に表出するサブカルチャーを苗床にする幼児性については、自分自身の鏡を見せられているようでなんとも痛し痒しではある。

一方で、第三新東京市のうらさびれた空虚な風景には胸がしめつけられた。僕はこの映画を渋谷で観たのだけれど、その後、渋谷の風景がしばらく第三新東京市とオーバーラップしてしまった。まったく美しくない(がゆえにある種の美しさを持った)現実の似姿である都市景観は、宮崎駿の牧歌的で理想主義をにじませた田園風景や、押井守のブレラン譲りのディストピアな近未来のいずれとも違う。このリアリティは、重厚長大な作家主義ではなく、もともと生粋のアマチュアリズムのサーヴィス精神から出発した庵野の立ち位置から生まれたものだろう。

映画「エヴァンゲリオン」から、僕は現代日本のオタク的表現の貧しさと豊かさ、サブカルチャーに依存することの限界と可能性を改めて感じ取った。何かを期待していたわけではないが、それだけでも僕はこの映画を観てよかったと思った。オタクという言葉が一般的になってしまったいま、こんなことを書くこと自体が陳腐なのだけれど。友人が「トランスフォーマー」を観た後で「エヴァ」を観たら、前者のあまりの浅さゆえに「エヴァ」のリアルが身に沁みたとのこと。「エヴァ」が深いかどうかはともかく、この映画を根幹で支えているリバイバリズム=懐古主義はとても今っぽい気がする。過去の作品や記憶が新しいテクノロジーと共にいとも簡単になし崩し的に再生・再現され、アレンジされ、共有されていく。作り手がそこに自覚的であること、そして、それを商品として流通させていること。それは音楽の問題とも深くつながっている。

10年前は「エヴァ」を避けていた僕はやっと作品としての「エヴァ」にたどり着いたのだった。というか、旧劇場版の量産型エヴァと弐号機の量感とダイナミズムにあふれた戦いのシーンを「電脳コイル」の磯光雄が担当していることを知って、ようやく現在と過去がつながったというべきか。

Dennou Coil

「電脳コイル」を数話見た段階で書いたテキストを加筆修正してアップします。


サイバーパンクを世に知らしめたウィリアム・ギブソンには「ヴァーチャル・ライト」という、メガネを通して電脳世界を体感するという作品がある。ギブソンは文学的想像力を駆使して、コンピュータがガジェットとなって日常に溶け込んでいる未来を幻視した。彼の作品は数を重ねるごとにSF小説としてのインパクトを失っていき、未来を舞台に移し替えただけのピカレスク・ロマンや犯罪小説の様相を呈していった(それは小説として面白くなくなっていった、ということを意味してはいないのだが)。壮大なアイディアでうならせるタイプのSFではなく、未来社会のディティールをかつてなかったリアリティと筆力で活写するのがギブソンらしさ。いま読むと多分にマンガやアニメっぽくもあり、一方で日本をことさらエキゾチックに描き出したその世界を、子供向けアニメーションとして見事に再生・変換させたのが、磯光雄監督の「電脳コイル」だと思う。

「電脳コイル」は、欧米生まれのバタくさいサイバーパンクをドラえもんやサザエさんの住む身の丈の日常と直結させてしまう。その発想がまず斬新だ。等身大のキャラクターと、塀や電柱や路地や神社が迷路のようにうずまく昭和ノスタルジーな町。まっくろくろすけやもののけを思わせる電脳ペットやイリーガルと呼ばれる古い電脳空間に生息する怪物、あるいは主人公が姉妹という設定は「トトロ」そのもの。ジブリが看板にする安全で共同体的なイメージ群が、ここでは最先端のユビキタス社会と違和感なく接合される。ファッションやアートと共に語られることが多かったサイバーパンクは、それゆえに風化も早かったが、こんな形で嫌みなくローカライズされて再現されるとは予想もしなかった。

電柱やブロック塀やトタン屋根のある空間というのは、日本人の脳内にサブリミナルに存在する原風景だと言えるだろう。デザイナーズマンションに住んでも、ケータイを使っても、そのヴァーチャルな空間は記憶に消しがたくそこにある。過去も現在も未来も個人の記憶すらもユビキタスに偏在し、接続可能で代替可能。ネットワーク上ではアップデートもデリートも瞬時で、そこでは存在そのものが耐えられない軽さになり、一枚の写真に特別なオーラを感じるといったことが不可能になってしまう。セカイ系うんぬんを取り沙汰しなくても、大文字の世界と個の世界、マクロとミクロ、アッチとコッチがダイレクトにつながっているという感覚はもはや当たり前のものであり、「電脳コイル」はそうした時代背景を踏まえ、20数年前のサイバーパンクが先送りして見せた未来社会をリデザインしている。

そういえば、サイバーパンク隆盛の頃、「電脳」という言葉はちょっとダサくて気恥ずかしい気がしたが、あえてこの言葉を正面から使うところに、「電脳コイル」を制作する側のスタンスが感じられる。講釈はともかく、第一話の「フォーマットしてます」という巨大な壁からデンスケやオヤジといった電脳ペットが逃げるという絵ヅラが素晴らしい。未来からやってきたロボットがまったくスタイリッシュさを欠いた扁平足のネコ型だったという、ドラえもんが作り出した未来に対するお茶の間感覚。その親しみやすいルックの裏には、今さらながら優れた批評性と普遍性があったのだと改めて思う。

「電脳コイル」の描く電脳世界は、回を追うごとに都市伝説やホラーと絡めた「異界」として主人公たちと僕たち見る者に認識されていく。その皮膚感覚はとても原始的かつ生理的で抗いがたく、意識と無意識、こころとからだの間にあるグレーゾーンに真っ向から踏み込んでいる。最後に、磯光雄監督の公式サイトにあった彼の言葉を引用しよう。


子供の遊び場とフィクションの世界には通づる部分があって、親の、あるいは整合性の目の行き届かない薄暗がりにワクワクする何かが宿るような気がします。いずれも存続しにくいものになりつつあります。その意味で、「電脳コイル」は失われた風景、失われたジャンルを扱っているのだと自分では考えています。これは企画の一番初めから変わっていない気持ちです。ちょっとだけささやかな抵抗を続けていこうと思います。(磯光雄)

RadioSoundPainting 200710

Radio Sound Paintingのブログに10月放送分のプレイリストを掲載しました。


Usual Morning Sun - DJ Amagumo

Easelのブレイクビーツ・コンピレーション、「Beats Architecture」の中からDJ雨雲の曲。日光浴のような音のシャワー。体を温めてくれる人肌のサンプリング・ミュージック。平凡な日々のサプリメント。オープニングに合うなと思ってセレクトしました。こういったメロウネス、今までもよくあったようで、やっぱり2000年以降の音の選び方、切り方です。EaselからのReminderの新作、前作の「Now I Disappear」や新作の「Days Of Awe」のようなこの人独自のダブは耳に残りますが、今回は紹介できず。

The People - Common Feat. Dwele

以前にRSPでも紹介したリリー・アレンとやった「Drivin' Me Wild」、ジェイディーのトラックを使った「So Far To Go」と悩んで、この曲に。コモンはまったくズルイです。コアなリスナーからのプロップもしっかりゲットしながら、商業的にも成功しているという理想的なスタンス。カニエ・ウエストのプロダクションは格段によくなっていて、声ネタのイン/アウトの配置とタイミングが素晴らしい。ほとんどの曲でクレジットされているキーボーディストの力も大きいのではと推測(カニエの本人名義のアルバムでは、ミュージシャンの数もビックリするくらい多く、潤沢な予算を使って贅沢なことやってます)。ブレイクビーツの骨格は残しながらポップミュージックに寄り添うという最良の例でしょう。

Only For U - Soloal One

オリーブオイルの新作は、前作より意図的にトリッキーで複雑なプログラミングをやめて、もっと太いストレートな方向に行こうとしているのがわかります。エレクトロニックな曲は、往年のエイフェックスやミュージックを聴いているような錯覚に陥りました(ごめんなさい)。渋谷FM制作の栗田さんが「こういうブレイクビーツがもっと聴かれるようになればいいのに」と言ってくれて、昔からこんな曲ばかりを飽きもせずにかけてきた自分って・・・とやるせなくなったり励まされたりしました。

Beats Mistake - Kim Hiorthoy

デザイナーが作るグラフィカルな宅録ミュージック。と、言い切ってしまいましょう。この曲は特にかわいらしくスリリングな展開で、タイトルに偽りなし。ミステイクを曲の中に引き入れられるかどうかは、その人の器です。そういう豊かさを持った佳曲です。

40 Seconds (Dusk) - Yuji Oniki

前から紹介したかったオニキさん。なんとも大らかな叙情性が魅力です。オープンにチューニングされたアコギの響きはエバーグリーン(もしかして死語)です。勝井佑二さんのバイオリンも効果的です。アメリカ育ちの日本人が持つストレンジャーな視点があぶりだされているような気がしますが、それは後づけでしょう。こういうオーセンティックな風味の曲が自然に生まれてくるのもパラレル・ワールドな2000年代だなと思うわけです。

The Big Vacation - The Red Krayola With Art & Language

レッド・クレイオラの新作は思いのほかポップで聴きやすく、シカゴ勢のバックアップも相変わらず見事です。女性ヴォーカルのやわらかさが沁みます。この力のヌケ具合は学びたいところ。この曲や「Forty Thousand Words On A Chair」にはラヴィン・スプーンフルみたいなトボけたレイドバック感が漂っていて、グリニッジ・ヴィレッジ・フォークという忘れかけていた言葉を思い出しました。こういう小難しいことを言うオジイサンにはいつまでも元気でいてほしいものです。

Body Snatchers - Harry Hosono & The World Shyness

RSPで最もオンエアされているアーティストのひとり、ホソノさんの新作です。UAとのデュエットや往年のファンにはなつかしい「スポーツマン」と迷って、一番意外だったこのセルフカバーをピックアップしました。あのレトロ・フューチャーなやりすぎのエレクトロ・ヒップホップがフォークに化けています。何の違和感もないところが恐ろしい。原曲が収録されている一般的には評価の低い(?)「SFX」、個人的には思い出深いアルバムです。83、84年頃のあの空気、なんだったんでしょう。そんなどうでもいいノスタルジーは明後日にうっちゃらかって、最近のUAをプロデュースしている内橋和久さんのプロダクションがとても好きであることを告白します。

A Beautiful War - Robert Wyatt

脱帽です。おそらく最近聴いたアルバムの中で最もグッときた素晴らしい一枚でした。ワイアットは世界一の宅録マスターだと勝手に思っています。インティメイトな空気に込めた計り知れないエモーションの容量。この曲はイーノとの合作で、タイトルと裏腹にどこまでも牧歌的で(あ、禁断の言葉を使ってしまった)「I'll be free」という言葉が切ない。ロキシー・ミュージックを思わせる(フィル・マンザネラが関わっているので当たり前か)「You You」のハーモニーとコードの流れが一番のお気に入りですが、最後のスパニッシュの曲も目の前の景色を突き破るアンビバレントな破壊力があります。あらゆるスタイルがコピーされるのに、誰もワイアットのような深さとテンションに到達できない。なぜなんだろうと考えないと、ただ偉人を称揚するだけで終わってしまいます。その人の思想が政治的かどうかは問題ではなく、音楽そのものが構造としてエクスキューズになっている気がします。とにかく、小賢しさとは最も遠い音楽です。

November - Yossy Little Noise Weaver

元デタミネーションズのメンバーによる、優れたミュージシャンシップにあふれた完成度と自由度の高い音楽です。しっとりしたダブのコレを選びましたが、ジャッキー・ミトゥの「Oboe」の秀逸なカバー(原曲の朗らかさが完璧に再現されている)、ニューウェイビーな女性ヴォーカル入りの「Room」とも迷いました。宅録的なチープな打ち込みの音色と音場感、そこはかとないユーモア。きわめてラジオ・フレンドリーでもあり、6畳の狭いリビングで日本人が培ってきた精神性みたいなものともちょっとだけ関係あるのかもしれません。ないのかもしれません。結局、自分がそういう音楽にどうしても惹かれてしまうということなのかもしれません。なかなか自身の嗜好からは逃れられません。惰性ではないと信じたいのですが。

Best In Me feat.Yukalicious - Masaki Sakamoto

この人の別名儀の処女作はありがちなエレクトロニカのひとつにしか聞こえず、こんなに才能ある人だとは気づけませんでした(失礼)。アトムハートとの合作はあえて避けて、耳通りのよいヴォーカル曲を選びました。エレクトロニックなトラックに大人っぽいユカリシャスの声というのがありそうでない感じです。Yossy Little Noise Weaverとも感触が近いので並べてみました。こういう楽曲をただセンスがいいとかオシャレとかだけ称していては先に進めないので、それにふさわしい言葉を与えてあげないとと思います。ライナーノーツで岡村詩野さんがエリアーデの名前を挙げて、坂本昌己さんの音楽をシャーマニズム、アニミズムととらえて書いていたのにドキッとしました。

Bird Flu / Boyz / XR2 / World Town / Big Branch (Edit) - M.I.A.

クールダウンしていった後に、M.I.A.です。新しいです。個人的に、いま、一番血が騒ぎ肉踊る音楽です。リズムの面白い部分をブツ切りエディットしてみました。M.I.A.については、後日、詳しく書きたいと思います。

Polyrhythm / Seventh Heaven (Edit) - Perfume

渋谷FMでかけていいのかなとためらいつつも、オフザケでなくドマジメにかけました(インスト部分を多めにエディットしてあります)。「Polyrhythm」はごく一部だけれどポリリズムを用いたり、メロディやフックの組み立ても実に計算されていて、中田ヤスタカの職人的なプロデュースワークがうかがえる楽曲です。リリックもエコロジーを引用しながら、繰り返すことの切なさと愚かしさ、生きることは繰り返しであるという誰もが逃れられない現実のありようをうまく言い当てています(ちょっとホメ過ぎか?)。お茶の間で聴くべきポップスとしては先鋭的であり、そして、ポップミュージックの構造の中でしかなしえない「いま」の風景があります。渋谷センター街で女子のざわめきをサンプリングして、というようなとってつけた時代感(そういうものも好きですが)とはまったくベクトルが違うところがいいのです。「Seventh Heaven」はエンディングに似合う曲調だったのでくっつけてみました。もちろん、ラリー・レヴァンとグウェン・ガスリーによる至高の名曲「Seventh Heaven」とはなんら関係ありません・・・。

Restart, Ever Changing Mood

livedoor blogからこちらに移転しました。タイトルは同じだし、新装開店というほどではないですが、季節や人の心の持ちようが移り変わっていくように、ブログを転々とするのもまた一興です。願わくば、現実世界でもこのくらい身軽になりたいものです。前ブログよりも、気軽に何でも書いていこうと思ってます。